気象や宇宙の勉強をして膨らむ妄想 | はし3の独り言

はし3の独り言

腕時計に自転車、高校理科の話題が多いブログです。日常で印象に残った出来事も取り上げます。時間があって、気が向いた時しか更新できていませんが、ご愛顧よろしくお願いします。

 物理のすごいところは、自然の法則を数学を使って理解し、未来を予測するところにある。もちろん過去もさかのぼることもできる。

 

 言い換えれば、タイムマシンなんかなくても、ヒトの思考や論理だけは時間の束縛から自由になる可能性を秘めているのだ。これはとても素敵なことだと思う。

 

 さすが物理はキング・オブ・サイエンスといったところか。

 

 さて、未来を予測することに執念を燃やす学問といえば気象学がある。

 

 最近の気象学はすごくて、世界中から集めた気象観測結果をスーパーコンピューターで処理して、未来の大気の状況をシミュレーションしている。時間スケールは数分から数百年先までと多様だ。

 

 数値予報の父と呼ばれるイギリスのルイス・フライ・リチャードソンは、1920年頃にそう考えて数値スミュレーションによる気象予報を試みた。大気も物理法則に従って運動しているから、理屈の上では予測が可能なはずである。

 

 残念ながらリチャードソンの時代には気象予測を数値で行うなんてことは夢で終わってしまったけれど、夢を引き継いだ研究者達がバトンをつないで、最近では随分精度よく気象予報を行うことができるようだ。

 

 ただ、ヒトの能力にもヒトが作り出す道具にも、完全に将来を見通すことができるレベルはまだない。バタフライ効果で有名なローレンツが気づいたように、私たちは気象予測の世界ではカオス力学にのっとり、数値解析に頼らざるを得ないのだ。完全に予測できないという点では、リチャードソンの描いた夢は未だにまるで夢のままだ。

 

 昨日、ふと、仮にヒトが物理を使って森羅万象を理解するところまでいったとすると、どういうことになるんだろうと考えて思索にふけった。私には小さい頃から極端を想像して妄想を膨らませるところがあるのだ。

  

 もし、地球大気の現状を、例えば大気の状態を分子1個のレベルで精確に観測できたとする。そうして、分子運動をこれまた精確に誤差無くシュミュレートできるスーパーコンピューターがあったとする。

 

 そんなリチャードソンの夢が現実になった世界では、気象観測の必要はもうない。過去の天気も未来の天気も全て計算で求めることができるはずだ。

 

 生物が気象に与える作用はどうか?

 

 しかし、万物は全て物質からできている。大気も私も同じなんだよね。原子でできているという点では。もちろん宇宙という存在すらも。

 

 最近の宇宙物理学もすごくて、理論的に存在するはずの素粒子をとうとう全て発見し、ビッグバン以前の状態まで数学的にかなり美しく説明ができるという。大ざっぱながら実に130億年以上の時間をさかのぼれるようになってきたのだ。

 

 物理や数学がカオス的な要素を消し去るところまで進歩して、確率・統計学が意味を無くしたとき、私たちの思考はとうとう時間の壁を越えられるはずなんだろうけれど、そう考えちゃうと、まあ、極端を考えちゃうと、いま、私がこうして、まったくむだな文章を綴っているのも、ビッグバンの瞬間には、すでにそうなると決まっていたことになるんだよなあ。

 

 ヒトの思考も、脳で行っている。脳だって物質だ。何十億年前に、宇宙のどこかで起きた超新星爆発で作られた物質が、巡り巡って脳を作っている。世の中の物質の運動に法則があるというなら、現在というものは最初からこうなると決まっていたことだと言えないか?

 

 将来がどうなるかなんて、人間に分かる能力がないだけで、本当は決まっているんじゃないのかなあ。

 

 100年も前に生きたリチャードソンは、数値予報にチャレンジしながら、いったいどんな夢を見ていたんだろう。

 

 自然科学が神のレベルまで進歩したら、それもきっと分かるんだろうな。思考も物理現象と言えなくもない。