ムダに大袈裟なタイトル…
まるで西洋人からみた日本文化を考察した
ルース・ベネディクトの名著
「菊と刀」みたい…って、
一度も読んだことないけど。
アイキャッチ効果もあるから、
お店のウィンドウにディスプレイしてみた。
シンプルでクールな見せ方が主流だ。
デモね、たまにはワクワクするような
楽しいヴィジュアルも見たくないですか?
って、ただ自分が見たいだけだけど…。
ディスプレイというものは、
ちょっとした小物をプラスするだけで
そこに世界観が生まれる。
花柄開襟シャツをアロハに見立てると、
どうしてもあの小物が欠かせない。
そう…
ウクレレである。
アロハシャツとウクレレ…
これほど相性のいい組合せが
かつて世の中にあっただろうか。
(いっぱいあるある…)
エルビス・プレスリーである。
(映画ブルーハワイより)
ところで…
アロハシャツの起源ってご存知だろうか?
今ではオフィスやレストランだけでなく、
冠婚葬祭でも着用が許される
「ハワイにおける男性の正装」として
認知されるぐらいだから、
大昔から代々伝わってきた
伝統的な民族衣装だと思うだろう。
私もずっとそう思っていたのだが、
以前たまたま視た
ハワイの日本人移民についての
ドキュメンタリー番組で
意外な事実を知ったのである。
それは…
19世紀終わりから20世紀初めにかけ、
新天地に希望を託し
異国の地ハワイに渡り
農業に従事していた日本移民が、
ヨーロッパの船員達が着ていた開襟シャツにヒントを得て、
日本から持参してた着物を
仕立て直したのが始まりだったのだ。
そして、日本の着物の美しさに惹かれた
現地の人が「着物をシャツにしてくれ!」
と頼んだのが広まっていったのである。
1930年代初頭には、
アロハシャツとは
「派手な和柄の開襟シャツ」
を意味していたそうである。
どおりで…
あのアロハシャツに感じる親近感は、
自然の持つ美しさをモチーフに
古くから花鳥風月を嗜んできた、
日本人のDNAに依るものだったのだ。
そこで私はふと、
アロハシャツが似合う日本人って誰か?
について考えてみた。
この遊び楽しいから
皆さんも一緒に考えてみませんか?
私がパッと思いついたのがこちらの面々…
(全ての画像はお借りした)
まず、この二人は別格だ。
昭和のお笑いを牽引したレジェンド。
アロハとウクレレの文化を
いち早く日本に浸透させた功労者でもある。
ここまでは皆さんと大体同じだろうか。
でも、私の中で何かが引っ掛かる…
誰か重要な人物を見落としてはいないか…
もっと似合う人がいたはず…
誰だっけ?
あ、そうだ!
この人だった❗
それは、なぎら健壱 である。
どこか人を食ったようなインチキ臭い顔…
下町の路地からいきなり出てきそうな顔…
場末の飲み屋で瓶ビール飲んでそうな顔…
ホラ話を平気で喋りそうな顔…
でも、どこか憎めない顔…
この人は一体何者なのだろうか?
何となく昔から気になる存在である。
肩書きは、フォークシンガー、俳優、
タレント、漫談家、エッセイストなど
様々な顔を持っている。
でも、どうもB級感は否めない…
しかしこの人、実はスゴい人なのだ。
日本の音楽史上に残る、
サブカルチャー史の分岐点となった
日本初の伝説的野外フェスティバル
“中津川フォークジャンボリー”
(なんと!あのウッドストックよりも先!)
アンダーグラウンドやサブカルチャーを
代表する錚々たる出演者の中で
アマチュアとして飛び入りしていたのが、
この男“なぎら健壱”である。
しかもライブ盤にも収録されていたのだ。
カントリーミュージックや
フォークソングへの造詣も深い彼は、
アコースティックギターの
知る人ぞ知る隠れた名手でもある。
この並外れたルーツ音楽への探究心は、
どこか “ライ・クーダー” を彷彿させる…
っていうか、
やっぱりこの人もアロハシャツ着てる❗

しかもなぜかこの二人、
ウェスタンシャツとテンガロンハットの
共通項もある。
まさか、なぎら健壱の影響だろうか?
(ナイナイ…)
なぎら健壱・・・恐るべしである。
あの飄々とした語り口や惚けた顔の裏には、
トンでもない遊び心と才能が潜んでいる…
というのは言い過ぎだろうか?
趣味も多彩で、そのどれもが玄人はだし。
私は、こういう人こそ
真のオシャレな男だと本気で思っている。
ということで、
GMアカデミー協会(何それ?)が認定する
“ベスト・アロハシャツイスト ”は、
文句なく なぎら健壱 に決まりだ❗
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1973年発売後、放送禁止になった名曲
ジャケットデザインも本人の自作
「悲惨な戦い」
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メンズビギ マルイシティ横浜店 GMより
コチラも見てネ❗

