私自身、昔から少しひねくれているところがあります。
一般的に当たり前だと思われていることも
少し疑ってかかってしまいますし、
今常識であることもこの先ずっと常識であるとは思えない、
という意識があります。
最近考えることは、仕事の選択肢についてです。
ゼロベースで考えてみたりします。
まず、仕事ってする必要があるのか?
ということです。
正直言ってバカバカしいことかもしれません。
しかし、自分の中で納得がいってから出ないと動けないところがあります。
現代社会において仕事をしないということは罪かもしれません。
しかし、仕事をする必要がなければしなくてもいいのでは?
と思ったりもします。(自分がするかしないかは抜きにして。)
例えば、自給自足できてその人生に満足していれば無理に仕事なんて
しなくても良いのではないでしょうか。
(実際、世界のどこかにはそういった人もいると思います。)
そこで、なぜ自分は仕事をするのか?という仕事の価値について考えてみました。
私が考える仕事の価値とは二つありました。
・人に価値を与えることでお金を頂く。(行動や選択肢の幅を広げるため。家族を養うため)
・自分のポテンシャルを最大限発揮できることによってやりがいを感じる。(自分の存在がプラスになっていると感じたいため)
私の場合はこの二つでしたが、人それぞれ仕事の価値は変わると思います。
例えば、学者の方々は新しいことを追求することにやりがいを感じるかもしれません。
自分の中での理想は、画一的な価値観で人を縛るのではなく、
多様性(もちろん周囲に危害を加えない最低限のものはありますが。)を
許容できる社会であればいいなぁということです。
なぜそういったことを考えるかというと、現在社会は人の価値、生き方の評価をあまりにも画一化しすぎているのではないか?と感じるからです。
そして、基本的にこういった考え方をする人(イメージでいうと「世界で一つだけの花」の歌詞に共感るような考え方をする人)
は、実社会では「弱い」「甘い」といわれます。
(少なくとも私の周囲はそういった見方をする人が多いです。あのイチロー選手も大嫌いだそうです。
個人的には、嫌わなくてもいいんじゃない?と思ってしまいます。私自身はイチロー選手は好きです。
努力をしていますし、結果も出している。純粋に格好いいと思います。しかし、人それぞれ価値観が違うのに
それを自分の価値観で評価してしまうのは少し残念です。)
特に、オンリーワンが嫌いな人々は仕事の世界をよく戦争に例えます。
しかし、私にはどうしてもビジネスと戦争を一緒にすることが難しいです。
(努力や付加価値の必要性を否定しているのではありません。根本的に何か違うような気がするのです。
申し訳ありません。根拠はまだありません。)
それを理想論として終わらせないためにも結果が必要だと思います。
そして、その結果をどうやって出すか?
これをもう少し考えてみる必要があります。