虐待を受けて育った人が、色々やろうとしているブログ

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僕は、父親と継母からの虐待を受けて育ちました。児童相談所や児童養護施設にも入りました。仕事が続かなくて沢山失敗もしました。そんな僕のこれまでの人生と、今後の取り組みについて書いています。

父からの電話があったこと自体には驚きはありませんでした。
なぜなら約10年前に家に帰ったあの翌年から、毎年僕の誕生日に父から着信があったからです。

⇒父と継母と会う(29歳)


もちろん電話はずっと無視していました。
それでも父は毎年、留守番電話にメッセージを残していました。
『誕生日おめでとう』とだけ。

この時、電話がきたタイミングも僕の誕生日が近かったので、
父はおそらく、その毎年恒例のメッセージを残そうとしていたのだと思います。

”橋本隆生”として活動を始めてからここまでの約4年間、
ブログを書き続けて、色々な支援団体などに足を運び、
イベントや勉強会にも参加してきました。
ブログを通じて、同じように虐待を受けてきた人と会って話しをしたり、
ボランティア活動をしていた時期もありました。
そのお陰で色々な側面を知ることができました。
子どもの気持ち、支援する人の気持ち、そして子育てをする親の気持ち。

更に、当時1歳だった我が子も この頃は4歳。
ここまで自分の子どもを見てきて感じたことは、
我が子ってこんなにも可愛いものなんだなあ、ということ。
親になってたった4年ではありますが、
子育てで思うようにいかないことは、もちろん沢山あったし
頭を悩ませることも沢山ありました。
それでも子どもの無垢な笑顔を見たら、
全てが帳消しになると言ってもいいくらい気持ちを満たしてくれる。
子育てを通じて、人として…親としての
勉強をさせてくれている子どもには本当に感謝しています。
結婚するまで子ども嫌いだった僕は、
この頃は子どもが可愛くて仕方がないと思うようになっていました。

でも…だからこそ、そう思えば思うほど理解できないのです。
自分の父の心情が。
我が子にあれほどの虐待をしていた、更には弟の命すら奪った父は
何を考え、何を思い、何を背負っていたのだろう?
それを直接聞いてみたいという気持ちが芽生えていました。
そんな中での父からの着信でした。

僕は父の着信を見て、ためらうことなく通話ボタンを押しました。
少しだけ話をした後に、早速父と会う約束をしました。

全部聞いてこよう…どんな事実も受け止めよう。
それを今後の活動に生かせばいいのだから。
覚悟を決めて僕は父のもとへ向かいました。

 

⇒これまでの生い立ち

 

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積極的に、色々な場所に足を運んだ末に僕は、

ある考えが生まれました。

”虐待が起きている家庭では、夫婦の仲も悪い所が多い。
虐待をなくすために大切なことは夫婦円満なんだ!”

そう意気込んだ僕は、夫婦円満の手助けができるような活動をしたいと思い
『愛嫁家プロジェクト』という活動団体を創りました。
→愛嫁家プロジェクト(Facebookページ)

当時、所属していたボランティア団体で賛同してくれる人が何人もいて、
出だしこそ愛嫁家プロジェクトは、とても盛り上がっていました。
しかし、目的はいいものの実際に何をやるかが煮詰まらず、
そして僕自身の力不足もあって、

愛嫁家プロジェクトは数回のイベントを実施した後に
自然消滅に近い形で消えてしまいました。
この経験は僕にとって色々と勉強になりました。

その後、あるテレビ番組から取材の依頼というものが初めて来ました。
連れ子の家庭環境についての特集だったそうで
僕はその取材に迷うことなく応じました。
顔出しで出る、ということを伝えると
番組のディレクターさんはとても驚いていました。
本当に良いんですか?と。

迷いはありません。顔を出すことは、僕にとっての覚悟です。

また、テレビとは別にマイヒストリーの会という場で
生い立ちを話す機会をいただきました。
僕の生い立ちを参加者の方はとても熱心に聴いてくれました。

更に、同じ位の時期にブログ経由で
長谷川美祈さんという写真家の方との出会いがありました。

→長谷川美祈さんのHP


長谷川さんは、虐待可視化を目的とした写真集を制作したいと考えていて
その被写体になってくれる虐待被害者を当時探していましたが、
その被写体探しが難航していた。
そんな時に、たまたま橋本のブログを発見してメッセージを送ったとのことでした。
もちろん僕はその被写体の話を迷うことなく快諾しました。
発信の手段は色々あって良いと思っていたからです。

