日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。


テーマ:

次の二首は柿本人麻呂の詩とされているのですが、430の詩は作風が人麻呂の詩と異なっているように思えるのは私の誤解でしょうか。

 

溺死した出雲娘子を吉野で火葬したとき 柿本朝臣人麻呂が作った歌二首

 

四百二十九、山際從 出雲兒等者 霧有哉 吉野山 嶺霏微

 

  やまぎはゆ いづものこらは きりあるか よしののやまの みねにたなびく

 

解釈:山際から (煙として)出たのでしょう 出雲の娘子は 切りがないほどですね

吉野の山の 嶺に(霧のように)たなびいています。

 

**「出雲兒等」は「出(い)づも(火葬の煙として出たのでしょう)と云う意味と出雲

の娘子、を掛け言葉にしている。「きりあるか」は「切りがあるのでしょうか・出続けるの

でしょうか」。この「切り」も「霧のように」と掛けているようです。

これは、作者自身の思いが尽きないことの裏返しの表現なのでしょう。

「霏微」は「ひび:雨や雪が細やかに降るさま」で、この場合火葬の煙がたなびいている

様子。

 

四百三十、八雲刺 出雲子等 黒髪者 吉野川 奥名豆颯

 

  やくもさす いづものこらの くろかみは よしののかはの おきになづさふ

 

解釈:八雲さす(意味不明) 出雲の子等の 黒髪は 

(灰となって)吉野川の沖を漂っているのですね

 

**「八雲刺 出雲」は記紀の「八雲たつ 出雲」と「八目射す 出雲」を混ぜ合わせています。

  この作者は、この意味を理解していません。

  即ち、「八雲たつ」「八目射す(八目鏑矢を射る・辺りに轟いている)」を「枕詞」的な句として理解しているようです。

  しかし、柿本人麻呂の時代に「枕詞」という手法があった証拠はありません。

  この頃の詩で「枕詞」とされている句はすべて意味のある形用句で、「枕詞」ではありません。

  そういう意味で、この「枕詞」的な理解と用法が使われているこの詩(430)は後世の作と思われるのです。

  現在、わかっている「枕詞」の概念のもっとも古い時代は、賀茂真淵の冠辞考によると10世紀初頭と言われています。

  しかし、この万葉集は9世紀初頭には完成していたと思われていますから、8世紀の後半頃にこの詩が作られていたとすれば

  この頃から「枕詞」的な用法が一部使われ始めたと考えられるのでしょうか。

 

  これらの考察と、詩の内容のなさから、この詩は柿本人麻呂の作歌とするのには疑問があるのです。

 

**「おきになづさふ」は「沖に漂う」。

 

この頃は、火葬した後、その灰を川に流したのでしょうか。

昔の風習が垣間見えるような面白さ、貴重さはある詩です。

 


テーマ:

前回の次にある詩です。

前書きに「同じく石田王」とありますが、山前王は刑部親王(天武帝の第九皇子)の子であることから、420番の詩の石田女王が

亡くなった798年には存在しなかったと思われます。ですから紀皇女(天武帝の皇女)がなくなった時に石田女王に代わって山前

王が詠んだ詩という、反歌二首のあとがきは正しいようです。

一方、この前書きの「石田王(いはたのおほきみ)がなくなった時」は「紀皇女がなくなった時」の誤りではないかと推察いたし

ます。

尚、前書きの「或いは柿本人麻呂の作」というのは、年代的に、この頃人麻呂が生存していたかどうかも疑わしく思われます。出

だしの「つぬさはふ いはみし」が人麻呂の詩にあることからの推量ではないでしょうか。

又、「石田王」なる人物名は、この前書きのものしかないようです。423の詩は明らかに女性に対するものですから、「石田王」

は女性の事と思われます。

 

  同じく石田王が亡くなった時に山前(やまくま)王がいたく悲しんで作った歌一首

四百二十三、角障經 石村之道乎 朝不離 將歸人乃 念乍 通計萬口波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉爾貫(一云う貫  

      交) 蘰爾將為登 九月能 四具禮能時者 黄葉乎 折挿頭跡 延葛乃 彌遠永(一云う田葛根乃彌遠長尒) 

      萬世爾 不絶等念而(一云う大船之念憑而) 將通 君乎婆 明日從(一云う君乎從明日香) 外爾可聞見牟

 

