先日書いた“ドレスベストの考察”で
登場した英国人『ボー・ブランメル』。
色んな意味で大変興味深い人物なので、
今回は彼の魅力に迫ってみよう。
間違いなく長くなりそうなので、
今回は最初から2回に分けることにした。
って言うか、なんとか2回に抑えたい…
本名:ジョージ・ブライアン・ブランメル(1778~1840)
ちなみにボー・ブランメルとは、
ザ・ボー(伊達男)に由来した
彼の異名である。
“ダンディの祖”とも云われる彼は、
現代のメンズファッションの基礎を
築き上げた人物でもあり、
当時は社交界の王者として君臨し、
その名をヨーロッパ中に轟かせていた。
とはいっても、元々彼は平民の出身。
父の代に築いた財を背景にして、
名門イートン校(イギリス貴族子弟御用達)に入学する。
当時の貴族社会は、
現在とは比較にならないような権力と財力を持っていたのは言うまでもない。
普通なら貴公子揃いの同級生の中で、
萎縮してしまうものだが、
彼の場合は全く違った。
むしろ、彼の非の打ち所のない身だしなみと、冷ややかで物憂げな立ち居振舞いは
異彩を放ち、級友たちから“ボー・ブランメル”と尊敬の念で呼ばれていたのだ。
そんな級友の中に皇太子(後のジョージ四世)がおり、彼からの信頼を勝ち得て、その後彼の側近に上り詰めるのである。
ブランメルの特異な点は、
どんなに地位と名誉がある相手でも、
素っ気ない口調、冷静で人を見下した態度と大胆な毒舌である。
誰もが言いにくいことを平気で喋る、
毒舌お笑い芸人が人気を博す構図と似ているが、彼の場合は芸ではなく筋金入りで罪悪感ゼロ。
だから痛快なのである。
ある時、ベッドフォード卿がファッションについて彼に助言を求めたところ、
ブランメルは、ためつすがめつ眺めてから
襟を掴んでこう言い放ったという。
「ねぇ、ベッドフォード君。こんなもの服と呼べるかね!」と…。
そして、絶対的なポーカーフェイスをもつ彼の歩き方は、泥ひとつ跳ねさせず極めて優雅だったという。
非のつけどころがない身だしなみと立ち居振舞いは、他の追随を許さなかった。
かのパイロン卿をして、
「ナポレオンになるより、ブランメルになりたい」と、言わしめたそうだ。
彼は優雅でないことが何よりも嫌いだった。オックスフォード大学時代、彼は仲の良かった友人との関係を突然切り捨てたことがあった。
理由はただひとつ、彼が無粋と思っている男とその友人が同席したというそれだけである。
田舎が大嫌いな都会人で、
スポーツを何より軽蔑していた。
彼曰く、汗水垂らして動き回るスポーツは、彼の完璧な身なりを台無しにする。
そして何より、下賤のように泥にまみれて必死に這いずり回るのが無様だからだ。
女性たちは、ブランメルに熱い視線を送ったが、あっさりと冷たくあしらわれた。
ダンディにとって女は、完璧である自分を踏みにじりにくる余計なものであった。
女にモテるために装うのは、ただのシャレ者であり、ブランメルはダンディだったのである。
類い稀な文学や絵画の才能も持っていたが、彼にとっては不必要なものであり、ひけらかすものではなかったという。
ブランメルは、その後毒舌が災いし、
遂にジョージ四世の後ろ楯を失なったが、
金がないという無様な理由で出費を減らす屈辱は、彼の選択肢になかった。
結局ブランメルは、多額の借金のため投獄され、晩年はひっそりと養老院で息を引き取ったという。
地位は平民で、仕事も政治もノータッチ。
資産はなく、決してイケメンでもない。
それでも男たちは彼に魅了され続けたのである。
ダンディの化身…
ボー・ブランメル
皆さん、いかがでしたか?
彼の人間性に疑問をもつ方も
もちろんいらっしゃるとは思うが、
これほどありのままの自分を貫き通しながら愛された男はいないのではないだろうか!
これぞ本物の ダンディズム❗
次回は、
彼の“ファッション哲学”についてである。
あ~、長過ぎた。
3回に分ければよかったかも…
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ロック界のダンディといえば、
この人の右に出る者はいないだろう。
「Bryan Ferry」
“Sensation”
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メンズビギ マルイシティ横浜店 GMより
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