後に、その写真集は無事完成をして
『Internal Notebook』という名で世に出ました。

→Internal Notebook

色々な事が少しづつ動き出していたこの頃でしたが、

どんなに忙しくても、ブログで生い立ちの更新だけはコツコツと続けてきました。
自分史を初めて作った時は、断片的な記憶でしかなかった過去も
この頃はだいぶ点から線になりつつありました。

”徹底的に過去と向き合おう。そしてどんな事実も受け止めよう。”
色々な活動を通じて、そんな覚悟が固まりつつありました。
そして、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで
ある日、一本の電話が鳴りました。

電話の相手は父です。

 

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”虐待を無くしたい”
そう決意したものの、実際になにをしたらいいのか分からない。
知識もコネも無い僕は、まずはブログにより細かい生い立ちを書き始めました。
 

ブログを一通り書いて、

その先をどうすればいいかで行き詰った僕は

気晴らしに図書館に行きました。
すると、図書館の入り口に置いてあるチラシで、

地域のボランティアセンターという所で
色々な活動の相談に乗ってくれるとの情報を知りました。
早速僕は、そのボランティアセンターへ行ってみました。

”虐待をなくしたいと思っているのですが、どうしたらいいですか?”

窓口に行った僕は、開口一番にそう言いました。
こんなざっくりとした相談だったにも関わらず、
担当の方はすごく親身に相談に乗ってくれました。
話していて、まずは色々な関係者に会って
現場を見て情報収集したらどうか?という話になり
早速その担当の方が児童養護施設の施設長を紹介してくれました。
更にはその施設長が、子どもたちの支援をしている
NPO団体の代表の方を紹介してくれました。
具体的なプランなんてなにもありません。
持っているのは虐待をなくしたいという使命感だけです。

最初の一歩を踏み出せた僕は、一気にスイッチが入りました。
仕事の休みを利用して、他の児童養護施設やNPO団体に
アポイントを取って会いに行きました。
時には冷たく断られることもありましたが、
そんなことを気にもせずに動いていました。

更には、ブログの読者さんと会ったり、メッセージでのやり取りもして
また虐待関係のイベントなども積極的に参加しました。
色々話を聞いている中で、ホームレスには意外にも若者がいて
更には児童養護施設出身者が結構いるとの話を聞いたため、
炊き出しをやっている団体でのボランティアに参加したり、
食品を生活困窮者に配っている団体のボランティアに参加したりもしました。

この頃の僕は、とにかく外に出て色々な場所に足を運んでいました。
 

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”今、直面している自分の悩みを解決できるかも”
そんな思いで迷うことなく入塾を決めたものの、
冷静に考えれば考えるほどこの塾ってかなり胡散臭い。
ちょっとでも怪しい塾だったらすぐ辞めよう。

そう思いながら半信半疑で通い始めましたが、
そんな不安は間もなく吹き飛びました。

そこでの講義内容はどれも新鮮で、
気が付くと夢中になって学んでいる自分がいました。
同じ塾に通う様々な志を持った仲間たちとの出会いもとても貴重でした。

塾に通い始めてあっという間に3か月が経ち、

カリキュラムも終盤に差し掛かってきたある日、
『自分年表作成講座』という講義がありました。

その講義は、自分の生い立ちを年表のような紙に書きだして、

最後に皆でそれぞれの生い立ちについてや、感想などをシェアするという内容です。

僕はそこで、初めて自分の生い立ちを紙に書き出すという体験をしました。
大人数の前で、生い立ちについてを細かく話したのも
おそらくこの時が初めてでした。

僕は成人以降くらいから、人に生い立ちを話すことは避けていました。
どう考えても普通とは言えない僕の家庭の話を聞いたところで、
それに対してどう答えていいか分からなくて、

聞いた人をかえって困らせてしまうのではないかと思っていたからです。

かといって『かわいそう』だとか『それ分かるよ~』などの
軽々しい同情の言葉を掛けられるのも嫌でしたし、
『親を悪く言ったら駄目だよ~!』とか『親は親なんだから感謝しなきゃ駄目だよ!』
そんな事を言われて傷ついたこともこれまで何回もありました。

