日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

粟田の娘の娘子が大伴宿祢家持に贈った歌二首の内の一首

 

708・復毛將相 因毛有奴可 白細之 我衣手二 齋留目六

 

  ぶもあはむ よしもあらぬか しろたへし わがころもでに いつきとどめむ

 

訳:父母がお会いするそうです あるまじきことですね 

   (二人のことは)白い衣に大切に仕舞っておきます

**「復」の呉音は「ぶ」。「ぶも」は「父母」。

   「あらぬ」は(あり)の未然形+打ち消しの助動詞(ず)の連体形で「別の・無関係の・あるまじき・ 

  ふつごうな」。「ころもで」は「衣」のことか。「しろたへしころも」は「白い衣」で、寝所で着ていた衣の 

  ことか、「ころもで」は「衣全体のこと」。「いつき」は「傳く:大切にする・秘蔵する」の連用形。

 

大伴宿祢家持が娘子に贈った歌七首の内の一首

 

720・村肝之 情嶊而 如此許 余戀良苦乎 不知香安類良武

 

  むらきもし こころつもりて かくばかり わがこひらくを しらにか(あ)るらむ

 

訳:気持ちが揺れていて 心に(想いが)積もって これほどまでに 

  私が戀していることを ご存じないのではありませんか

**「むらきもし」は従来「むらきもの」と読んで「群肝の」として、「こころ」に掛かる枕詞としていす。

   意味は「沢山ある臓器のうちの」と言うもののようですが、臓器が沢山あると言う形容に疑問を 

   感 じます。

   「むらきも」の「むら」は「一定していない状態を表す接頭語」、「きも」は「肝っ玉、胆力」、で「気持

   ちが揺れている様」。

   「こひらく」は「戀ふ」の未然形(戀ひ)+(らく:接尾語、~すること)。

大伴宿祢家持の詩一首

 

722・如是許 戀乍不有者 石木二毛 成益物乎 物不思四手

 

  かくばかり こひつあらねば いはきにも ならましものを ものもはずして

 

訳:これほどに 恋し続けなかったら 石や木にでも なってしまうことでしょう

   物思いに沈むこともなく

 

**第二句は「戀つあらねば」で「戀つあらずは」ではない。

   このように恋をしていなかったら石や木と同じ。と謡っています。句の後半は倒置法。

この人の詩は従来、水準以下とされている歌人です。

しかし、私は従来の解釈の方が水準以下だと思います。

 

大伴宿祢像見の歌三首

697・吾聞爾 擊莫言 刈薦之 亂而念 君之直香曾

 

  わがきくに つなぎなきこと かりこもし みだれておもふ きみしなほかぞ

 

訳:わたしも聞いたけれど 気にとめる必要ない噂ですよ 刈り薦のように 

   乱れるほど(私が)想っているのは 貴女しか居ませんよ

 

**「わがきくに」は「私はきいたけれども」、「に」は接続助詞「~けれども」。

   「つなぎなきこと」は「関係が無いこと」。

   「なほか」は「なほ:形容動詞:まっすぐ・いつわりない」+「か:接尾語:それが目に見える、

   または感じられる状態であることを示す」。「ぞ」は断定の終助詞。

 

698・春日野爾 朝居雲之 敷布二 吾者戀益 月二日二異二

 

  かすがのに あさゐるくもし しきたへに われはこひます つきにひにけに

 

訳:春日野に 朝たなびいている雲のように じっと我慢しているので 

  私の(貴女への)恋心は 日に日に増しています

 

**「しきたへ」は「しき(頻):接頭語亦は四段活、連用形:絶え間ない・重なる」+「た

   へ:持ちこたえる・じっとこらえる、の連用形で状態名詞」で「じっとこらえている状

   態が続く」。

   通常「しくしくに」と読んでいて「しきりに」という解釈は、「棚引く雲」とマッチしていません。

   「敷布」は「敷き布団」のことですから「しきたへ」と読みました。

   「に」は原因・理由を表す格助詞「~ので」。「つきにひにけに」は「月日にまして」。

 

699・一瀬二波 千遍障良比 逝水之 後毛將相 今爾不有十方

 

  ひとせには ちたびさはらひ ゆくみづし のちもあはなむ いまならずとも

 

訳:他の人の夫では なかなか思うように行かない この世です 

  来世でもきっと逢いましょう この世ではなくとも 

 

**「ひとせには」は「ひと(他の人の)せ(背:夫:自分のこと)には(連語:ならば・よりも・~にとって

   ・ ~として)」。「ちたびさはらひ」は「多くの障害があり続ける」。「ゆくみづし」は「世の中」のこと

   か。「逝」の字を使っていることから、後ろの「後」は来世を意味しているようです。

 *自分には妻がいるので、他の人を愛するのはなかなか難しい。

 

私は三首ともなかなか味のある詩だと思うのですが、皆さんは如何思われますか。

大伴宿祢家持が娘子に贈った歌二首の一

 

691・百礒城之 大宮人者 雖多有 情爾乘而 所念妹

 

  ももぎきし おほみやびとは さわあれど こころにのせて いもをおもほゆ

 

 訳:あれこれ(評判を)聞いた 大宮人は沢山居るけれど 

   (私は)心にしっかり乗せて 妹のことを想っています

 

**「礒:ぎ」を「し」と読むのは無理があります。

   「ももぎきし」は「沢山(もも)聞(ぎ)きし」で「あれこれ聞いて知っていた」、

   「し」は過去の助動詞「き」の連体形。 *「城」を「き」と読むのは訓。

 

 *「私は他の人と違って貴女のことを心から想っています」という詩でしょう。

 

石川朝臣廣成の歌一首

 

696・家人爾 戀過目八方 川津鳴 泉之里爾 年之歴去者

 

  いへびとに こひすぎめやも かはづなき いづみしさとに とししふりなば

 

 訳:家人(賎民)に 恋して暮らすのだろうか(いやそんなことは絶対無い) 

   蛙が鳴く全く動きがとれない田舎で 歳を重ねてしまったら(倒置法)

 

**「家人:いへびと」は「奈良時代の賎民・家族・家人」。

   「こひすぎめやも」は「恋して暮らすのだろうか、そんなことは無い、本当に」。「いづみしさと」は 

   「い:強意の接頭語」+「詰む:詰む(動きがとれなくなる)の連用形」+し(過去の助動詞の連体

  形)で、「全く動きがとれなく過ごした」。「めやも」は連語で「どうして~ようか、ほんとうに」。

   「とししふりなば」は「年」+強意の副詞(し)+「ふり:(老いる)の連用形」+「な:完了の助動詞

   (ぬ)の未然形」+「ば:仮定の接続助詞」で「年を重ねてしまえば」。

 

 *この詠み手は相当に出世欲の強い男のようです。天平八年(736)頃舎人とあり、天平宝字(760

  年頃)には従五位の下となり、亦、高円朝臣の姓を賜ったとあります。