虐待を受けて育った人のブログ -12ページ目

虐待を受けて育った人のブログ

僕は父と継母に虐待を10年以上受け続けて育ちました。児童相談所や児童養護施設を経て社会に出てからも葛藤の連続でした。そんな僕の過去と現在について書いています。

中学三年生になった僕は、進路でとても悩みました。
早く自分で金を稼ぎたいと思っていた僕は、最初は就職する気でした。
でも、施設を出ていった先輩達はほぼみんな1年も続かないで仕事を辞めていること、
行方不明になっている先輩もいるということを知っていました。
 
高校は出たほうがいいと思う” 
学校の友達はみんなそう言いますが、勉強する目的がなかった僕は進学は気乗りしませんでした。
そもそも授業についていけてないし。
選択肢は3つ。
①施設から高校に通う
②家から高校に通う
③就職して施設を出る。
正直どれも微妙だなと思っていました。
 
悩んでいたある日、学校の掲示板に貼られていたチラシが目に入りました。
”住み込み可
”高校卒業資格取得可能”
これだ!と思った僕は、詳細を確認することなく、
すぐに申し込みをして試験を受けて無事に入学が決まりました。
 
こうして僕は、中学を卒業し
神奈川県の学校に働きながら通うことになりました。
 

 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

児童養護施設は、大まかに一日のスケジュールが決まっていました。
色々とルールはありましたが、家に比べれば何倍もマシでした。
”勉強の時間”というものもあるのですが、
勉強を教えてくれる人がいる訳ではないので、基本は自習です。
雑談で終わっている勉強の時間は、意味のないものでした。
 
施設に入っている子たちはほとんどが勉強嫌いでした。
学校の授業についていけないからです。
僕も施設に入るまでの1~2か月は学校に行っていなかったので
その間に授業に全くついていけなくなりました。
僕たちは、生きていくうえで勉強は必要ないと思っていました。
なぜなら”中卒で就職”という選択をする子が多かったからです。
卒園生はほとんどが中卒で就職をしているのですが、
施設の子たちはそんな先輩達に憧れていました。
”早く自分で金を稼ぎたい”
給料がもらえて住み込みで働ける仕事なら、仕事内容なんてなんでもいい。
そう思っている子たちがほとんどでした。
 
施設での僕は孤立していました。 

気に入らない奴は暴力で押さえつけていたからです。

まるで父を殺す練習をするかのように、徹底的に相手を痛めつけました。

さらに”大人は信用できない” と心底思っていた僕は
施設の職員に対しても心を開くことはありませんでした。

僕が入っていた児童養護施設は、職員の暴力行為は日常的にありました。
”お仕置き”という名の暴力行為が行われるのは風呂場がほとんどです。
施設のお風呂場は広くて鍵も閉めらるので、誰かに見られる心配もないからでしょう。
誰かが風呂場に連れていかれてたら、間違いなく殴られています。
そんな様子を見て、”やっぱり大人はクソばかりだ…”といつも思っていました。
 
 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

中学生になって間もなく友達ができました。

その友達は同じクラスのN君で、不良グループのリーダーでした。
小学校が同じで、家が近所だったことがきっかけで向うから話しかけてくれたのです。

何度かN君の家に遊びに行ったことがあるのですが、N君の家もまた複雑な家庭環境でした。

包み隠さずに家のことを話ししてくれたN君に僕は心を開きました。
友達ができたことで僕の心が少しずつ穏やかになろうとしていた時、事件が起きました

 

ある日、いつものようにN君に話しかけたのですが何かが違う。

どことなくそっけないというか、よそよそしいというか。

数日後、別の友達にその理由を聞いたところ

実はN君が僕の家に電話かけたとき父に、

『ウチの子と二度と付き合うな!』と怒鳴られたそうです。
それを知った僕は大きなショックと激しい怒りで、生まれて初めて父を怒鳴りました。

『なんでそんなことをしたんだ!!』と。

実は以前に、僕とN君が歩いているところを継母が告げ口していたそうです。

『アイツ不良と付き合ってるよ』と。

怒鳴られた父は、たちまち逆上し怒り狂いました。
『お前みたいな奴は殺してやる!』
包丁を持ち出した父の表情を見て、本当に殺されると思いました。
 
『どうなってんだ!この家は!』と吐き捨てて、僕は逃げるように家を飛び出しました。
これが初めての家出でした。結局は警察に補導されて家に戻されるのですが、
それをきっかけに僕は、夜遊びや家出を繰り返すようになりました。
同じように街をフラフラしている名前も知らない人達とつるみ色々なことをしました。
生きていくためなのだから仕方がないと割り切って。
 
