「出雲国風土記」その8 | はしの蓮のブログ

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はしの蓮です。古代史、古事記、日本神話などや日々のちょっとした出来事、気づいたことをブログに綴っていこうと思っています。また、民話や伝説なども研究していきます。

 

久しぶりにブログ復帰します。

が、実はたいへんな事が起きていたのです。

私が、今までパソコンで書きためていた原稿や図版など(過去データも含め)が消失してしまっていたのです。消失したデータを復旧する「データレスキュー」をかけて、復旧を試みたのですが、ほとんどのデータは復活できませんでした(涙)。

で、主だったデータを一から作りなおしていたのです(涙)。未だ途中です(涙)。こまめにバックアップ取らなきゃいけないことを痛感しました(涙)。

 

さて、「出雲国風土記」ですが…。

 

『古事記』や『日本書紀』は天皇を中心に時系列に沿って編纂されていますが、

『出雲国風土記』は各郡(こおり)の特産や地勢を綴ったもので、古い伝承も時系列に沿ったものではありません。なので、登場する神や古い伝承は、私たちは、いつのころの話なのか、想像し、推理しながら読み解いていくほかありません。また、それが楽しいことでもあります。

 
 

〈島根郡(しまねのこおり)の条〉

 

(原文)

「所以号島根者 国引坐八束水臣津野命之詔而 負給名 故云島根」

 

(現代文)

「島根と名付ける所以(ゆえん)は、国引きをされた八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)がおっしゃられて、名を負わせ給わった。ゆえに島根という」

 

 

朝酌鄉(あさくみのごう)

 

(原文)

「熊野大神命 詔 朝御餼勘養 夕御餼勘養 五贄緒之処定給 故云朝酌」

(くまののおおかみのみこと のりて あさみけのかむかい ゆうみけのかむかいに いつにえのおのところさだめたまいき かれあさくみという)

 

(現代文)

「熊野大神がおっしゃられて、朝の御膳、夕の御膳を整える所として定められた。ゆえに朝酌(あさくみ)という」

 

山口郷(やまぐちのごう)

 

(原文)

「須佐能烏命御子 都留支日子命詔 吾敷坐山口処在詔而 故山口負給」

(すさのおのみことのみこ つるきひこのみことのりて あがしきますやまぐちのところにありとのりたもう かれやまぐちとおいたまう」

 

(現代文)

「須佐能烏命(すさのおのみこと)の御子、都留支日子命(つるきひこのみこと)がおっしゃるには、私が治める山口のところである、とおっしゃられた。ゆえに山口(やまぐち)という名を負わせたまいた」

 

※都留支日子命(つるきひこのみこと)はスサノオの子ですが、『古事記』には登場しない。

 

手染郷(たしみのごう)

 

(原文)

「所造天下大神命詔 此国者丁寧所造国在詔而 故丁寧負給 而今人猶誤謂手染郷之耳 即有正倉」

(あめのしたつくらししおおかみのみことのりて このくにはただにつくりしくにありとのりてただにおいたまう しかしてひとなおたしみのごうとのるのみ すなわちしょうそうあり)

 

(現代文)

「所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみのみこと)がおっしゃるには、この国はじつに穏やかに造られた国である、とおっしゃられた。ゆえに丁寧(ただに)という名を負わせたまった。しかるに今の人は手染郷(たしみのごう)という。ここには正倉がある」

 

美保郷(みほのごう)

 

(原文)

「所造天下大神命 娶高志国坐神 意支都久辰為命子 俾都久辰為命子 奴奈宜波比売命而 令産神 御穂須須美命 是神坐矣 故云美保」

(あめのしたつくらししおおかみのみこと こしのくににいますかみ おきつくしいのみことのこ へつくしいのみことのこ ぬなかわひめのみことをひきて しかしてかみみほすすみのみことをうましむ このかみいます ゆえにみほという)

 

(現代文)

「所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみのみこと)が高志国(こしのくに)にいらっしゃる神、意支都久辰為命(おきつくしいのみこと)の子である俾都久辰為命(へつくしいのみこと)の子、奴奈宜波比売命(ぬなかわひめのみこと)を娶って生まれた神が御穂須須美命(みほすすみのみこと)です。この神が鎮座していらっしゃる。ゆえに美保という」

 

※ここに『古事記』に語られていないヌナカワヒメの出自やタケミナカタのことが語られています。

 

読み解く前に、

所造天下大神命=オオクニヌシ

意支都久辰為命=ヌナカワヒメの祖父→『古事記』には登場しない

俾都久辰為命=ヌナカワヒメの父→『古事記』には登場しない

奴奈宜波比売命=ヌナカワヒメ

御穂須須美命=タケミナカタ         のことです。

 

読み解くと

オオクニヌシは意支都久辰為命の子の俾都久辰為命の子、ヌナカワヒメと結婚してタケミナカタを生み、タケミナカタは美保の地を治めていたわけです。

天孫降臨のときタケミナカタはタケミカヅチに反抗し、美保の地から諏訪の地へ追われたわけです。

 

このことから、このヌナカワヒメの出自の部分は、『古事記』に記載される以前より古(いにしえ)から語られていた伝承といえるでしょう。