「出雲国風土記」その7 | はしの蓮のブログ

はしの蓮のブログ

はしの蓮です。古代史、古事記、日本神話などや日々のちょっとした出来事、気づいたことをブログに綴っていこうと思っています。また、民話や伝説なども研究していきます。

〈意宇(おう)郡の条〉

 

『出雲国風土記』意宇郡(おうのこおり)の条は「安來郷」に続いて、「意宇郡」に属する各郷の地名の由来を記した後、神社の名と数、山や川、地勢、産物などを記して次の「島根郡(しまねのこおり)の条」に続いています。

他の7つの「郡の条」も概ねその順で編纂されています。

私が取り上げているのはその中の地名の由来の部分です。そこに神の名や神話や伝説が語られているからです。

「意宇郡」には「出雲四大神」のうち熊野大神(スサノオ)が鎮座する熊野大社(熊野山)と野城大神(アメノホヒ)が鎮座する野義神社があります。

地名の由来だけで、特に神話や伝説がない地域(郷)は取り上げませんでした。地図を参照してください。

 

「出雲国風土記地図」

 

 

「意宇郡」には勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)などを作る玉造の郷があります。それが「忌部神戸」です。

 

「忌部神戸(いんべのかんべ)」

 

(原文)

「國造 神吉詞奏 参向朝廷時 御沐之忌玉作 故云忌部 即川邊出湯 出湯所在兼海陸 仍男女老少 或道路駱驛 或海中沿州 日集成市 紛繽燕楽 一濯則形容端正 再浴則万病悉除 自古至今 無不得験 故俗人曰神湯也」

 

(読み下し文)

「國造(くにのみやつこ) 神吉詞奏(かむよごとまを)しに 朝庭(みかど)に参向(まゐむか)ふ時の御沐(みそぎ)の忌玉(いみたま)作る 故 忌部と云ふ 

即ち川の邊(ほとり)に湯を出(いだ)す 出湯の在る所は 海陸(うみくが)を兼ねたり 仍りて男も女も 老いたるも少(わか)きも 或(あ)るは道路(くがぢ)を駱驛(ゆきか)ひ 或るは海中を洲(はまべ)に沿ひ 日に集いて市を成し 繽紛燕楽(うちむれてうたげあそ)ぶ 一たび濯(すす)げば形容端正(かたちきらきら)しく 再び濯げば、萬病悉に徐(のぞ)こる。古(いにしへ)より今に至るまで 驗(しるし)を得ずといふことなし 故 俗人(くにびと) 神湯(かみのゆ)と曰(い)ふなり」

 

(現代文)

「国造(くにのみやつこ)が神吉詞(かんよごと)を唱えに朝廷に参上する時に、清らかな玉を作る里である。ゆえに、忌部(いんべ)という。川のほとりに温(ゆ)が湧き出ている。よって、男も女も、老いたる者も若い者も、あるいは道を行き交い、あるいは海を浜に沿って行き交い、毎日集まって市が立つような賑わいで、宴をして楽しむ。ひとたび温を浴びれば、たちまち姿形も麗しくなり、再び浴びればどんな病気もすべて治してしまう。古から今に至るまで、効き目がないということはない。ゆえに、土地の人は神の湯と言っています」

 

 

※この「神の湯」とは玉造温泉のことです。