そして何回か補導をされた後に、児童相談所の一時保護所に入りました。

警察に補導された時に、殴られるから帰りたくないと何度訴えても家に帰され続けた僕は、

ある日ヤケクソで怒鳴りました。

『家に帰ればアイツにまた殴られる・・・。どうしても家に帰すというなら人を殺して鑑別所に入ります。』

それでようやく一時保護所に入ることができたわけです。

でも、一時保護所も結局は数週間で帰されてしますので、家に戻されたらまた家出をします。

こうして一時保護所への入退所を2回繰り返した後に、

最終的には児童養護施設に入ることになりました。中学2年生の夏頃でした。

 

入所した児童養護施設は、住んでいた所から車で1時間程の山奥。

転校することに、ためらいはありませんでした。

なにもかも失っていた僕は、全てがどうでも良くなっていました。

 

施設に入ってしばらくして僕は固く決意をしました。

『アイツ等(父と継母)に絶対に復讐してやる・・・絶対に殺してやる・・・弟の仇をとってやる!』

その怒りが、この頃の僕の生きる目的となっていました。

 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

茨城から栃木へ引っ越しをしました。
小学6年間での引っ越しはこれで5回目となっていました。

 

”幼なじみ” とか、”親友” という存在が羨ましいな、と心底思いました。

”お母さんが戻ってきて欲しい…”

”隆が生き返ってほしい…”

”優しいお父さんとお母さんがいる家庭に生まれたい”

色々な事を願っても、叶うことはなにもなくて。

考えると悲しくなっていました。

 

色々な事を諦めてしまったこの頃の僕は、

なぜ生きているのか?をぼんやりと考えることが増えてきました。
ある日、父に殴られて目の下が切れて出血をしました。
ポタポタと床に落ちる血を怖くなった僕は、家を飛び出していました。

痛みと悲しさで涙が止まりませんでした。気が付くと僕は通学路の歩道橋の上にいました。

 

”もう死にたい…”

僕は、歩道橋から飛び降りようとしましたが、最後の一歩を踏み出すことができませんでした。

やけになった僕は、手首を切ろうとしたり、首を吊ろうとしましたが全部失敗。

 

願っても叶うことが何もない上に、死ぬことさえできない自分自身が嫌いで仕方がありませんでした。

 


カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

福島から茨城へ引っ越しをしました。
せっかくできた友達とも1年もしない内にお別れ。

引っ越しばかりで本当に嫌でしたが、コミュニケーションが取れるようになってきた僕は

転校先でも比較的すぐに友達はできました。

この頃の僕は、あることを考えていました。

『どうすればお父さんと、お母さんが沢山褒めてくれるんだろう…』 ということです。

僕はお父さんと継母に受け入れられたいという気持ちを、まだ諦めていませんでした。

考えた末に思いついたのは、どんなことでも従う事。絶対服従をすることです。

そして勉強を頑張ってテストで100点を沢山取ること。

それしかないと思った僕はその後、親の言う事はどんなことでも従いました。

勉強を頑張って100点も沢山も取りました。

『少年の主張』という作文コンクールで賞を取ったり、マラソンの学校代表に選ばれたこともありました。

 

しかし、お父さんも継母は変わることはありませんでした。

 

ある日、ゴミ袋に僕の100点のテストが捨ててありました。

僕はそのテストを無言で見つめながら思いました

”もう頑張るのは疲れた…”

その日から僕は勉強をしなくなり、色々な事へのやる気がなくなってしまいました。

 

 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