日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

 

2002・八千戈 神自御世 乏孋 人知爾来 告思者

 

   やちほこの かみのみよより ともしつゐ ひとのしりにき つげるおもひは

 

 訳:ヤチホコの 神の御代以来(大昔から) 羨ましいお二人です 皆知っていますよ 

   (お互いが)告げる想いは(倒置法)

 

**「孋」は「麗・驪」に同じ、とあることから「ふたつ、そろひ、つゐ(つい・對)」という 

  意味で「織姫と彦星」。

  「ひとのしりにき」は「ひと:(他人)+の:格助詞+しり:(知る)の連用形+に:完了

  の助動詞(ぬ)の連用形+き:過去の助動詞の終止形。

 

 *大昔から天の河を挟んでの、相思相愛だったことは皆知っています。

  これからもずっとお幸せに!

 *ヤチホコの神は大国主と言われていますが、日本神話で、天照大神より前の神様ですから、

  「大昔」としました。

 

2003・吾等戀 丹穂面 今夕母可 天漢原 石枕巻

 

   われらこひ にほへるおもて こよひもか あまのかはらに いはまくらまく

 

 訳:私達(集まっている皆)が恋しく思い 輝いている顔は 今宵もでしょうか 

   天の河の(見える)河原で 集まって輪になっています

 

**「われら」は「私達」。(河原に集まって、皆で夜空を見上げている風情)

  「いはまくらまく」は「いはま:(いはむ:集まる)の未然形+(く)接尾語っで、

  ク語法:集まる事+ら:語調を整へる語+まく:周りを取り囲む・輪になっている」。

 

 *今年も、七夕の夜、天の川で逢うお二人を見て、皆で心躍らせています。

  従来解釈の、「女性が一人で、岩を枕に寐る」と言う情景は思い浮かびません。

 

2005・天地等 別之時從 自孋 然叙手而在 金待吾者

 

   あまつちと わかれしときゆ おのがつい しかぞててあり かねまつわれは

 

 訳:天土地が 別れたときから 私の伴侶 そう思って 

   期待して待っているのです 私は

 

**「てて」は「とて:と思って」。「ててある」は「思っていて」。

 *「手」を「年」としている写本があるそうですが、私は底本に従います。

  「かねまつわれは」は「われは」と「かねまつ:見込んで(期待して)待つ」の倒置法。

 

 *貴方は、大昔から、私と一緒になることは決まっているです。早くお会いしたい!

 

2007・久方 天印等 水無河 隔而置之 神世之恨

 

   ひさかたの あめのきざしと みなしかは へだてておきし かみよしうらみ

 

 訳:ひさしぶりの 雨の前兆が有るよと言って 水無河に 離して居させたのです 

   神世の水辺のあたりに

 

**「印」は「しるし:きざし」。

  「おきし」は「居させた」と「うらみ」は「うら(浦:水辺)+み(廻:あたり)」は倒置

  法。

  「かみよしうらみ」は「神世の水辺(に)」。

 

 *神代の頃、(織姫さんは)間もなく雨が降って水無河に水が流れて渡って行けるから、

  水辺で待っていなさいと(彦星さんに)、言われたのですよね、きっと。

  だから、水が流れる、年に一度しか天ノ川を渡って逢いに行かないのかなあ。

少し遅くなってしまいました。今年の秋と一緒です。

 

寄花

 

1987・片搓爾 絲叨曾吾搓 吾背兒之 花橘乎 將貫跡母日手

 

   かたよぢに いととぞあよぢ あがせこし はなたちばなを ぬかむともひて

 

 訳:肩を捩って 糸のように私は(身を)捩っています 私の背中の兒が 

   花橘(の実を) もぎ取ろうとして

 

**「に」は格助詞で「~の状態で」。「叨」は「と」。

  「とぞ」は連語で格助詞の(と)+係り助詞(ぞ)の終助詞的用法(金田一)で「~という

  ことである」。「あがせこ」は従来親しい男性に対する呼び名とされていますがこの詩の場

  合「背中(背負った)の兒」という意味のようです。

 

 *背中の兒が、花橘を必死に採ろうとしていて、私は身を捩らなければなりませんでした。

  採らせなかったら、どんなに泣き叫ぶことやら。

 

秋雑歌

 

七夕

 

1996・天漢 水左閉而照 舟竟 舟人 妹等所見寸哉

 

   あまのかは みづさへててり ふねわたる ふねにのるひと いもとみえきや

 

 訳:天ノ川の 水(の流れ)に逆らって美しく輝き 舟が渡っている 

   舟に乗っているのは (私の)彼女に見えましたよ

 

**「みづさへて」は「みづ:水+さへ:(さふ:邪摩をする)の連用形+て:接続助詞」。  

  「竟」は「おはる・わたる」。「や」は詠嘆の終助詞。

  尚、「水左閉」の所が西本願寺本では「水底左閉」となっているのでしょうか。不審です。

 

 *天の河を良く見ていたら、天の河を渡っている綺麗な船に乗っていたのは、

  私の彼女のようでしたよ

 

1997・久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座津 乏諸手丹

 

   ひさかたし あまのかはらに ぬえとりし うらなきましつ ともしもろてに

 

 訳:久しぶりに(晴れた夜空の) 天の河原で 鵺鳥が(も)

   心の中で鳴いて(歌って、称える気持ちを申し上げて)居ました 羨ましいお二人に

 

