虐待を受けて育った人のブログ -11ページ目

虐待を受けて育った人のブログ

僕は父と継母に虐待を10年以上受け続けて育ちました。児童相談所や児童養護施設を経て社会に出てからも葛藤の連続でした。そんな僕の過去と現在について書いています。

心の中で渦巻く色々なモヤモヤや疑問。

そしてお金がないと生きていけないという事実。

なんとか仕事を続けなきゃと必死になっていたある日、

会社からある書類の提出を求められました。

 

『身元保証書』です。
親や兄弟などに書いてもらうのが一般的だと思います。僕は上司に聞きました。

僕:あの…やっぱりこれって親に書いてもらうものですよね…?

上司:当たり前だろ!ご両親は健在なんだろ?

僕:………。まぁ…そうですね。ただあまり仲良くなくて…。

上司:どんな親でも、親は親。感謝をしなきゃ駄目だぞ!きちんと会って話をしてこい!

僕:……。は…はあ。分かりました。

親との関係を話すこともできない僕は、そう答えるしかありませんでした。
”親には感謝しろ”
”親の事を悪く言ったら駄目”
”親孝行しろ”
『普通』の人達からよく言われる言葉の数々。

”またこれか…。もうウンザリなんだよ…”

心の中でいつもそう思っていました。


身元保証書を会社に提出しなきゃいけない僕は困りました。
住居の契約は保証会社を使ってなんとか乗り切れたのですが、今度ばかりはそうはいきません。

仕方ない…本当に仕方ない…会うか。
親の電話番号は知っていたので、連絡をして親に会いに行きました。
話すのも会うのも、おそらく10年ぶり位。

久しぶりに会った父と継母。胸がゾワゾワっとしました。

そして心の奥から湧き出る黒い感情。殴りたい気持ちを抑えて、簡潔に用件を伝えて

身元保証書はなんとか書いてもらうことができました。
とはいえ、書いてもらって、『ハイ、さよなら!』とはいきません。
父は色々と聞いてきました。

父:お前、今なにやってるんだ?
 

僕:……。まぁ普通に働いているよ。
 

父:今は何しようが勝手だが、お前にはいつかオレの会社を継いでもらうからな!
 

僕:は…?
 

父:今までお前は好き勝手に生きてきたんだし、いい加減に落ち着け。
 

僕:好き勝手…?あの…好き勝手なことをしてきたと思ってるの?

父:そりゃそうだろ!高校出てからフラフラ遊んでたんだろ?

だいたい児童養護施設だって沢山金がかかったんだ。、
 

僕:あのさ…本当うるさいよ…。今までどんな思いをして生きてきたと思ってんの…?

父:なに…!お前、親に向かってなんだその口の聞き方は!?

僕:あぁーーーー!もう…本当この家無理。もう二度と帰らねーわ!お前らもさっさとくたばれ!!クソ!!

そう言い放って僕は家を飛び出しました。怒りをぶつけるかの如く全力で走りました。
これまでの辛かったことが一気に溢れ出てきました。

 

小学生の頃、たまらなく人の家庭が羨ましいと思ったこと。

自殺したくてもできなかった自分自身への怒り。
中学生の頃、電話ボックスで震えながら野宿したこと。
食べる物がなくて道に落ちている食べ物を口にした時のこと。施設で嫌だったこと。
親についてを人に話せないこと。

僕は、今回会って親さえ変わってくれば…
そして今までの事も謝ってくれれば…本当はこの時に、親と和解したかったのだと思います。
親戚も全くいない僕は、本当に本当に頼れる存在がいません。
それを考えると凄く絶望的な気持ちになります。
親に頼らず一人で生きていくことの限界を感じていました。
どんな親でも…どんなクソみたいな親でも…残念ながら親は親。
認めたくないけど認めるしかない位追い込まれていたのです。全てにおいて。
 

でも、”親と和解したい”そんな思いは粉々に砕けました。
そんな甘い考えをしてしまった自分に本当に腹が立ちました。

もう絶対に…絶対に親とは会わない。この時、固く決意しました。

 

