万葉集のつまみ食い187 | 日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

1912・靈寸春 吾山之於爾 立霞 雖立雖座 君之隨意

 

   たまきはる わがやましおに たつかすみ たつもいますも きみしまにまに

 

 訳:威張っている 私でさえ仰ぎ見る鬼は 立つ霞です 立ち去ろうが 

   居座ろうが 君(鬼・霞)のやり放題ですもの

 

**「たまきはる」は「手巻張る:立派な・偉大な」。「やま」は「仰ぎ見る対象」。

  「おに:鬼:想像上の怪物」。

  「於」を訓で「を」と読むことも出来そうですが、すると「尾根に立つ霞」となります。

 

  後の句で「きみ」と擬人化しているところから、「尾根」よりも「鬼=霞」とした方が詩の 

  面白さがあると思いました。

 

 *私も相当偉いのですが、その私が仰ぎ見てしまうほどの鬼は霞ですよ。

  私の意向など全く無視していますからね。

  朝起きて、「よし!今日も頑張ろう!」と思って扉を開けて外を見ると

  一面、霞んでいて、いつもはっきり見える山並みも見えません。何か気が滅入るなあ!

  霞の奴め!

 

寄雨

 

1915・吾背子爾 戀而為便莫 春雨之 零別不知 出而来可聞

 

   わがせこに こひてすべなみ はるさめし ふりわけしらず いでてくるかも

 

 訳:私の彼が 恋しくてしようが無いのです 春雨は 

   (いらっしゃる)途中でもかまはず やって来るかもしれませんね

 

**「ふりわけ」は「中間・途中」。「しらず」は「かまはず」。

  「いでてくる」のは「春雨」。

 

 *一雨来そうだけれど どうしても逢いたいのです。(彼が来る)途中で降られて

  気持ちでも変えられたら、気ままな春雨を一生恨んでやる!

 

1917・春雨爾 衣甚 將通哉 七日四零者 七夜不来哉

 

   はるさめに ころもかさねて かよはむや なのかしふれば ななよこぬかな

 

 訳:春雨ですから 衣を重ねて いらっしゃればどうですか 七日降ったら 

   七晩いらっしゃらないのですか

 

**「甚」は「厚い・激しい」から、「厚い衣・衣を厚くして・重ねて」としました。

  「かな」は終助詞で「かも(詠嘆・疑問・反語)」に同じ

 

 *「將通哉」を「とほらめや」と読むと「着物を突き抜けて肌まで通りましょうか、通ること 

  は ありません」となり、前の句の「甚:激しい」と言う言葉遣いと矛盾します。

  即ち、「激しくは通らないけれど濡れます」と言っていることになってしまいますし、

  それならば、「將甚通哉」と書くべき所でしょう。

 

 *「春雨が降りそうだ」などの言い訳は聞きたくありません。

  本当に私のこと愛しているの!

 

1921・不明 公乎相見而 菅根乃 長春日乎 弧悲渡鴨 (弧悲)は(元:弧戀)

 

   あけぬまに きみをあひみて すげのねの ながきはるひを こひわたるかも

 

 訳:夜が明けぬうちに 貴方と共寝をして 菅の根のように 長い春の一日を 

   戀慕い続けていることよ

 

**「不明」は「明けずに:明けないときに」。

 

 *もう今日は 一日中ずーっと幸せ!

 

贈蘰

 

1924・大夫之 伏居嘆而 造有 四垂柳之 為吾妹

 

   ますらをし ふしゐなげきて つくりたる しだりやなぎし かづらせわぎも

 

 訳:無骨者が (お前が病に)伏せっているのを(快癒を)嘆願して 作っておいた 

   しだれ柳の 髪飾りだよ 着けて下さいね愛する妻よ

 

**「ふしゐ」は「横になって動かない状態」。「蘰:かづら(国字)」は「髪飾り」。

  「なげきて」は「なげき:(嘆く:嘆願する・愁訴する)の連用形+て:接続助詞」。

 

 *元気になったのだから、快癒を祈って俺が一生懸命作った髪飾りを着けてみてよ。

  結構行けるだろう!