  つぬさはふ いはみしみちを あささらず かへらむひとの おもひつつ 

かよひけまくは ほととぎす なくさつきには あやめぐさ はなたちばなを  

たまにぬき(一に言う、ぬきかはす)かづらにせむと ながつきの しぐれのときは 

もみぢばを おりてかざしと はふつたの いやとほながく

(一に言う、たくずねのいやとほながに)よろづよに たえじともひて

(一に言う、おほふなしおもひたのみて)かよふらむ きみをばあすゆ

(一に言う、きみをゆあすか:不詳)そとにかもみむ

 

  右一首或いは云う柿本朝臣人麻呂が作る 

 

解釈:邪魔になるほど 込み合っている道を 毎朝 行き来する人を 思いながら 

通っているのは ホトトギスが鳴く 皐月には アヤメや花橘を 

玉のように抜き刺して 頭飾りにしようと 長月の 時雨の季節では 

紅葉した葉を 折って簪(かんざし)にとして(歩いて行く女性が) 伸びたツタのように 

これからもずっと いつの世までも 絶えることはないなと思っていますので 

きっと通ってくるはずの 貴女を 明日から ちょっとでも見たいものです 

 

**「そと」は副詞で「ちょっと・少し」。

  この詩は、季節にあった髪飾りをして歩いている女性を見て、ひょっとしてその中にあの人を見やしないかと思って行き交

  う人を見ているのでしょう。

**「かへらむひとの」の「の」は格助詞「を」に同じ。

 

  この詩は亡くなった石田王の事を思い出しながら、もしかしてこの込み合ったいつもの道でひょっとしてまた会えるのではな

  いかと思ってしまうほど、死んでしまったとは思いたくない、整理のつかない心を詠っています。

 

或る本の反歌二首

四百二十四、隱口乃 泊瀬越女我 手二纏在 玉者亂而 有不言八方

 

  こもりくの はつせをとめが てにまかる たまはみだれて ありいはねやも

 

解釈:奥深い山の中で 乙女が 手に巻いている 玉を乱れ散らせた時に 

(いつものように)アリとは言わないでしょうね(言うかな)

 

**「アリ」は蹴鞠の時に球をけるときの掛け声。

 

後ろ書のように、この詩が紀皇女の死に際してのものだとしたら、山深いハツセにいても(埋葬されていても)乙女(皇女)の手

に巻く玉がばらけたときに、活発な頃の紀皇女が蹴鞠をしていた時のように「あり」というのでしょうか、と懐かしく思い出して

いる風情です。

 

四百二十五、河風 寒長谷乎 歎乍 公之阿流久爾 似人母逢耶

 

  かはのかぜ さむきはつせを なげきつつ きみしあるくに にるひともふや 

 

解釈:川の風が 寒いハツセを 泣きながら(吹いているなかで) 貴女が歩いている姿に 

似ている人で思い出したのでしょうか

 

**川面を渡る冷たい北風がハツセ(山間の渓流)をぴゅーっと吹き抜けて、手に巻いている玉が散った(424)、貴女が歩いて

  いる姿に似ている人にあって(貴女のことを)思い出したのですか。

 

右二首はあるいは紀皇女薨し後山前王が石田王に代わってこれを作ったとしています。

 

万葉集の編纂前までの原典はそれぞれの私的歌集だったのかもしれません。前書きや後書きにあいまいなところがあるのはある程度やむを得ないところかもしれません。

 


テーマ:

今回は少し長い詩をご紹介いたします。

この詩は従来、石田王を皇子(男性)として解釈していますが、私は詩の中で使われている表現から、皇女だと思います。

石田王(いはたのおほきみ)が亡くなった時に、丹生王が作った歌一首並びに短歌

四百二十、名湯竹乃 十緣皇子 狭丹頬相 吾大王者 隱久乃 始瀬乃山爾 神左備爾

伊都伎坐等 玉梓乃 人曾言鶴 於余頭禮可 吾聞都流 枉言加 我聞都流母 

天地爾 悔事乃 世間乃 悔言者 天雲乃 曾久敝能極 天地乃 

至流左右二 杖策毛 不衝毛去而 夕衢占問 石卜以而 吾屋戸爾 

御諸乎立而 枕邊爾 齊戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈爾懸而 

天有 左佐羅能小野之 七相菅 手取持而 久堅乃 天川原爾 出立而 

潔身而麻之乎 高山乃 石穂乃上爾 伊座都流香物

 

