誰だよ、タッキーって?
はい。
タッキーとは、
GW明けから現場研修の為
メンズビギ横浜店にやって来た、
本社新入社員の滝澤君のこと…。
ご両親ともにアパレル業界で活躍する、
文字通りのサラブレッドである。
さとり世代が生んだ、
なかなかのイケメンだ。
ところで…
昔からメンズビギでは、
店頭で着る服一式(1コーディネート)を
研修生に支給する伝統がある。
いくら服が好きで選んだ業界とはいえ、
ほんのちょっと前まで学生だった身だ。
毎日違ったオシャレな服で店に立つほど
手持ちの数はないはずだ。
私はタッキーに、
「自分の好きな服を自由に選びなさい。
せっかく支給されるんだから
一番高い服の方がいいぞ~!」
と太っ腹なことを言った。
あ、もちろんこれは彼が遠い将来
次、次、次期?ぐらいの社長になる可能性を
見据えての周到な根回しではない。
それは私のポケットマネーではなく、
メーカーからの支給だからだ…
アハハ!
さて…
こんなやりとりをしてたら、
ふと32年前のことを思い出してしまった…
新人類世代が生んだイケメン?
私の時もそうだったのだ。
しかし、当時は自分が好きな服を選ぶ
なんてことはとても許されなかった。
「これ在庫余ってるから、
お前はこのスーツとこのネクタイでいいな」
直属の上司は有無を言わせなかった。
そのスーツのことは今でも覚えている。
チャコールグレーのピンチェック…
そのあまりにも地味で
自分の好みと合わないスーツは、
先輩達が粋に着こなす
艶やかなスーツとのギャップに
とてもガッカリしたのを覚えている。
ハウスマヌカン(死語…)と呼ばれた
当時の先輩販売員は、
実生活ではお目にかかることすらない
飛び抜けてオシャレな人ばかりだった。
ポケットチーフの入れ方や
パンツ丈のミリ単位へのこだわり…
エレガントなスーツに
敢えての白スニーカー合わせ…
(ジョン・レノンの影響?)
コートの粋な羽織り方…
(ポール・ウェラーの影響?)
マフラーやストールの巻き方…
(中尾彬の影響?…これはウソ)
バッグや眼鏡、筆記具などの小物使いや
色合わせを含めた絶妙なバランス感覚…
その一分の隙も見せない着こなし…
優雅で堂々とした身のこなしや立ち振舞い…
先端の人にしか知り得ない情報や知識…
一言でいえば華やか…。
私は羨望の眼差しで先輩達を見つめていた。
それまで同世代の中では
ファッションに自信があった自分は、
井の中の蛙であったことに気づいた。
プロとアマの格の違いを
まざまざと見せつけられたのである。
私が正式にBIGIグループに入社したのは
1987年4月だが、
その前年の大学生の頃から
すでにBIGIでアルバイトを始めていた。
配属された最初の店は、
その時代を象徴するファッションの聖地
「ラフォーレ原宿」である。
そこには各ブランドの顔となる
全国トップクラスのハウスマヌカンが
集結していた。
当時のファッション業界は女性社会で、
メンズブランドと言えども
店長はなぜか男勝りな女性が多かった。
私の店の店長も
ブランド全体を束ねる大御所女性店長。
そして休憩でよく一緒に連れていかれたのが
伝説の喫茶店「レオン」である。
そこはラフォーレ原宿と目と鼻の先…
表参道と明治通りの交差点前…
かつて原宿のランドマークとも言われた
セントラルアパートの1階にあった。
別にどうということもない喫茶店だが、
そこに出入りする人達がとにかく凄かった。
コピーライター、フォトグラファー、グラフィックデザイナー、ファッションデザイナー、モデル、エディター、アーティストなど時代の先端をいく横文字職業のクリエイター達…
しかもどこかで見聞きした覚えのある
一流の人ばかりだった。
そんなスノッブな世界や空気感を
肌で感じることができたのも、
この70~80年代ならではなのかもしれない。
「レオン」だけでなく、
普通の学生なら敷居が高くて
怖じ気づくような店や場所にも、
女性店長は私をよく連れて行ってくれた。
そのいつも堂々とした立ち振舞いは、
腰巾着の私を安心させるに十分だった。
今思えば、これからこの業界に入る
服が大好きな青二才の大学生に
まだ知らない世界を見せ、
見聞を広げさせようと
してくれていたのかもしれない…。
さて…
私が入社直後に支給された
地味なチャコールグレーのスーツ…。
もっと華やかな服が欲しかった私にとって
当時は新人への嫌がらせだと思っていたが、
なぜかその後の私はグレーのスーツばかりを
自分で買うようになっていく。
それまでの自分では気づかなかった
グレーのスーツの魅力を発見するとともに、
ベーシックな色やデザインの服を
いかにカッコ良く着こなすか
というコツが次第に分かってくると、
そっちの方が楽しくなってきたのだ。
一見、上司がテキトーに選んだかにみえた
地味なチャコールグレーのスーツ…
今思えばこれは、
テキトーに選んだのではなく、
まずは基本を学べ!
ということだったのかもしれない…。
時代の移り変わりとともに
新人教育も大きく様変わりしたが、
洋服屋はいつの時代でも
“服を楽しむ心”だけは忘れてはいけない。
いい意味で
バカになれ!
である。
あ、自分の話ばかりで
すっかり本題から逸れてしまったが、
タッキーが選んだスタイルがコレ…
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見るもの聞くものすべてが新鮮で、
アタマをハンマー🔨で殴られたような
カルチャーショックの連続だった1986年…
先端のファッションにドップリの私は、
先端の音にも酔いしれた…
「Peter Gabriel」
“Sledgehammer”
(大ハンマー🔨)
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メンズビギ 横浜店 GMより