僕はJリーグが開幕のときに16歳だったから、もうそれはKAZU全盛期。

でもサッカーしていた僕としては、KAZUは本当にブラジルから帰国した

ちょっと鬼才な人間でした。


それ以降の活躍や、栄光と挫折みたいなものは、ほとんどの人が知っていることと思います。

ただ、僕はそれからのKAZUに興味がありました。


フランスのワールドカップ目前に代表落ちしてから、

クロアチアにわたり、ザグレブのディナモというチームに移籍。

ここでも気持ちを新たに、プレーしていました。


KAZUの本職というか、本来のポジションは、ウイングです。

ウイングというポジションは、最前線の両サイドで、ライン際ぎりぎりを駆け抜けて、コーナーフラッグ近くから

センタリングをあげるようなイメージがあります。

現在は、サイドバックのカウンターや、松井選手のようなハーフの選手が、コーナーをあけておいて

そこにドリブルで切り込んで行き、センタリングをあげています。


ということで、ウイングとは、

今のサッカーの戦術やフォーメーションには使用されません。

ようは、仕事がなくなったのです。

だから次に違うポジションとして、フォワードに移ったのです。

もちろん点を取る能力は高いので。。ぜんぜんその移行はスムーズでした。


そんなサッカーのこまかなことはいいとして、

KAZUはそれからも多くのチームを転々としながらも

サッカー選手であることにこだわり続けています。


今、45歳です。

サッカー選手で45歳で、選抜チームに出て、そして代表のディフェンスやGKから

ゴールを奪うあの姿は、感動です。


希望ですよね。


あのシュートは、ある意味数らしくないシュート。

エゴがないシュートでした。

チームや、何かのために、今点が欲しいという人の点の取り方です。


おそらく以前のKAZUなら、トラップしたんじゃないかなって、僕は思います。

ボールを自分のものにしてから、シュートしたと思う。

これは同じポジションを経験している僕の意見ですが。

実は僕も、過去はウイングの選手。そして僕はサイドバックを経験し、

フォワードになりました。でも現在は、最終ラインのセンターバック…。


KAZU、日本の人たちの希望ですね。本当にあそこのシーンで走り周り、

シュートを決めることはとても難しいです。


また昨日は、後半の途中から入ったから、実際には30分程度のプレイ。

そう考えると、フォワードのKAZUがボールを触った回数は5回程度なはず。


すごいね。


みんな、それぞれ頑張れることがある。

僕も頑張ろう。

いつもKAZUには、涙が出るよ。


ただ、ひたむきに、やっているだけなんだけど、それがたまらないね。


ちなみにKAZUは、この7年間ぐらいかな、確かすべての食事から油分を取り除き、

そしてシェフをつけて、体脂肪から、なにからなにまですべて管理していて、

おいしいものもぜんぜん食べない。


肉体改造を行い、筋肉の繊維さえ変えてしまった。

だって、おそらく30歳のときのKAZUより、昨日のKAZUのほうが、スピードも強さ(軸の)も

増していたと思う。


食事の力もあるね。


でもKAZUは、「一日でもピッチに長くたっていたいから…」だって。

そのために努力を惜しまないんだよね。


もう遅いけど、あとちょっと頑張ろう。


頑張ろう! 日本!


ハシムラノブヤ






「Yogini」編集長&「Lotus8」代表の僕の視点ブログ


日本名:東北地方太平洋沖地震・東日本大震災復興チャリティブック

YOGA WITH YOU

英語名:Japan Earthquake & Tsunami Disaster Relief Charity Books

YOGA WITH YOU


これらの立ち上げを決めたときから…。



この数日のあわただしい動き。


それは、僕達ができることを見つけてからの動きだ。

まず、自分達の仲間を集め、ipad やiPhoneで購入することが出来る

チャリティブックのデジタルアプリを作ることを企画し、社員全員に公表した。

そこで軽く会議。

この本は、誰のためにあるのか?

それは最終的には自分や、被災地、被災者のため。

でもその前に、チャリティブックを誰が購入するかということを考えていき、

結果的には全世界の読者であり、

ヨガが好きな人や今回の試みに賛同してくれる人となった。


まずは日本の美しさや、日本のヨガをする人たちの美しさ、そして僕達は今からどんどんやっていくんだと

そういうことを前に出せるものにしたいということもあり、ヨガをしているモデルなど表現を主に行っている人を

中心とした写真ページを作ることを決めた。

それが決定したのが、木曜日。

もろもろの締め切りを設定していくと、ぜんぜん日がない!