 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

”とにかくバンドをやりたい!”
その思いが強すぎたためか、メンバーとの衝突はしょっちゅうありました。

なによりもバンド活動を優先していた僕にとって、

中途半端な気持ちでバンドやっている人を見るとイラついてしまうのです。
でも、そこまでしているのに思うようにいかない。

思いが空回りしていた僕はそれに気が付くこともなく

焦る気持ちを抱えながらバンドを続けていました。
 

バンドで思うように前に進むことができなかった24歳の頃、

当時組んでいたバンドの解散をきっかけに夢は諦めて就職をしました。

しかし今度は職場での人間関係に悩みました。

自分に自信がなかった僕は、仕事で少し叱られただけで

立ち直れない位に落ち込んでしまうのです。

自分自身のことが分からない…っていうかなにがしたいの?
将来どうなりたいの?そもそも君は何ができるの?
普通の家庭で育っていない自分は人として決定的に足りないなにかがあるのでは…?
頼れる大人がいない…帰れる家がない…親という絶対的な後ろ盾がない…
お前は人間のクズ…社会不適合者…不良品…
 

誰にも話せない思いを抱えていた僕は、完全に行き詰っていました。
 

 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

”住み込みで働けるから”
それだけで決めた新聞配達の仕事。
決して楽ではありませんでしたが、職場に気の合う同年代が多かったのが救いでした。

仕事が少し落ち着いてきた頃、再びバンド活動を始めたのですが
ある日、市民まつりのイベントで400人くらい入る少し大きめなホールで

ライブをやる機会がありました。

そのライブは、これまでに経験したことがない位の

沢山のお客さんを目の前にしてのライブでした。
決して上手とはいえない演奏でしたが、演奏が終わった後にお客さんから一斉の拍手が。
 

生まれて初めてもらった拍手。

もちろん僕に対しての拍手ではありませんが、素直に嬉しかった瞬間でした。


僕は、これをきっかけにバンドやりたい熱が一気に高まりました。
もっと練習したい…もっと上手くなりたい…もっと沢山ライブをしたい。
その事しか頭になかった僕は、周りの人の色々なサポートのお陰で

アパートを借りて新聞配達の仕事を辞めました。

ここから24歳までの数年間は、
アルバイトをしながらとにかくバンドに夢中になっていた時期でした。

 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

高校2年から卒業までは、楽しかったせいか駆け抜けるように過ぎ去っていきました。

15歳から住み始めた神奈川にもすっかり馴染んでいましたし、

就職難と言われていた当時に就職先も既に決まっており、

全てが順調に進むはずでした。

しかし、卒業して数か月後に僕はあっさりと仕事を辞めてしまいました。
”何か他のやりたいことがある訳でもないが、なんとなくやる気が起きない。”
そんな無気力な状態になってしまったのです。
辞めることでまず問題になるのが住居。
社員寮に入っていた為、仕事を辞めれば当然寮も追い出されることになります。
寮付きの仕事…となると選択肢は限られてきます。

特にやりたい仕事がある訳でもない僕は、

施設時代の友達の家に居候してフラフラとしていました。
その友達も無職だったので、お金がなくなった僕たちは 仕方なく仕事を探すことに。
条件は、”悪いことでもなんでもいいので、楽して稼げる仕事”
怪しい仕事も少しやりましたが、最終的には新聞配達をやることにしました。

住み込みで働ける仕事なら何でも良かったのです。

 

住居がない、そして帰る場所がないことの大変さをこの頃痛感していました。

 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

施設を退所して、神奈川での新しい生活が始まりました。
最初は期待しかありませんでしたが、始まって早々に色々な現実を思い知らされました。
厳しい上下関係…働くことの大変さ…慣れない土地に住むストレス。
働きながら学校に通うということを甘く考えていたことに気付かされました。
1年の内に学校を辞めてしまう人も何人もいて、僕も正直何度も辞めたいと思いましたが、
辞めたところで帰る場所がない僕はやるしかありませんでした。
一度だけ施設に行ったことがありましたが、特に歓迎されるわけでもなく、
『ちょっと待ってて』と言われた僕は職員室で待たされ続けました。
施設にいた時、職員との関係が良好ではなかったとはいえ、
それでも卒園したら温かく迎えてもらえるかも…と淡い期待をしていた自分自身に腹が立ちました。
”もう二度とここには来ない”と固く決意した僕は、そっとお土産を置いて帰りました。
 
高校2年生になって僕は、楽器のドラムを始めて同級生とバンドを組みました。
この頃はバンドに夢中になりました。
学校以外の人達ともバンドをやりたい、と思い積極的に外の世界へと飛び出して行きました。

”親を殺してやる”という気持ちはこの頃から少しづつ薄れていました。
 

カウンセリングについてのご案内


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これまでのご質問はこちらです

これまでの生い立ち
活動実績

Reスタートチャンネル(YouTube)
 

◎虐待を受けてきた人限定のLINEグループを作りました。
⇒ご興味がある方は、こちらからお問い合わせください

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