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虐待を受けて育った人のブログ

僕は父と継母に虐待を10年以上受け続けて育ちました。児童相談所や児童養護施設を経て社会に出てからも葛藤の連続でした。そんな僕の過去と現在について書いています。

講演会等の際にいただいたご質問で、時間の関係などでお答えすることができなかった質問に今後はこちらで回答させていただきます。せっかくいただいた質問ですし、内容によっては他の方も知りたいかもしれないと思ったので、このような形にしました。

 

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【質問】

実弟が目の前で死別した時のトラウマとかって何かありましたか。

【回答】

救急車のサイレンの音を聞いたり、サイレンを見ると少しばかり胸がざわつきます。隆が亡くなったあの日、裸足で外に出て大声で泣きながら救急車を待っていたことが残っているのかなって思います。

 


【質問】

なぜ今の職に?

【回答】

現在、介護会社で人事や広報に関わる仕事をしています。介護業界に入ったのは約10年前ですが、もともとは19歳の頃に『人に必要とされる仕事をしたい』と思ってホームヘルパーの資格を取ったのが最初です。親にも邪魔者扱いをされて、それ以降も誰にも必要とされていない人生だったので『誰かに必要とされたい』と潜在的に望んでいたんじゃないかなと思います。

 


【質問】

どうやってご結婚を?
【回答】

まず、相手の親に生い立ちを話すかどうかでとても悩みました。とはいえ、結婚なので隠し切ることは難しいと判断し、勇気を出してカミングアウトしました。駄目と言われたらその時考えようって。ありがたいことに、相手の親が寛容な方だったので無事に結婚を認めてもらったという感じです。

 

 

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先日、茨城でお話をさせてもらいました。そして一つ願いが叶いました。
というのも、話はさかのぼって中1~中2の家出を繰り返していた頃に僕は茨城に行きました。その頃は栃木に住んでいましたが、隣の県である茨城までわざわざ行ったのです。なぜか?

僕は小学生の頃、転勤が多くて6年間で5回も引っ越しをしています。性格的な問題もあり転勤も多いので、本当に友達ができませんでした。そんな中、小学5年生の頃に数か月だけ住んでいた茨城は不思議と友達が沢山できて、クラスのみんなもすごく温かかった。子ども会の活動も盛んで地域との交流機会も多かった。この頃って作文や読書感想文で賞を取ったり、持久走の地区代表候補になったりと色々な才能が開花しかけていた時期だったのですが、それは今思うと環境のお陰かもしれません。
そんな思い出が詰まった土地である茨城にふらっと行ってみたくなった。だから家出して茨城に行ったのだと思います。

とはいえ、あてもない僕は当然野宿。水戸市にある千波公園の電話BOXで寝ようとしていました。その公園は大きめの公園で、暴走族らしき人達が集まっていました。その様子をぼんやりと眺めていると、1人の大きい男の人が寄ってきて、電話BOXをコンコンとノックしました。「なんでこんな所で寝てんだい?帰る所…ないのか?お前も大変だな…。これで何か食べろ。な!」と言って1万円を僕の手に握らせて、小走りで立ち去っていきました。
その時の僕は、行くところもお金もなく心が冷え切っていました。いつ死んでも、いつ殺されても構わないと本気で思っていました。誰からも必要とされていないし、誰も悲しまない、生きる意味がない…って本気で思っていました。一方で、矛盾していますが温かい言葉に飢えていたとも思います。だから…あの時あの言葉にどれほど助けられたことか…。
それから僕は茨城が大好きになりました。本当はその人にお礼を言いたいのですが、それはなかなか難しい。いつか茨城でお話しする機会があった時は、絶対にこのエピソードを話そう、そしてお礼を言おうって心に決めていました。講演活動を初めて10年の月日が経ってやっとその願いが叶いました。本当にありがたいって思いました。


 

 

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【質問】
講演や他の人に自分の生い立ちや受けてきたことを話せるようになるまで、どのくらいかかりましたか。

【回答】

虐待を受けていた時期が5歳~14歳で、話せるようになったのは33歳の頃からです。自分年表を作成するワークが大きなきっかけになりました。

 

 