だから、月曜日か火曜日(その時点で、3日ぐらいしかない!)ということは、

クリエイティブの用意が出来ないということ。

ピンチだが、集まるだけ集めようと。



すぐにクリエイティブスタッフに連絡をした。

カメラマンの小澤君。

小澤君は、茨城の実家がけっこう大変な状態で、そこにヘルプに行っていた。

でも戻ってくると。


スタイリストの内沢研ちゃんにもすぐに連絡。

二言返事だった。

メイクのタイタイ(太島幸樹)に、そしてヘアのタケル(川畑タケル)さん、ヘアメイクの成田(幸代)さんに連絡して、

みんな賛同してくれ、撮影に来てくれると。

タケルさんに関しては、人気のヘアサロンの超売れっ子ということもあり、

急すぎて無理…となった。


でもそこから、またヘアスタイリストの西くん(西村幸一)、あと、以前に西くんのアシスタントをしていた、

ゆうこちゃん。


そして、デザインスタッフとして、普段はYoginiで絡みもあり、Yoginiのクリエイティブディレクターでもある

長さん、そしてデザイナーのさわちゃんと、倉持さんにもヘルプを頼んだ。

長さんは「好きなようにやっていいならやるぜ!」だって。

まあいい。。。


そして、吉川めい。

めいは、最近南青山にスタジオ「veda」をオープンさせたこともあり、いろいろと忙しい。

一時の母であり、ヨガのインストラクターでもあり、パーソナリティ的存在だから、なにかと時間も取れないのだが、事務所の寺迫さんの大きな理解もあり、時間の調整をしてくれた。


面子はまず、第一段階としてそろった。。。

でも日本において、また世界においてのiPadのシェアは

おそらく1000万台程度。

その中で、ヨギーたちはまだまだ少ないだろう。


そこを考えていくと、iPhoneのバージョンを作りたかった。


僕達の会社でiPad版は作れても、実は簡単に変更できるように思いそうだが、

そこが簡単ではない。

そうとうややこしいというのが本音。。。


どうしようか?

