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気に入らない奴は暴力で押さえつけていたからです。
まるで父を殺す練習をするかのように、徹底的に相手を痛めつけました。
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中学生になって間もなく友達ができました。
その友達は同じクラスのN君で、不良グループのリーダーでした。
小学校が同じで、家が近所だったことがきっかけで向うから話しかけてくれたのです。
何度かN君の家に遊びに行ったことがあるのですが、N君の家もまた複雑な家庭環境でした。
包み隠さずに家のことを話ししてくれたN君に僕は心を開きました。
友達ができたことで僕の心が少しずつ穏やかになろうとしていた時、事件が起きました
ある日、いつものようにN君に話しかけたのですが何かが違う。
どことなくそっけないというか、よそよそしいというか。
数日後、別の友達にその理由を聞いたところ
実はN君が僕の家に電話かけたとき父に、
『ウチの子と二度と付き合うな!』と怒鳴られたそうです。
それを知った僕は大きなショックと激しい怒りで、生まれて初めて父を怒鳴りました。
『なんでそんなことをしたんだ!!』と。
実は以前に、僕とN君が歩いているところを継母が告げ口していたそうです。
『アイツ不良と付き合ってるよ』と。
警察に補導された時に、殴られるから帰りたくないと何度訴えても家に帰され続けた僕は、
ある日ヤケクソで怒鳴りました。
『家に帰ればアイツにまた殴られる・・・。どうしても家に帰すというなら人を殺して鑑別所に入ります。』
それでようやく一時保護所に入ることができたわけです。
でも、一時保護所も結局は数週間で帰されてしますので、家に戻されたらまた家出をします。
こうして一時保護所への入退所を2回繰り返した後に、
最終的には児童養護施設に入ることになりました。中学2年生の夏頃でした。
入所した児童養護施設は、住んでいた所から車で1時間程の山奥。
転校することに、ためらいはありませんでした。
なにもかも失っていた僕は、全てがどうでも良くなっていました。
施設に入ってしばらくして僕は固く決意をしました。
『アイツ等(父と継母)に絶対に復讐してやる・・・絶対に殺してやる・・・弟の仇をとってやる!』
その怒りが、この頃の僕の生きる目的となっていました。
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茨城から栃木へ引っ越しをしました。
小学6年間での引っ越しはこれで5回目となっていました。
”幼なじみ” とか、”親友” という存在が羨ましいな、と心底思いました。
”お母さんが戻ってきて欲しい…”
”隆が生き返ってほしい…”
”優しいお父さんとお母さんがいる家庭に生まれたい”
色々な事を願っても、叶うことはなにもなくて。
考えると悲しくなっていました。
色々な事を諦めてしまったこの頃の僕は、
なぜ生きているのか?をぼんやりと考えることが増えてきました。
ある日、父に殴られて目の下が切れて出血をしました。
ポタポタと床に落ちる血を怖くなった僕は、家を飛び出していました。
痛みと悲しさで涙が止まりませんでした。気が付くと僕は通学路の歩道橋の上にいました。
”もう死にたい…”
僕は、歩道橋から飛び降りようとしましたが、最後の一歩を踏み出すことができませんでした。
やけになった僕は、手首を切ろうとしたり、首を吊ろうとしましたが全部失敗。
願っても叶うことが何もない上に、死ぬことさえできない自分自身が嫌いで仕方がありませんでした。
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福島から茨城へ引っ越しをしました。
せっかくできた友達とも1年もしない内にお別れ。
引っ越しばかりで本当に嫌でしたが、コミュニケーションが取れるようになってきた僕は
転校先でも比較的すぐに友達はできました。
この頃の僕は、あることを考えていました。
『どうすればお父さんと、お母さんが沢山褒めてくれるんだろう…』 ということです。
僕はお父さんと継母に受け入れられたいという気持ちを、まだ諦めていませんでした。
考えた末に思いついたのは、どんなことでも従う事。絶対服従をすることです。
そして勉強を頑張ってテストで100点を沢山取ること。
それしかないと思った僕はその後、親の言う事はどんなことでも従いました。
勉強を頑張って100点も沢山も取りました。
『少年の主張』という作文コンクールで賞を取ったり、マラソンの学校代表に選ばれたこともありました。
しかし、お父さんも継母は変わることはありませんでした。
ある日、ゴミ袋に僕の100点のテストが捨ててありました。
僕はそのテストを無言で見つめながら思いました
”もう頑張るのは疲れた…”
その日から僕は勉強をしなくなり、色々な事へのやる気がなくなってしまいました。
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