**「歎」は「うたう・たたえる」。

  「うらなきましつ」は「心の中で(鳴き声に出さず)称えて歌って居られましたよ」。

  「まし」は「申す・まをす:申し上げる」という謙譲語の連用形。

  「ともしもろて」は「ともし:羨ましい+もろて:両手(彦星と織姫星)」

 

 *久しぶりに晴れている夜の天の河を見て、鵺鳥もお二人のことをそっと

  称えているのでしょう。いつもの大きな鳴き声が聞こえません。

 

2001・從蒼天 往来吾等須良 汝故 天漢道 名積而叙来

 

   あをぞらゆ かよふあらすら いましゆゑ あまのかはみち なづみてぞくる

 

 訳:春から (貴女のところへ)通っている私めだって 貴女のために 

   天ノ川(を見ながら夜の)道を 一途に来ているのですよ

 

**春は「蒼天(青空)」、夏は「昊天(光り輝く空)」、秋は「旻天(秋の空)」、

  冬は「上天(冬の空)」。ですから「蒼天」は「春」。

  「かよふ」は「通ふ:連体形」。「あら」は「吾等:わたくしども・わたくしめ」。

  「なづみ」は「なづむ:ひたむきに思いをかける・ぞっこん惚れ込む」の連用形。

  「くる」は「目的地に自分が居る気持ちの言葉・来ている」。

 

 *彦星と織姫は年に一度でしょ。それに比べて私なんかは貴女の許に春以来、

  夜道をずっと通って来ているんですよ。

  私の愛情と比べたら、彦星の愛情なんて・・、と言うのは少し言い過ぎですかね。

1975・不時 玉乎曾連有 宇能花乃 五月乎待者 可久有

 

    ときならぬ たまをそつるる うのはなの さつきをまたば ひさしかるべし

 

 訳:季節外れの 玉を連れています 卯の花としては 五月を待つと言うのは 

   少し遠すぎるからでしょう

 

**「うのはなの」の「の」は主格を表す格助詞。「かる」は「~くある」の略か。

  「べし」は推量の助動詞の終止形、「べみ」と読むと「~そうであるので」と言う条件句に   

  なる。

  この詩は、前に「已然形+ば」の条件句があるので、ここは「終止形」として読みました。

 

 *この「玉」は「露」のことでしょう。「卯月なのに露が降りて」と詠んで、

  「五月の端午の節句の薬玉(くすだま)を先取りしているよ」としゃれています。

 

 *薬玉というのは、五月五日の端午の節句に日に、長寿を願い、邪気を払うために、香料など

  を玉状の袋に入れ、五色の糸を垂らして柱などに掛けたそうです。

 

譬喩歌

 

1978・橘 花落里爾 通名者 山霍公鳥 將令響鴨

 

    たちばなの はなちるさとに かよひなば やまほととぎす なかさせむかも

 

 訳:橘の 花が一面に咲いている里に いつも行っているのならば 山霍公鳥を 

   鳴かせてくださるかもしれませんね

 

**「なば」は連語で、完了の助動詞(ぬ)の未然形(な)+接続助詞(ば)で「~てしまった

  ら」。

  「なかさせむ」は「鳴か:(鳴く)の未然形+さ:尊敬の助動詞(す)の未然形+せ:使役

  の助動詞(す)の未然形+む:推量の助動詞」で「鳴かさせなさるでしょう」。

 

 *前段は現在進行形で、通っているのは、この句を贈った相手。後段はこれからの推量で、

  作者は自分を山霍公鳥に喩えているようです。

  即ち、鳴くのは自分。(私を喜ばせてくださるのですね)

 

 *この詩には主人公が出て来ませんが、主人公は訪ねてきた彼と待っていた私(彼女)です。  

  橘と山霍公鳥は背景と効果音と言うところでしょうか。

 

1980・五月山 花橘爾 霍公鳥 隱合時爾 逢有公鴨

 

    さつきやま はなたちばなに ほととぎす なばらふときに あへるきみかも

 

 訳:五月の盛りで 花橘に 霍公鳥(が隠れる)ように 

   隠(かくれ)るのに良い折りを見計らって (いらして)共寝をしている貴方ですね

 

**「五月山」は「五月の季節の盛りの時」。

  「なばらふ」は「なばる(なまる・かくる):隱る:の未然形+ふ:動作の反復・継続を表

  助動詞の連体形」。「とき:時」は「良い時節・盛の時期」。

  「あへる」は「あへ:共寝をする」の已然形+る:継続の助動詞(り)の連体形。

 

*霍公鳥が花橘に隠れて鳴いているように、貴方も隠れたくなると共寝をしにやって来られて私

 を鳴かせるのですね

 

1981・霍公鳥 来鳴五月之 短夜毛 獨宿者 明不得毛

 

    ほととぎす きなくさつきし みぢかよも ひとりいぬれば あかしえざるも

 

 :霍公鳥が 来て鳴いている五月の 短い夜でも 独りで寝ているので 

  ぐっすり寝てしまいます

 

**「いぬれば」は「いぬれ:(いぬる:寝る)の已然形+ば:接続助詞」で「寝たので」。

  「あかしえざるも」は「あかし:(あかす:夜明けを待つ)の連用形+え:(得・う:~す

  ることができる)の未然形+ざる:(ず:打ち消しの助動詞)の連体形+も:詠嘆の終助

  詞」で「夜明けを待つ事が出来ない・熟睡している」。

 

 *好きな人と共寝をしていると短い夜が更に短くなりますが、独りだと、心置きなく、

  ぐっすり寝れます。