【質問】

自分自身のこれまでの経験を糧に強く生きていることに感動しました。親への復讐の感情はどの段階で消えていったのか。自分の子どもとはどの様に向き合っているのか。

【回答】

親へ復讐するという感情は17歳の頃から消えていきました。その頃は、全寮制の高校に行ってたのですが、友達とか恋愛とかバンドとか夢中になれるものに囲まれている時期でした。皆と同じ、”普通の生活”に限りなく近かったというのも大きな理由になっていたと思います。

 

 

【質問】

声をかけてきた大人のところに泊まったとは、妙なことされないのですか?
【回答】

今思うと、妙なことをされていたと思います。法に触れることはもちろんありませんが。当時、私と同じように家出しているのかな?と思われる中高生が集まる”溜まり場”がありました。そこは大きなゲームセンター横の広場っぽい所で、今でいう新宿のあの場所がとても似ているなと思いました。一人一人の事情はもちろん分からないし、会話する訳でもないのですがその場の空気感がなんとなく居心地が良かったことを覚えています。その溜まり場では、色々な大人が話しかけてきます。その大人とどこかへ行ってしまう人もいました。優しさに飢えていたその時の私は、来るもの拒まずのスタンスでした。悪い人に声を掛けられたとしても優しさに飢えている私はきっと付いて行ったと思います。

 

 

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先日、YouTube動画をアップしました。

人生をリスタートさせた方をご紹介するコーナーで、今回のゲストは少年院や刑務所から出所した方を受け入れる自立準備ホームを立ち上げた、一般社団法人 希望への道 代表の遊佐学さんです。

 

 

動画の35分辺りで『誰によって生かされているかに気が付いた』という話があるのですが、その話がとても印象的でした。僕も誰によって生かされてきたか?生かされている理由は何なのか?についてを理解できたことが現在の活動のきっかけになったからです。

 

”誰によって生かされてきたか?生かされている理由は何なのか?”

僕は、虐待でこの世を去った隆によって生かされてきた。

そして虐待体験を生かして世の中の役に立ってほしい。

ということが生かされている理由だと思って現在の活動をしている訳ですが、

正直それが本当かどうかは誰にも分からないことですよね。

そもそも隆以前に、命のバトンを繋いでくれたご先祖様がいる訳ですし。

 

結局のところ、自分にとって腑に落ちるような解釈をしているだけなんですよね。

要は、答えは自分自身で決めていい、ということなのかなぁって。

 

今回の動画を観てそんなことを感じました。

 

 

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幼少期の辛かった時期に、優しくしてくれた数少ない大人だった継母の母親…おばあちゃんの

言葉について改めて考えてみました。

 

"隆生は隆生らしく精一杯生きなさい。

親に沢山酷いことされてきて、本当に辛かったと思うけど

恨むだけでは何も生み出さないんだよ…"

⇒ばあちゃん(30~31歳)

 

この言葉を言われた当時、本当に意味が分からなかったです。

あの両親…父と継母に恨み以外の何の感情を持てるって言うのだろう?

とても疑問でした。

 

でもあれから、10年以上かかってやっと分かりました。

”虐待された”という事実を正面から見たら、やっぱり恨みしかない。

でも正面ではない位置、例えば父親目線で考えたらどうだろう?

継母目線で考えたらどうだろう?外部目線で考えたらどうだろう?

色々なことが想像できるんです。

父親と再会した時も、親目線で話を聞いたから共感できたし、父も涙を流した。恨みだけで会っていたらきっとそうはなっていなかった。っていうかそもそも会っていなかったと思う。

⇒父と会う、再び。(38歳)

 

おばあちゃんは、

『親にされた酷いことを違った角度から見れば、何かを生み出せるかもしれないよ?』

ってことを言いたかったんじゃないかなと思う。でも、当時にその答えを言ったところで、きっと僕には理解できなかった。だからあえてあんな言い方をした。宿題風な感じで。

すげーな…おばあちゃん。でもありがとう。

 

捉え方を変えるって、とっても大切。とはいえ簡単なことではないと思う。

でも捉え方を変えることができれば、人はいつからでも変われると信じている。

そう信じなきゃ毒親育ちの人はやってられないよ。生まれた時点で外れなんだもん。

 

少しでも役に立ちたい。やっぱりその想いは変わらない。隆もそれを望んでいるはず。

 

2025年から、また新しいチャレンジをしようと思っています。

 

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