タンスの肥やしになっていた、高校3年生(もう30年も前だ…)の頃に描いた絵が出てきました。
いま見ると、泣きそうなくらいひどいできばえです。独りよがりも甚だしい。少しでも見てくれる人のことを考えて描いたら、とりあえずポストが宙に浮かんだりしないでしょう。絵は描いた人の知識を赤裸々に表してしまうから、当時の私がいかに物事を知らなかったがよく分かります。
思い出しました。
ある日、滅多に話しかけてこない父親が私を呼んで、居間の畳に座らせると、「会社が倒産しそうだから、おまえを大学に進学させることはできん。」、と、言ってきました。
高校3年の夏だったか、家に経済力がない、と、はっきり宣告されてしまったのです。
普通の子なら、進学を諦めて就職する方向に舵を切るでしょうが、私は、高校2年で他界した母親がずっと入退院の繰り返しだったことや、父自身も胃を切除するという大病を患ったことも記憶に新しく、そもそも家にお金がないことはうすらうすら感じていたので、めげませんでした。
だいたい私は、大学に行くと決意したのが遅く、丁度これから受験勉強を始めようかな、と、思っているところでした。
つまりはまだ、受験戦争(今と違って当時は大学に入るだけでも大変だったので、そう呼ばれていました)を勝ち抜くだけの学力がまだ、全くありませんでした。
家の経済力と学力は、どちらか一方がないと悲劇になりますが、この場合、両方無かったので別に悲劇になりませんでした。
それに当時の国公立大学の学費は今と較べてずっと安かったので、国公立なら、働けばなんとか自分で払えそうだと踏んでいました。別に親の援助が無くても進学の道を諦めるほどのことはなかったのです(ここも今と違いますね)。
新聞奨学生という手段もあり、心の支えになっていました。
この絵は、新聞奨学生は実際やると大変そうだから、新聞奨学生をしながら苦学して大学に行こうとする少年を主役にした漫画を描いて雑誌の新人賞に投稿し、賞に食い込んで、その賞金で大学の入学金を手に入れようとして、確か夏休みに描いたものです。(勉強しろよ)
結局、完成させることが出来ず仕舞いで雑誌に投稿することすらできませんでしたが、そのうち道は開けるだろうという、独りよがりで安易な考えで突っ走ってしまうあたりが若気の至りというか、なんというか、バカとしか形容が思い当たりません。向こう見ずで、諦めると言うことを知らないのです。こんな生徒が自分のクラスにいたら、担任はさぞ苦労することでしょうな。
この構図もなっていない、人物もバイクも背景もろくに描けていない(出さないでよかった)絵なのですが、よく見ると一生懸命描き込んだ跡もあり、ダメなりに本気だった事が感じ取れます。
社会に通用するものが一つもなくても、未来を切り開こうとして、一生懸命だったのでしょうね。
私は、今では、高校生の進路開拓のお手伝いをしています。我が身を鑑み、どんなに無鉄砲なことを言う生徒がいても、真剣に向き合いたいと思います。