虐待を受けて育った人のブログ -7ページ目

虐待を受けて育った人のブログ

僕は父と継母に虐待を10年以上受け続けて育ちました。児童相談所や児童養護施設を経て社会に出てからも葛藤の連続でした。そんな僕の過去と現在について書いています。

5年前の37歳から介護の仕事を始めて、41歳に介護福祉士の資格を取りました。
それを機に今後の目標についてを考えました。選択肢は2つ。介護支援専門員や社会福祉士などの資格を目指すか、管理者としてマネジメントスキルを身に付けていくことを目指すか。


そして僕は、管理者を目指すことに決めました。

振り返ると、介護の仕事を5年間続けてきて、色々やりづらいな…って思う管理者ばかりでした。もちろん世の中には素晴らしい管理者も沢山いるとは思います。しかし、僕はそんな管理者には出会えなかったし、管理者が原因で辞めていくスタッフも何人も見てきました。だから僕は働く人を大切にできる管理者になりたい!そう思ったのが管理者を目指す理由でした。

決心してから、早々に管理者を目指せる会社へ転職しました。入社した会社は、これから立ち上げる新事業所の管理者候補。新事業所開設は半年後。ありがたいことに、外部研修にも積極的に参加させてくれる会社でしかも介護技術だけでなく、マーケティングやリーダーシップなどこれまで受けたことがない研修もあったのでとても学びになりました。新しい事業所ができるまでの半年間は既存の事業所で勤務しながら研修を受ける日々でした。

しかし新しい事業所開設まで残り3ヶ月辺りの頃、僕は不安になっていました。自分が管理する新しい事業所が赤字を出してしまったらどうしよう…人を辞めさせてしまったらどうしよう…仕事が取れなかったらどうしよう…そもそも自分が責任のある仕事なんてできるのだろうか…?入社した時こそ意気込んでいたものの、この頃は弱気な自分がどんどん顔を出し始めていました。

 

そんな時に受けたあるリーダーシップ研修。そこでの一言が、僕にとって大きな転機となりました。それは、”ポジティブシンキングはスキルとして身に付けることができる”ということ。僕は、ポジティブな人というのは”親や色々な人から愛情を沢山もらった人が得られる特殊能力みたいなもの”って思っていました。当然、自分にとってはポジティブなんて縁のないこと。絶対になれるはずもないし、ネガティブでもなんとかコツコツやっていこう。そう思ってここまで生きてきたので、”ポジティブはスキル”という一言は大きな衝撃だったし、同時に希望にもなりました。”こんな自分でもポジティブになれるかも…”って。その想いはやがて”ポジティブになりたい。自分を変えたい”という想いへと変化していきました。考えれば考えるほど、今の自分に足りないことは自分を信じるメンタル。そう確信したからです。

 

そして僕は、教わったことを素直に実践していきました。

意識的に作っていた笑顔も、続けていくと自然と笑顔が多くなっていき、

思っていなくても意識的に発していた前向きな言葉は、やがて本当に前向きな気持ちにさせてくれました。できない理由を考えがちだった自分から、できる!と強く信じる自分へと変化していき、本当にできた!という体験も沢山積み重ねることができました。

 

その後、僕は予定通り新しい事業所を任されることになり、会社の期待に応える成果も出すことができました。職員から「ここで働いて良かった」と言ってもらえた時は嬉しすぎて泣きそうになりました。

 

ポジティブという”スキル”を手に入れた、とても大きな年になりました。

 

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YouTubeチャンネルを始めて9カ月が経ちました。
Reスタートチャンネルは、
『再起を応援し、最輝(サイキ)を心から願うチャンネル』

そんなチャンネルになることを目指しているのですが、これは
・再起→やり直し、再スタートできることを心から応援している。
・最輝→最高に輝くことで、生きてて良かったと思ってもらえることを願っている。
そんな強い想いが込められています。

どんな環境で生まれて育っても、最終的には自分自身で人生を決めていかなければならない。
今でこそ僕も素直にそう思えますが、散々否定されて育ってきた僕が、

『一般家庭で育った人』で構成されている社会に出ることは、

簡単なことではありませんでした。

絶対的な居場所、心の拠り所であってほしい家が、存在しないということは、

住む家が…とか、お金が…とか、目に見えることだけではなく、

精神的なプレッシャーも相当なもの。

それでも社会人としてやっていかなければならない。帰る家がないから失敗は許されない。

僕は不安感をいつも抱えて生きていました。
『どうせオレなんてダメ人間だし…』という思いもあったので、

友達といても疎外感がなかなか拭いきれませんでした。

 

今でこそ、僕は社会になんとか溶け込むことができましたが、

ここに至るまで沢山失敗をして、沢山の気付きがあって、沢山の本も読んできました。

 

