新居にたまたま置いたセンターテーブルがことの始まり。
オシャレな家具に心躍らせていた私が買ったのは、鏡張りのサーフェイスをもったイタリア製の品だった。
広い居間が、さらに広くなる効果を期待して買ったのだが、思いがけない副作用をもたらしている。
ある日、鏡をのぞき込むと、おや?、鏡に映った自分の顔が、なぜか普段より凛々しかった。
おお、二重になってる~ヽ(´Д`ヽ)(/´Д`)/イヤァ~
なんだこれは、これが噂に聞く魔法の鏡か?
私は、洗面所に入って鏡を覗いてみた。普段通りの自分がいる。目は一重だ。
居間に戻って、センターテーブルをのぞき込む。
うぉ~、やっぱり、凛々しい~(●^∀^●)あはははは(●^∀^●) ヘンナカオ~
どうやら、私のまぶたは下を向くと、まぶたの皮に余裕ができて、二重になるようだった。
家族に一重は私だけだったので、遺伝的には二重でもおかしくないなあと思っていた。
まぶたが一重になるか二重になるかは、実は遺伝で決まっている。遺伝的に一重の人は、二重になりようがないはずだ。
すると、私のまぶたは、四十年以上も、二重になりたくても厚い脂肪に邪魔をされてなれずにいたってこと?
って、ことは、なにかい?
私は本来の自分の顔を、四十年以上も知らずに過ごしてきたってことかい?
しかし、まあ、今さら顔が変わっても、周りが戸惑うと言うものである。
目は、人相ではもっとも主張の激しいパーツである。目が変わってしまうと言うことは、まるで別人になってしまうことを意味する。今さら、それは困る。
でもまあ、下さえ向かなきゃ一重なんだから、日常生活は問題ないだろうと思っていたのだが、その日から、どうもまぶたの調子がおかしい。
なんか、まぶたが主張している。四十年もの長きにわたって押さえられていた二重の血が、覚醒した感があった。
そして、よせばいいのに、家に帰るとついセンターテーブルを覗いてしまうことが続いた。鏡ってのは、覗きたくなるものなんだよねえ。
そして三日前の朝のこと、起きてみると、まぶたがべろーんって感じがした。
まさかと思って洗面所の鏡を見にいくと、そこにはセンターテーブルの中にしかいなかった、凛々しい自分がいた。
もはや、うつむかなくても二重のままになる実力をつけていたのだ。(●^∀^●)あはははは(●^∀^●) ダレダオマエ~
しょうがなく二重のまま学校に行ったが、生徒の反響は予想以上だった。
先生、整形したんですか?と、聞かれるたびに弁明をしなければならなかった。
部活でも困った。
特に今日、女子テニス部の練習試合で挨拶の時、みんな整列していて、先生は生徒の前に立って話をするんだけれど、私の学校の生徒だけそろって下を向いていて顔を上げられない。
こみ上げる笑いの衝動を抑えるために、下を向いて唇を噛み締めているのだ。
黙って神妙に話を傾聴しなければならないシチュエーションなのが、余計に衝動を強くしてしまっている。テニスに笑顔は必要だが、求められているのはこの笑顔ではない。これでは試合にならない。
箸が転げても笑ってしまう年頃であるだけに、それまで線を引いたような目をしていた顧問が、ある日突然お目々パッチリになってやって来たのだから、無理もないが。
生徒に言わせたら、これが遺伝的に正しい私の顔なのだよ、と言われてもってところだろうな。
一週間後に大会を控えているのに、どうしよう。これでは試合を見てあげることができない。
そんなにやめてくれって頼まれても、だめなんだよ。もう元に戻りそうにないんだよ。
すまない、みんな。慣れてくれ。