僕がやるべきことは2つ。
1つ目は、弟の死亡記録あるいは存在が分かる記録を入手すること。
2つ目は、母を探すこと。
弟の死亡記録に関しては、まずは市役所に問い合わせをしました。
しかし、死亡届の保存期間は27年。弟が亡くなったのは、35年前。
保存期間を大きく過ぎていたので死亡届は諦めるしかありませんでした。
再び市役所へ問い合わせし、戸籍関係を色々取り寄せました。
僕の家庭は、引っ越しが多くそれに伴って
本籍もちょくちょく変わっていて、更には苗字ではなく
名前が変わっていた時期もあったので、それを調べる必要もありました。
住民票…戸籍謄本…改製原戸籍…しかし隆の記録はありません。
かなりの手間と時間がかかっていたので、何度も心が折れそうになりました。
そして数か月後、やっと辿り着くことができた除籍謄本にて
隆の記載を見つけることができました。
『昭和五拾九年六月八日推定午後八時参拾分宇都宮市で死亡』
その記載を見て、隆の死を改めて実感しました。
でもやっと見つけた唯一の隆の生きていた証。
大切に取っておくね…隆。
そして2つ目の母を探すこと。
これは、戸籍の附票というもので確認できるのですが
拍子抜けするくらいあっけなく見つけられました。
母がいるのは福島県。
しかし、死亡していても記録は数年残るとの事なので
もしかしたら既にこの世にいないかもしれない。
思いつく限りの結果を予測し、心の準備をして僕は福島へと向かいました。
母の連絡先も知らない僕は、当然アポなしで訪問です。
手紙も考えたのですが、再婚相手やお子さんがその手紙を開封してしまうかも
しれないと思ったし、差出人を無記入で出すのはもっと怪しいと思ったので。
朝8時に現地に到着。何度も間違っていないかを確認する。
インターフォンを鳴らす直前、胸の高鳴りはピークに達していました。
”そういえば…お母さんの顔って覚えてないや…向こうもこっちの顔分からないだろうし、
当時4歳だった息子が、35年経っていきなり現れても信じてもらえないよな…
っていうか…本当に会っていいのかな…。”
正直不安しかありませんでした。
最初の訪問は不在。その後は1時間に1回位のペースで訪問しました。
12時になっても誰も出てこないので僕はいよいよ不安になりました。
”もしかしたら本当に亡くなっているのかも…”
様々な結果を想定したていたとはいえ、それが現実味を帯びてくるとやっぱり不安です。
半ば諦めかけていた15時頃。ついに扉が開きました。
出てきたのは女性。”この人がお母さん?”って思いながら僕は、
『あの…隆生…橋本隆生ですけど…。』
しばし無言の後、その女性は言いました。
『え…本当に…本当に隆ちゃんなの…?』
『はい。お久しぶりです。』
気が動転していた僕は、気が付いたら身分証明書を差し出していました。
本人だよということを伝えたかったのです。
こうして僕は無事、35年ぶりに母と再会することができました。
その2~3ヶ月後には家族を紹介しました。それが2年前に更新したこの記事につながります。
驚いたのは、母は再婚などしていなかったという事。
父は僕が母を探すことを恐れて、
再婚した、という嘘をついていたのかもしれません。
だとしたら、僕はその術中に見事にはまっていた訳です。
母は父と離婚してから、ずっと一人で生きてきたそうです。
僕と隆を守ることができなかったこと、父に引き渡したこと
隆を亡くしてしまったこと…それら全てを自分の責任だと思って
ずっと責め続けてきたと母は言っていました。
僕は、母の背中をポンポンっと叩きながらこう言いました。
『もういいんだよ…こうして会えたんだし。』
母は涙を流して、何も言わず首を縦に振るだけでした。
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