なゆたけの とをよるみこの さにつらひ わごおほきみは こもりくの 

はつせのやまに かむさびに いつきいますと たまづさの ひとそいひつる 

およづれか われがききつる まがことか わだききつるも あめつちに 

くやしむことの よのなかの くやしみいふは あめくもの そくへのきはみ 

あめつちの いたれるくにに つえつくも つかぬもいにて ゆふけとひ 

いはうらもちて あがやとに みもろをたてて まくらべに いはひへをすえ 

たかたまか まなくぬきたれ ゆふたつぎ かひなにかけて あまにある 

ささらのをのし ななふすげ てにとりもちて ひさかたの あまのかはらに 

いでたちて みそぎてましか たかやまの いはほのうへに いましつるかも

 

解釈:細くしなやかな竹のように たおやかな皇女は きれいな玉を首にかけて 

我らのおおきみは 奥まった源流の所の山で 神々しくするために 

潔斎して(神に)奉仕しておられると 玉梓(使い)の人は言っていました 

怪しいうわさでしょうか 私が聞いたのは 不吉な言葉でしょうか 

私も聞きましたよ 天にも地にも 後悔することを 世の中の(人たちが)

悔しんで言うのを 空の雲の遠くの極み 天と地の果ての邦に 杖を衝いても 

あるいは衝かないでも行ってしまって 夕占を問い 石占をして 自分の家に 

神の降りてこられる場所を作り 枕辺に 斎甕を据え 竹玉でしょうか 

間隔無く貫き垂らした しめ縄を 腕に懸け 天(國)にある ささらの小野の 

七ふ菅を 手に取り持ち 久しぶりの天(國)の河原に 出て 

みそぎをなさったのでしょう 高山の 岩山の峰に いらっしゃるようですね

 

**この詩は、石田王とありますが、石田(いはたの)女王に対するもののようです。石田女王は神護景雲三年(769)妖術で人

  を呪った罪で流罪になっています。そののち、從五位上まで戻ってはいますが、この詩の内容に「悔事」「悔言」とあり、こ

  のことを指しているものと思われます。

この頃は皇族に対して「死んだら元の天国(あまくに)に戻る」のだという考えがあったようです。ですから、この詩の最後にあ

る「久方の 天の河原に出で立ちて」というのは「久しぶりに戻ってきた天国の河原にやって来て」という意味なのです。

 

「我らのおほきみ」は皇女の事です。「とをよるみこ」は「たおやかな皇女(みこ)」。

「さにつらひ」は「さ瓊(に)垂(つ)らひ」で「きれいな(赤い)玉を(首に)懸け」。

「こもりくの はつせ」は本来「こもらくの はつせ」で「奥まった 流れの源」。

「こもら(籠るの未然形)+く(接尾語で体言化する)」と「はつせ(果つる瀬・吉田東伍)」

で「奥まった源流の所」という意味の普通名詞であろうと思われます。

「左右」は「邦」。「木綿手次」は「ゆふたつぎ」で「結ふたつぎ(目標・目印)」で標結(し

めゆい)したもの、という意味でここは「しめ縄」と解釈しました。

 

四百二十一、逆言之 枉言等可聞 高山之 石穂乃上爾 君之臥有

 

  さかごとし まがごととかも たかやまし いはほのうへに きみしたふれる

 

解釈:(この詩は)逆に言うと 不吉な言葉になってしまうかも 高山の 岩山の峰に 

君(あの方)が倒れている(と云う)

 

**「さかごと:逆言」は順序が逆の事。

 

四百二十二、石上 振乃山有 杉村乃 思過倍吉 君爾有名國

 

  いそのかみ ふるのやまなる すぎむらの おもひすぐべき きみにあらなくに

 

解釈:石上の 布留の山の 杉林(を過ぎるように簡単に) 想い過ごしてよい 

貴女ではありません

 

**「いはほのうへ」のことばから「石上」の「布留」を連想したものでしょうか。

 

丹生王なる人物は不詳です。しかし、石田女王に対する思慕の思いは強かったようですね。

彼女をとても大切に思っていたことがよく伝わってくるように感じます。

 

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス