高倉 健さんが亡くなられて、はや一年が過ぎました。
あの時は、結構しんみりしたなぁ…。
特別大ファンというわけでもないし、
全部の映画観たわけじゃないけど、
あの存在感や佇まいは、演技の上手い下手を通り越し、
唯一無二、健さんにしかないものでした。
しかも、メディアへの露出が極端に少なく、
まさに映画の中でしか会えない。
向こうの方から、勝手にこっちに近づいてくる
昨今の芸能人とは大違い。
私生活を含め、ベールに包まれた存在というのは、
却って興味をそそられるものです。
健在の時でさえ、死亡説が流れるくらいの
希有な人だから。
ところで、健さんの映画の中で私がベスト1に挙げるのは、
断然❗「居酒屋 兆治」。
なぜかというと、私が唯一共演した映画だから。
いつも?と違い、これはウソではありません。(半分は)
進学で上京した最初の夏休み、函館へ帰省した時、
ヒマを持て余していた私にエキストラのバイトが
舞い込んできた。
それが高倉 健主演の「居酒屋 兆治」だったのです。
(ほら、ホントでしょ)
祭りのシーンで、それを取り囲む見物客の1人。
その時、遠くの方からこちらを見てた、
生❗高倉 健。
私と目が合って頷いた…ような気がする。
健さんとの、最初で最後の邂逅でした。
さて一般的に健さんといえば、もちろん
日本が誇る映画界の不世出の大スターです。
これは疑う余地なし。
しかし、健さんには違う側面が…。
実は、一部のファッション関係者のあいだでは…
特にある一定以上の年齢のあいだでは、
偉大なファッションアイコンとして崇められているのである。
私もその崇拝者の1人。
「あの地味な服装のどこが?」という人は、
処置なしです。断言します。
もちろん派手さはないので分かりにくいかもしれないし、
決してトレンドの先端をいくタイプでもありません。
が、しかし、ベーシックな服を着せたら
右に出る者はいません。
数多くの映画で着てた、
M‐65やバラクータG‐9、チノパン、
白のボタンダウンシャツ、
襟元の詰まったヘビーウェイトのTシャツなどなど、
普遍的なアイテムをさらりと着こなすセンスの良さ。
私の家の近所にある競艇場に通うオヤジ達とは
似て非なりなのである。
見栄っ張りなファッション関係者は、
皆口々に「M‐65と言えば、やっぱり゛タクシードライバー゛
のロバートデニーロでしょ」とか
「G‐9はスティーブマックイーンだよね」などとウソぶいてるが、
心の中では「ホントは高倉 健です、ごめんなさい!」
なのである。
だって私もそうだもん。
時代や周りに流されない本人のキャラクターと、
そのファッションがとてもリンクしている。
無骨のようで、気品がある。
男のファッションの一つの指針となってくれるレジェンドなのだ。
オシャレに興味がある男性諸君❗
もう一度、高倉 健の映画を、違った視点で見直して欲しい。
(任侠モノじゃないですよ)
ついでに「居酒屋 兆治」の祭りのシーンもチェックして、
若かりし私を見つけて欲しい。
(何度見てもいないんだよな、オレ)
メンズビギ マルイシティ横浜店 GMより