と悩んだとき、以前にサイトでお世話になったエスペイドの但馬さんが浮かび上がった。


すぐにメールして、すぐに返信が帰ってきた。

「いいでしょう。やってみましょうか!」

とのこと。その返事はとてもうれしかった。


正直、撮影などと違って、編集やその後のアプリ化の作業は、長期戦だし、複雑だ。

無理は言わないけど、いいものに仕上げたい。


写真は、僕らが普段行っていることだから、何とかできるが、これらのことは

僕らのできる仕事ではない。。から。


ということで、この日を終えて、翌日の金曜日。

モデルたちへの連絡をした。


そして他の企画も同時に動き始めた。


・世界と日本のヨギー&ヨギーニに、「安全と快適であること」という、ヨーガスートラにある

アーサナの条件にある言葉をベースに、今思うことというテーマで文章を書いてもらう企画だ。

そこに有名なあの先生達の写真が入る。それを英語でもらったものは日本語に、日本語のものは英語に

したものを掲載する企画。

・イラストレーター達が描く、「ヨガでできること、ヨガでなれること」というようなことをテーマにイラストを

自由に書いてもらう企画。


ということは、

世界中の先生への連絡と日本の先生達の連絡が必要。

そして翻訳スタッフが相当数必要。


あと、イラストレーターもたくさん必要となる。


金曜日、動いた動いた。


でも一番危険だったのは、月曜日の撮影のこと。

それが怖かったし、打ち合わせもイメージもまだなかったから、すぐにスタイリストの研ちゃんと

僕の家で午前から打ち合わせを入れていた。

そこに茨城から戻ってきた、カメラマンの小澤さんが駆けつけ、三人で打ち合わせ。

でも、スタジオが決まっていない。


急遽頼んだみんなが来れる場所にしたく思い、

都内でも中心部にしたかった。

僕らの中心部は、Lotus8がある中央区ではなく、青山界隈や恵比寿や目黒だ。

この辺のスタジオで、きれいな写真をさくっととれるところに決めたかった。


僕がぴんときていた、イイノスタジオの南青山を打ち合わせで話しに出すと、

研ちゃんから、知りあいを通して、今回のチャリティの趣旨を伝えて、賛同してもらうところまで

たどり着いた。価格全額というわけには行かないけれど、

半額ぐらいにはしてくれたと思う。


スタジオは整った。モデルの手配も裏で激しく動いている。

今回インストラクターではなく、モデル兼ヨギーニにお願いしたのにはわけがある。


形ではなく、表現にしたかったからだ。

プラクティスをずっと続けているヨギーニとはまた違った、星の人たち。


僕はモデルという人種に会ったとき、違う惑星の人だと思ったことがある。これは写真や映像というものに対して

一番いい感じのサイズになり、また表現という意味でもあらゆる角度からのものを

さっとこなすことが出来る人たちだ。


適切な人たちを選んだけれど、時間がないこともあり、また急ということもあり、想定していた人たち全員という

わけには行かなかったけど、選出した人たちに連絡をした。


モデル:吉川めい、深澤里奈、ヒカル、田澤美亜、中原歩、TAMAKI、つぐみ、大浦里子、島本麻衣子


この9名の参加が決まった。

こんな短時間でこの人達の時間をもらえたことは本当にすごいこと。

みんな自分にできることを、体現してくれた。


お願いしていたモデルの中には、道端カレンさんや、マイヤース姉妹もいたけど、

意識の参加はしていただいたつもり。

スタッフ、環境、モデル(役者)がきまったけれど、とってもとっても大枠のイメージしか決まっていない。

そこの時点で、土曜日の昼間。。。。


ピンチです。


でもこんなピンチもいつも乗り越えていたから、

自分のチャンネルが、すーーーとはまっていくまで、時間の経過を待ち、

Youtubeで災害復興メッセージのスキマスイッチの『奏』をリピートしながら、

夜中一時ごろからようやく、ラフという撮影イメージにペンが走り出しました。


夜中の三時か四時ぐらいに終わり、なんとかできる自信を持ち、

月曜日の撮影に望む準備が整いました。


こんな短時間に、ここまでの人達が、協力してくれたこと、またその人たちを結んでくれた人たちに

感謝しています。


あと、他の企画として、世界中の先生たちと連絡を取ってくれている方々、そして実際に原稿を書いてくださる先生たち、また翻訳サポート、そしてイラストレーターさんたち、とそれらをまとめているアスタリスクの藤間さん。。。

当日、撮影の現場を手伝ってくれたり、盛り上げてくれた、

まつだっち、朔太郎。けんちゃんの奥さんに、1歳のイッセイ君、かけてつけてくれたヨガジェネのヒロに、元ロータスで現在はスタイリストのユースケとアシスタントさん、アスタリスクの藤間さん、田澤美亜ちゃんの事務所のボスである村上さんと黒のトイプードルちゃん。またスタジオの皆さん、こんな激しい動きをいつも笑顔で見守ってくれている絵梨ちゃん。そして、この激動の撮影に対して、動いてくれたロータスの松山、堤、なお、ろう、玲、みきんぐ、いのっち。面々。そして、撮影に来てくれたモデルさん達の裏にいる事務所の方々…。