Reスタートチャンネルは、これから色々な新しいコーナーができる予定です。
『再起を応援し、最輝を心から願うチャンネル』
そんなチャンネルになりたいと本気で思っています。
 

Reスタートチャンネルを今後とも宜しくお願いします。
 

⇒Reスタートチャンネル

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『虐待をなくしたい』そんな思いからこのブログを始めて10年が経ちましたが、
この度YouTubeチャンネルをスタートします。
 

虐待を受けて育った人も、いつかは前を向いて人生を歩んでほしい。
そんな想いから『Reスタートチャンネル~家で色々ありまして~』と名付けました。
"Reスタート=再スタート"をテーマとしたチャンネルにしていく予定です。
 

これから動画の撮影を行っていきますが、

ぜひチャンネル登録をしていただけるとありがたいです。
 

Reスタートチャンネル~家で色々ありまして~

相方の『マリリン』は僕と同じ虐待サバイバーで、

壮絶な人生から再スタートできた人でもあります。

これから一緒に頑張っていきたいと思っておりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

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その手紙は、なんの前触れもなく突然届きました。

『平素は本市行政へのご理解とご協力をいただき厚く御礼申し上げます。
この度、橋本〇〇様が2019年1月17日にお亡くなりになったとの連絡が
入院されていた県立ガンセンターよりありました。』

亡くなったのは父。

ちょくちょくとかかってきていた父からの電話がここ数か月間は途切れていて、
父の誕生日も近かったので、そろそろ電話をかけてみようと思っていた矢先の出来事でした。
手紙の差出人は社会福祉事務所。とりあえず連絡をくれと簡潔に用件が書いてあるその手紙を何度も読んでから僕は電話をかけました。

父は僕と再会するよりもずいぶん前に、

経営していた会社を廃業したことは知っていました。
その後は警備員などの仕事で細々と生活していましたが、

もともと患っていた糖尿病が2年位前に悪化して足を切断。
その後は以前のようには動けなくなり失業。
それでも社会復帰を諦めていなかったそうですが、
残念ながら父を必要としてくれる会社は見つからなかったそうです。
継母とも離婚をして、頼る先がない父はどうすることもできなくて、
最終的に社会福祉事務所を訪れて生活保護の申請をして、
正式に申請が許可された翌日に父は亡くなったそうです。

死因はすい臓がんでした。

社会福祉事務所は父の遺体の引き取り手を探しました。
しかし親戚がほとんどいなかった父の引き取り手探しは難航。

なんとか親戚と連絡が取れたとしても引き取りを拒否されてしまったそうです。

しかも何人にも。そんな中で巡り巡ってようやく僕のところに連絡がきた訳ですが、
父は既に死後から2週間近く経過しており、ずっと葬儀屋さんの霊安室にいるそうです。
なんだか気の毒になりました。

僕は急いで諸々の手続き済ませました。
葬儀を行うため、継母や義理の弟にも念のため連絡をしたのですが、二人とも列席を拒否。

葬儀は僕と父の友人2名の3人でひっそりと行いました。
父は酒の席で、新事業のアイデアについてなどを、いつも話していたそうです。
そして僕の話もしていたそうです。『ずっと会えなかった倅が立派になって帰ってきた。

倅や孫の為にも俺もしっかりしなきゃな。』と嬉しそうに話していたそうです。

遺品整理で父の家に入りました。クローゼットには、綺麗に整えられたスーツが何着もあり
Yシャツやネクタイもきちんと収納されていてすぐにでも着れる状態でした。
”最後まで諦めていなかったんだね…。”なんだか胸が締め付けられる思いでした。

父の家には弟の隆の遺影がありました。
”これは僕が預かろう…”とその遺影を手にすると、

1枚のうす汚れたメモ紙が遺影の後ろに挟まっていました。
そのメモには電話番号と〇〇住職とだけ書いてありました。
実はそれは隆のお骨を預かっているお寺の電話番号だったのです。
僕はすぐにそのお寺に向かいました。

そのお寺では本来は1年間だけお骨を個別に保管し、
その間に合葬墓にするかお墓を建てるかを決めてもらう、という決まりだったのですが

父は1年経つか経たないかで連絡がつかなくなってしまった。
それから約36年経ってこうして僕から連絡が来たそうです。
お寺側としても勝手に合葬墓に入れる訳にもいかずその間、

ずっと綺麗に保管しておいてくれたそうです。
連絡を怠っていた父の代わりに僕は平謝りし、そしてありがとうございますと伝えました。

そして僕は36年ぶりに亡くなった弟”たかし”と再会しました。
たかしが眠っている小さな小さな骨壺。
4年間しか生きることができなかった”たかし”の骨壺はとてもとても小さかったです。

”たかし、やっと会えたね。遅くなっちゃってごめんね。”

