万葉集のつまみ食い186 | 日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

 

 今回は私が読んだ訳本の現代語訳がおかしかったので、立て続けにピックアップしてしまい 

   ま した。

 

1907・如是有者 何如殖兼 山振乃 止時喪哭 戀良苦念者

 

   かくあれば いかにうゑけむ やまぶきの やむときもなく こふらくもへば

 

訳:このように(恋して)いるけれど どうして植えた(恋した)のだろう 

  山吹(思いを遂げられない彼女)を 何時までも飽きることなく 

  恋い慕っているけれど

 

**「何如」は「如何」の転で「いかに:どうして、なぜ、どのように」。

  「植(う)ゑ」は「(植う:しっかりと根を張らせる)の連用形」でこの詩の場合、

  自分が深く彼女を想い慕っていることの喩え」。

  兼明親王の詠んだ「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき」

  は後世の詩ですが、「実のならない美しい花」(叶わない美人)という山吹のイメージは、  

  この時代にも在ったのでしょうか《尚、「実:み」の解釈はいろいろあると思います》

 

 *思いを遂げる事が出来ないことは判っているけど、でも好きでたまらないこの気持ち、

  判ってくれるかなあ

 

寄霜

 

1908・春去者 水草之上爾 置霜之 消乍毛我者 戀渡鴨

 

   はるさらば みくさしうへに おくしもし けつつもわれは こひわたるかも

 

訳:春になると 水草の上に 降りた霜のように 消えても消えても(いくら失敗しても)

  私は(諦めずに)恋い慕い続けるでしょう

 

**「つつ」は繰り返しの意味。

  水草の上の霜はすぐ消えるけれどまた翌朝、霜が降りている様に諦めない喩えでしょうか。 

  「霜が降りる」を「恋をする」に重ねたのでしょう。

 

 *こちらの殿方がだめなら、あちらの殿方。私は「恋多き女」なのです。

 

寄霞

 

1909・春霞 山棚引 欝 妹乎相見 後戀毳

 

   はるがすみ やまにたなびき むすぼほれ いもをあひみる のちにこふるも

 

訳:春霞が 山に棚引いているように引かれて 結ばれて 彼女と共寝をして 

  その後(彼女に)恋していますよ 

 

**「欝」は「むすぼれる・むすぼる・むすぼほる」。

  「むすぼほれ」は「むすぼほる:結ばれる」の連用形。「あひみる」は「共寝をする」。

  「こふる」は「こふ:想い慕う」の連体形。「も」は詠嘆の終助詞。

 

 *最初は何気なくひかれあって、結ばれましたが、今はもう夢中です。

 

1911・左丹頬經 妹乎念登 霞立 春日毛晩爾 戀度可母

 

   さにつらふ いもをおもふと かすみたつ はるひもくれに こひわたるかも

 

訳:赤い頬の(綺麗な) 貴女を想うと 霞が立っている 春日も暮れてしまいました 

  恋をしているからですね

 

**「さにつらふ」は「さに:赤い+つら:頬・面+ふ:動詞化する接尾語」で「赤い頬の」。

  「はるひもくれに」は「春日+も:係り助詞(も:意味は無い)+くれ:暮れ+に:完了の

  助動詞(ぬ)の連用形(~してしまった)中止法」。

 

 *綺麗な貴女を一目見てもう夢中です。春の一日中ぼんやり想い慕っています。

 

  昔はやはり「のどか」だったのですね。現代の男女のように「仕事に追われる」様な風情は

  なかなか見当たりません。