みんなに支えられていました。


自分の仕事は、媒体を通して、人と人をつなぐことです。

このアクションはまだ山の途中です。夢中で登るしかありません。

ではどんな夢の中にいればいいのか。それはまだわかりませんが、

少なくとも、希望を持って、その夢の山を駆け上がっている気がします。

一人で出来ることはすくないですが、こんなにもの人達が自分の周りにはいて、

そしてみんなの技術をあわせていくと、何かが出来る気がします。


希望を見るためには角度の問題があります。

希望が見えないときは、、一ミリでも動かないと見えてきません。

立ち居地をちょっとずらすことです。

それにより、希望の光は、その光と自分との間にあったものを回避して、

自分のところまで届きます。

一ミリの動きを365日続けると、365センチ移動します。

この移動は偉大です。


まだ始まったばかりですが、方向性は間違っていないような気がします。


また報告します。


ハシムラノブヤ


「Yogini」編集長&「Lotus8」代表の僕の視点ブログ

撮影後、ラストカットの後で…。Photo by Y,Ozawa

ちょっと頑張ったら、自分達にできること。見つけました。


その結果、僕達の仕事の延長線上に

被災された方々の笑顔や、安らぎがあると信じて

日本のヨギーやヨギーニと

世界中の著名なヨギー&ヨギーニの文章とで

構成された、チャリティブック(デジタルアプリ) を制作します。


そして、ここで得た報酬(経費等を除く)を災害支援、復興に役立てたいと思います。


今、日本が一つになるとき、そして大きな力が必要とされているとき

短期的、長期的な運動が必要となっています。


ぜひ、このアクションへの同意と、ご協力をお願いいたします。

いつ、みんなにヘルプをお願いするかわかりませんが、用意しておいてください。

心と、体、技、なんでもいいです。



『YOGA WITH YOU』  の簡単な内容はこんな感じ。


日本人ヨギーニの美しい写真、そして日本のクリエイターや

イラストレーターが表現するヨガが今できること。

さらに、

日本のヨギーやヨギーニと世界中の著名なヨギー&ヨギーニの文章。

これらの要素で構成された、チャリティブック(デジタルアプリ) 。


世界に、ジャパンクオリティの素晴らしさ、表現の素晴らしさ、僕達はもうすでに立ち上がっていることを

見せたいと思います。


いつの時代も創造者と表現者、そして技術者と芸術家が

人の生活と心を満たしてくれます。。


実はそれは、この世の中の人すべてですから。

みんなということですね。。。


ハシムラノブヤ






昨日、急遽、二人サミットしていました。


それは旧知の友で、過去には会社も一緒に立ち上げた

ヨガジェネのMIKIZOこと、酒造博明(ヒロ)と、今回の地震などのことを

ちょっと僕達の立場で客観的に見たくてのもの。


そこで、ヒロからきいたことで、意外と知らないよなってことがありました。


それは義援金と、支援金の違い。

http://blog.canpan.info/tanaka-naoki/archive/446  (これ参考に!)


簡単に言うと、


義援金はすぐには活用されないお金。阪神大震災のときは半年後に、どのように公平に分配するかなど、考え、そして配給されたり、なにかを購入したりするお金。


支援金は、不公平であっても、今そこに必要だ! と支援団体が決定したら、すぐに使用できるお金のこと。

だから緊急時や、今、ここにこれ! というときに使えるお金。


今、何が必要かということは、これほど避難所が分かれると、一目瞭然ですね。


ただ、避難している人たちだけではなく、その周辺の学校の子供達や、介護が必要な人たち、

もろもろ、すべてに救いの手は足りていません。


本日、ヨガのインストラクターで、今回の地震津波災害において、いち早く動き出している

マサ先生や、以前弊社で働いていたヨガの先生でもある平賀さんが

実際に物資を集めている場所に、会社にあったお水を持っていきました。


たかが水ですが、昨夜の東京を3キロぐらい歩いてみて回りましたが、

一切、売っていないし、買えない状況。

僕達は、貯水タンクにたまった水を、お気に入りの浄水器(BURITA)すればいいだけだから、

新品のペットボトルの水を全部で124ℓほど渡しました。

コレぐらいの水で、ごめん…って思ったけど、

それぐらいの水でも、本当に感謝された。


でもこれって、感謝されることでもなくて、本当に、彼らが動いて前線に運んでくれるから、

僕達でもなにかできる幅が広がる。。。


自分達にできることの会議が、より本格化するために

たたき台をつくり、怖い顔してしまったけど、会議をスタートさせ、

終わる頃には、決定で、すぐにスケジューリングを組んだ。


僕らが何をしていくか。それは簡単なこと。

これまでのことを、多くの人たちに向けて発信し、

そこの延長線上に、被災者と被災地、そして傷ついた日本をイメージすること。


近いうち発表します。


がんばる。


いろいろあるけど、今、がんばったら、

自分も、会社も、生きていい気がするし。


天災に負けたくないから。


そう、思う。



ハシムラノブヤ

20代の前半に、
内戦が長く続き、ぼろぼろになった、
ボスニアヘルツゴヴィナを、内戦が停戦したすぐに訪れました。

町には国連を意味するUNのロゴが大きく入った車が何台もありました。
ビルや家の壁にはたくさんの銃弾の後が残っていました。
そして、町外れの墓地にはたくさんの人が眠っていました。
どれも、内戦の期間であった数年感になくなっものばかりで、墓碑に刻まれた
生まれ年と、なくなられた年を見ていると、心がざらつきました。
幼くしてなくなった人、自分と同じ年の人、お年寄り…。
多くの人が無差別に殺されていったのだと、歴史とは違う角度で理解しました。