でも自分年表を作って、受講生に話をしたこの時の周りの反応は違いました。

『よくここまで立派な人になられましたね。』
『生き延びてここまで来ることができて本当に良かったですね。』
などの言葉をみんなが掛けてくれました。
これまでにない反応に僕は正直戸惑いました。

その日、家に帰り改めて自分年表を眺めてみました。
素直に思ったのは、
”オレって本当に酷い家庭環境で育ったのに、
確かによくここまで生きてきたよなぁ…。”
と思いました。

家庭環境はもちろんのこと、
それ以外でも命の危険を感じるような出来事は、実は今まで結構あったのです。
それでも今…こうして生きている。

しばらくぼーっとそんなことを考えた後に、ふと思いました。

オレって…もしかして生きてきたのではなく、
”生かされてきた” のかな…?と。

でも…それは誰によって…?
そう問いかけました。
僕は、亡くなった弟の隆(たかし)に生かされているのだと即座に思いました。

では何故、隆は僕を生かしてきたのか?
再び問いかけました。
それもまた即座に思いました。

『虐待で僕のように命を落とす子どもを減らしてほしい』
 

たった4年でこの世を去った隆が、

僕に対してその思いに気付いて欲しくて、
ここまで僕を生かしてきてくれたのではないかと思いました。

これまでのモヤモヤがすっと晴れていきました。

 

”なんでもっと早く気が付かなかったんだろう…そんな事に…。
そっか…そういうことか…。隆はここまでオレを守ってくれてたんだね…ありがとう。
これからは隆の思いと共に自分の力でしっかり生きていくよ。”


僕は、亡くなった弟の”隆”の字と
隆の思いと共に”生きる”という決意を込めて
”橋本隆生”という名で、このブログを書き始めました。

これが橋本隆生という名前が誕生したきっかけです。
「橋本隆生」という名前について(過去の記事)

 

虐待をなくすために、自分にできることなんて

きっと本当に本当にちっぽけだ。
でも…それでも、できることを精一杯やりたい。

それが僕の命の使い方、”使命”であると信じて。

 

ここから橋本隆生の活動が始まりました。

 

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どうすれば自分自身と向き合えるのか?
そんなことを漠然と考えていた時に、
ある講座のタイトルが目につきました。

”親孝行ビジネスセミナー”

親孝行なんて無縁の僕が、
不思議と導かれるようにそのセミナーを申し込んでいました。
セミナーの日は大雨。その影響もあってか、セミナーの参加者は僕一人でした。
講師の中村さんは、参加者が一人ということは初めてです、と仰っていました。

結論から言うと、親孝行ビジネスの話はほとんどすることはなかったのですが、
この日の講師だった中村さんとの出会いは
その後の人生を大きく変えていくきっかけになりました。

『橋本さんは今までどんな人生を送ってきたのかな?』

中村さんにそう聞かれて、僕は何の抵抗もなく
育った家庭の話やこれまでの悩み、今直面している悩みなどを話しました。

これまで誰にも言えなかった思いや不満など話が止まりませんでした。

それはまるで今までの思いの全てを吐き出すかのように。

一通り話を終えた後、しばらく沈黙してから中村さんはこう言いました。

『橋本さんにしかできないことは絶対にあるよね。そして既に答えはもう出ているよね。』
それから数か月後、中村さんからある塾を開設するので

そこで学んでみないか?という連絡がきました。
”橋本にしかできないこととは?”

その答えを知るためのきっかけに間違いなくなるし、

自分自身を知ることもできるから、と。
 

僕は迷うことなくその塾に入ることを決めました。

しかし肝心なことを忘れていました。料金です。

こういう系の塾は絶対に高い…。

これまでの経験上、そう思っていた僕は

おそるおそる中村さんに聞きました。

『ちなみに…料金はいくら位かかるのでしょうか…?』

 

中村さんはにこやかにこう言いました。
『この塾で学ぶことは、親が本来子どもに教えるべき”親子教育”をイメージしているんだよ。
親が子どもに教育してもお金は取らないよね?だからこの塾もお金は取らないんだよ。

この塾は全て私が自腹を切って運営します。日本の教育を変えたいのです。』

なんだかよく分からないけど、

この人なんか凄い人なのかも…人として。
そう思いました。


でも一体どんなことを学ぶのだろう…
どんな塾生が来るんだろう…
怪しい洗脳団体だったらどうしよう…

 

期待混じりの不安を感じながら
その塾での講義が始まる日を待ちました。

後編へ続く

 

⇒これまでの生い立ち

 

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