「出雲国風土記」その9 | はしの蓮のブログ

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はしの蓮です。古代史、古事記、日本神話などや日々のちょっとした出来事、気づいたことをブログに綴っていこうと思っています。また、民話や伝説なども研究していきます。

 

「島根郡(しまねのこおり)の条」

 

 

方結郷(かたゆいのごう)

 

(原文)

「須佐能袁命御子 国忍別命詔 吾敷坐地者 国形宜者 故云方結」

(すさのおのみことのみこ、くにおしわけのみことがおっしゃるには あがしきますちは くにのかたちむべなるもの ゆえにかたゆいという)

 

(現代文)

「スサノオの御子、国忍別命がおっしゃるには 『私が治めるこの地は 国の形がとても良い』 ゆえに方結という」

 

 

※方結(かたゆい)とは、方(かた)が結んでいる(完結している)ということ。すなわち形が良いということ。

※国忍別命…スサノオの子。『古事記』には登場しない。

 

 

 

加賀郷(かかのごう)

 

(原文)

「佐太大神所生也 御祖神魂命御子 支佐加比売命 闇岩屋哉詔 金弓以射給時 光加加明也 故云加加 神亀三年改字加賀」

(さたのおおかみあれますところなり みおやかむむすひのみことのみこ きさかひめのみこと くらいいわやとのりて かなゆみをもっていたまいしとき ひかりかかあけるなり ゆえにかかという 神亀三年に字を加賀に改む)

 

(現代文)

「佐太大神がお生まれになったところである。御親カムムスヒの御子キサカヒメが『ここの岩屋は暗い』とおっしゃって金の弓矢を射られたとき、岩屋は光り輝きました。ゆえに加加(かか)という。神亀三年に字を加賀に改める)」

 

 

ここに『古事記』に語られていない佐太大神(猿田彦大神)の出自が記されています。つまりカムムスヒの子(娘)であるキサカヒメの御子が佐太大神(サルタヒコ)なのです。

このキサカヒメは、死んだオオクニヌシをカムムスヒの命によって甦らせた赤貝の神なのです。(『古事記』)

そして次に、「島根郡の条」にある「島根郡の海岸地形」の「加賀神埼」に語られている佐太大神の伝説(神話)を紹介しましょう。

 

 

 

加賀神埼(かかのかんざき)

 

(原文)

「所謂佐太大神所産坐也 所産生臨時 弓箭亡坐 爾時 御祖神魂命御子 枳佐加比売命願 吾御子 麻須羅神御子坐者 所亡弓箭 出来願坐 爾時 角弓箭 隨水流出 爾時 取弓詔 此弓者 非吾弓箭詔而 擲廃給 又 金弓箭流出来 即待取之坐而 闇鬱窟哉詔而 射通坐 即 御祖支佐加比売命社 坐此処 今人 是窟辺行時 必声磅砒而行 若密行者 神現而 飄風起 行船者必覆」

(いわゆるさたのおおかみあれますところなり あれますところときにのぞみ ゆみやうしないます ときに みおやカムムスヒのみこ キサカヒメノミコトねがいし わがみこ ますらがみのみこまさば うしないしところのゆみや いできたらんとねがいます ときに つののゆみや みずにしたがいながれいで ときにゆみをとりてのりて このゆみあがゆみやにあらずとのりたまいて なげすてたまう また かねのゆみやながれいできて すなわちまちこれをとりまして くらきくつかなとのりていとおします すなわちみおやキサカヒメノミコトのやしろこのところにいます いまのひとこのくつなるは いけるとき かならずこえとどろかしてゆく しかしひそかにゆくものは かみうつしめ ひょうふうたち ゆくふねかならずくつがえす)

 

(現代文)

「いわゆる佐太大神が生まれたところである。いままさに生まれようとする時、弓矢をなくしてしまいました。その時、御祖カムムスヒの御子、キサカヒメノミコトは祈願し、『吾が御子が麻須羅神(ますらがみ)の御子であるならば、なくなった弓矢よ出てきなさい』と願いました。するとその時、角の弓矢が水に流れ出た。キサカヒメは弓矢を取り上げると『これは御子の弓矢に非ず』とおっしゃって、投げ捨てました。すると今度は、金の弓矢が流れ出てきました。そこで、それを待ち受けて取り上げ、『暗い窟である』とおっしゃって射通すと光り輝きます。そこで母キサカヒメノノミコトの社がここに鎮座しているのです。今の人は、船でこの窟の近くを行く時は必ず大声を轟(とどろ)かせて行くのです。もし密(ひそか)に行こうとすると、神が現れて大風が起こり、行く船は必ず転覆するのです」

 

 

麻須羅神(ますらがみ)とは勇ましい武の男神という意で、個の名ではありません。

 

この加賀の条では、佐太大神の出自とその性格が語られています。

佐太大神は勇敢な武の神で、暗闇を照らす光り輝く神であることがわかります。

このことから『古事記』の天孫降臨の段で、高天原から天降りしようとするとき、行く手を遮(さえぎ)って光り輝いていた神、猿田彦大神がこの佐太大神であると同一視されるわけです。アマテラスは不審に思って、アメノウズメを猿田彦に対面させるのです。サルタヒコは道先案内として行く先を照らしていくわけです。

私も、佐太大神と猿田彦大神は同一神である、といいたいのですが、故郷が違います。佐太大神の故郷は出雲の加加(加賀)ですが、猿田彦大神の故郷は伊勢です。しかし、別神ともいいきれません。『古事記』は大和朝廷が編纂していますから、都合のいい伊勢を故郷にしたのではとも思えるのです。

いずれにしても猿田彦大神は佐太大神の性格を持っています。そして佐太大神の伝承は『古事記』に編纂される以前から語り継がれていたのではないかと考えます。