1912・靈寸春 吾山之於爾 立霞 雖立雖座 君之隨意
たまきはる わがやましおに たつかすみ たつもいますも きみしまにまに
訳:威張っている 私でさえ仰ぎ見る鬼は 立つ霞です 立ち去ろうが
居座ろうが 君(鬼・霞)のやり放題ですもの
**「たまきはる」は「手巻張る:立派な・偉大な」。「やま」は「仰ぎ見る対象」。
「おに:鬼:想像上の怪物」。
「於」を訓で「を」と読むことも出来そうですが、すると「尾根に立つ霞」となります。
後の句で「きみ」と擬人化しているところから、「尾根」よりも「鬼=霞」とした方が詩の
面白さがあると思いました。
*私も相当偉いのですが、その私が仰ぎ見てしまうほどの鬼は霞ですよ。
私の意向など全く無視していますからね。
朝起きて、「よし!今日も頑張ろう!」と思って扉を開けて外を見ると
一面、霞んでいて、いつもはっきり見える山並みも見えません。何か気が滅入るなあ!
霞の奴め!
寄雨
1915・吾背子爾 戀而為便莫 春雨之 零別不知 出而来可聞
わがせこに こひてすべなみ はるさめし ふりわけしらず いでてくるかも
訳:私の彼が 恋しくてしようが無いのです 春雨は
(いらっしゃる)途中でもかまはず やって来るかもしれませんね
**「ふりわけ」は「中間・途中」。「しらず」は「かまはず」。
「いでてくる」のは「春雨」。
*一雨来そうだけれど どうしても逢いたいのです。(彼が来る)途中で降られて
気持ちでも変えられたら、気ままな春雨を一生恨んでやる!
1917・春雨爾 衣甚 將通哉 七日四零者 七夜不来哉
はるさめに ころもかさねて かよはむや なのかしふれば ななよこぬかな
訳:春雨ですから 衣を重ねて いらっしゃればどうですか 七日降ったら
七晩いらっしゃらないのですか
**「甚」は「厚い・激しい」から、「厚い衣・衣を厚くして・重ねて」としました。
「かな」は終助詞で「かも(詠嘆・疑問・反語)」に同じ
*「將通哉」を「とほらめや」と読むと「着物を突き抜けて肌まで通りましょうか、通ること
は ありません」となり、前の句の「甚:激しい」と言う言葉遣いと矛盾します。
即ち、「激しくは通らないけれど濡れます」と言っていることになってしまいますし、
それならば、「將甚通哉」と書くべき所でしょう。
*「春雨が降りそうだ」などの言い訳は聞きたくありません。
本当に私のこと愛しているの!
1921・不明 公乎相見而 菅根乃 長春日乎 弧悲渡鴨 (弧悲)は(元:弧戀)
あけぬまに きみをあひみて すげのねの ながきはるひを こひわたるかも
訳:夜が明けぬうちに 貴方と共寝をして 菅の根のように 長い春の一日を
戀慕い続けていることよ
**「不明」は「明けずに:明けないときに」。
*もう今日は 一日中ずーっと幸せ!
贈蘰
1924・大夫之 伏居嘆而 造有 四垂柳之 蘰為吾妹
ますらをし ふしゐなげきて つくりたる しだりやなぎし かづらせわぎも
訳:無骨者が (お前が病に)伏せっているのを(快癒を)嘆願して 作っておいた
しだれ柳の 髪飾りだよ 着けて下さいね愛する妻よ
**「ふしゐ」は「横になって動かない状態」。「蘰:かづら(国字)」は「髪飾り」。
「なげきて」は「なげき:(嘆く:嘆願する・愁訴する)の連用形+て:接続助詞」。
*元気になったのだから、快癒を祈って俺が一生懸命作った髪飾りを着けてみてよ。
結構行けるだろう!