僕が泊まった宿は、ただの人の家。そういうところを紹介されました。
ホテルは街に一つしかなく、一泊8000円ぐらいとその当時の僕には、超高級なホテルでしたから。

背が高い静かな静かな男の人が迎えにきてくれて、その家に行くと、大きくて、
一人で住んでいるのにはおかしい感じ。
でもその家には、その男の人しかいませんでした。

その時気がつきました。
みんな死んだのだと。

その男の人は兵士だったようです。静かに気配を消すことがとても上手だった人。

僕はそこで、大風邪を引きました。またロストラゲッジされて、ただでさえ不安定な
情勢の中で、空港に再度荷物を取りに来いと言われていました。
滞在が伸び、さらに風邪…。
そして広くて、寒くて、静かな家…。

でも、男は僕が風邪と知ると、とても優しく、優しくしてくれました。
おそらく普段は付けないストーブも付けてくれました。

男の部屋には、多くの写真が枠に入って、並んでいました。


そして風邪を2日ほどでなおして、街に出ました。
街の中心部の一本の道路のみ、とてもきれいでした。
表参道風です。そこには、イスラムと、キリストと、韓国のそれぞれの教会みたいなものが
ありました。カフェ風のところでの食事もおいしくて、満足し、また街を歩いていたら、
いきなり、目の前でおばあちゃんが倒れて、すぐに泡を吹き出しました、
僕は、びっくりして、おばあちゃんに声をかけて、必死で必死で周りの人たちに
助けてくれ! 手伝ってくれ! って大きな声で言いました。
近くの男の人が、おばあちゃんから鞄をおろしたり、楽にしてあげるよう
していましたが、特別な処置はしません。
すぐに救急車を呼んでとお願いして、そして僕は、どんどん血色が悪くなっていく
おばあちゃんを抱えながら、動けませんでした。

手の中で衰退していくそのおばあちゃんを見て、人工呼吸や心臓マッサージもできなくて、
曖昧な知識を持っていた自分を恥じました。
15分ほどして、救急車に乗せられ運ばれていきましたが、おばあちゃんはすぐになくなったと
あとから、聞きました。
人の死を、人の手で止めようとすることは、こちらの人たちはしません。そして老人の死ならなおさら。死に対しての受け入れが違うし、死に対しての感覚も違った。
目の前における死を受け入れられなかったのは、僕だけで、みんなその場を見守っていた。

そして目の前で突然起きた、人の死からも気持ちを切り替え旅は続きました。
ボスニアから、クロアチア行きの長距離バスに
乗りました。このバスはとても長い距離を走るもので、夜乗り込み、20時間ほど乗っていた気がします。ボスニアの国境を越えるところでバスは停止し、休憩に入りました。
その時、まだタバコを吹かしていた僕は同じバスに乗っていた、30歳ぐらいの女性に
「タバコくれる?」と言われました。
快くタバコを渡し、一緒に煙を口から吐き出していた時の会話です。

「あの山はなんて言うの? きれいだね!」
「そうなの、とてもきれいなの。昔はよくパパと登ったわ。内戦前はね…」
「今は登れない?」
「無理よ。地雷がたくさんあるから…」

その会話は僕にとって、とても大きな会話でした。
こうして文字にして、数行です。

このボスニアの滞在は一週間もしていません。ただ、5日ぐらいの滞在で
死におけるさまざまな場面に出くわしました。
人が安心して、生活できる、そして人が人と侵略するということが
どういうことか、そして宗教というものや、信仰というものについて。
また大きな戦争が終わった後に起こること(ボスニア内戦は旧ソビエトの崩壊によっておきた)など。
そして、人間について。

今、日本人は死生観について、大きく考えさせられています。
そして人生というものにも。

さまざまな悲しみを乗り越えて、
人が大きくなるのであれば、
小さいままでいいよと思ったことがある。

強くならなくてはならないのか?
どうしてだろう。。。

ただ、一つだけ、希望がある。

またボスニアの話。

街には表参道のような道路が一つだけ通っている。
みんなその道路を、男は男同士で、女は女同士で。
何度も何度も往復する。
とても幸せそうだった。

そしてダンスミュージックが流れるクラブでは
みんなが異国の人である僕にも優しかった。
そして今、生きていることと、
ただ、何もなく、生きられる喜びを感じていた。

あんなに、今ここにある幸せを感じて生きている人たちを
街ごと感じられたのは、ボスニア以外にはない。

あまり必要ないけど、大きすぎる悲しみを乗り越えた時、人間はとても豊かになることがある。
とても優しい人。それは深い悲しみを知っている人。

終わりの見つからない文章だから、きれいに終わらせようとしないでおこう。
ブログだから…。

ハシムラノブヤ