胸が熱くなりましたが涙は出ませんでした。
僕は父の遺骨もそのお寺にお願いすることにしました。
”たかしにきちんと謝ってください。そして2人で僕を見守ってください。”
そんな思いを込めて、僕は父の遺骨をたかしの小さな骨壺の隣にそっと置きました。

ちなみにその住職に、たかしが亡くなった時のお通夜の様子を聞きました。
父は、ひどく憔悴していて疲れ切っていた様子だったそうです。
焼香で自分の番が来てもボ~っとしていて、
声を掛けても反応がなく、なにかをブツブツ言っていたそうです。

僕は父が亡くなる前に、腹を割って話しができて本当に良かったと思いました。
もし会っていなかったら、きっと父を恨むことしかできなかった。
その恨みの感情でしか発信はできなかった。
もちろん父がしたことは取り消すことはできない。
でも父が涙を流したり、弱音吐いたり、夢を語ったり
そんな人間らしい部分を少しでも知ることができたのは
僕にとってはとても大きなことでした。

こうして家族がまた一人居なくなりました。改めて考えるとなんか寂しいな。
でも、僕には守るべき家族がある。そして帰る場所がある。
今ならしっかりと前を向くことができる。

僕は今、色々な場で虐待についてのお話をする活動に取り組んでいます。

家族を持ち、本業の仕事をしながら地道にコツコツと続けています。
⇒これまでの実績

人間一人ができることなんてとってもちっぽけなことです。
でも…やっぱり何もしない訳にはいかない。

たかしの想い、そして父の生きざまをしっかりと心に刻み
虐待を生み出さない世の中がいつか叶うことを願って、
これからも声を上げ続けていきたいと改めて思いました。

橋本隆生という名と共に。


それが僕の命の使い方なのだと信じて。

 

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2年前より被写体として協力していた写真集がこの頃に完成しました。
失敗とか出会いとか覚悟とか(37歳)
 

その写真集に被写体として協力していた2人と僕とで、

なにかできないかと考えて結成されたのが虐待体験者のグループ
『internaReberty PROJECT(インタナリバティプロジェクト)』です。

internaReberty PROJECT

そしてこの年は、僕にとって凄く大きな出来事があった年となりました。
それは、ある記者の方との出会いから始まります。
虐待体験についてを取材させて欲しいとのことだったので、

会ってお話をすることになりました。

その日もいつものように、虐待体験のについてや生き別れになった母の事や、

亡くなった弟のことをお話しました。
いつもであれば、話し終えた後にいくつかの質問に答えて取材は終わりとなるのですが、
この日は少し違う展開でした。

僕の話を聞き終えた記者の方は涙ながらにこう言いました。
『亡くなった弟さんの生きた証が何一つ残っていないのが悲しすぎます…。
そして、生き別れのお母さんは絶対に隆生さんと会いたがっていると思うんです…。』

これまでの取材で、そんなことを言われたことがなかった僕は動揺しました。
弟に関しては、写真がないならせめて死亡記録などの記録だけでも
探してみたらどうだろう?と提案されたので、それは実行することにしました。

 

お母さんは戸籍を辿って会いにいったらどうかと提案されましたが、

それはできない…と僕は断りました。
”お母さんは既に再婚をして、子どももいて幸せに暮らしている。”
これは僕が小学生だった頃からずっと父に聞かされていたことです。
新たな家庭を持ち、幸せに暮らしている母にどんな顔をして会ったらいいのでしょうか?
今さら僕が現れることで、母を困らせてしまうかもしれない。
そして母を不幸にしてしまうかもしれない。
だから僕は…母は探さない。それは小学生の頃から固く心に決めていたことでした。
寂しくて辛い時に何度か、探そうと思ったことがありましたが

そんな思いはいつも押し殺していました。

なので、母を探すことを提案されたこの時も、
『いや…母は再婚しているので今更会えません。』と言ったのですが、
絶対にそんなことはない!母親はいつまでも母親なんです。
会いに来てくれて嬉しくない訳がないんです!
少なくとも橋本さんの場合はそう言い切れます!と記者の方も引き下がりませんでした。
少し考えます。と伝えて、とりあえずその日の取材は終わりました。

”母親はいつまでも母親なんです”
家に帰ってからもその言葉が頭から離れませんでした。
本当に母は嬉しいのだろうか…今更現れたところで…。

”本当に会うべく人とは、会うべくきっかけがいつか来る”
いつの頃からか信じていたその考えに従って
これまでも、継母の母親や父と会ってきました。
結果、いずれも会ってよかったと思えました。
ばあちゃん(30~31歳)
父と会う、再び。(38歳)

母とは…今、まさに今が会うべくきっかけなのかもしれない。
会って嫌な顔をされたらそれはそれ。もう二度と会わなければいいだけの話だし、

どんな結果であっても母と会うことがまた一つの棚卸になるのかな。

そして僕は、母を探すことを決意しました。
 

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