2009/06/07
採用されたからといって、バラ色の教師生活が始まるわけではない。それは覚悟していた。そもそも楽な仕事ではないのだ。ましてや初任者など、風で飛ばされてしまうような存在だ。
初任校は最も県境に近い高校だった。随分と飛ばされたものだ。しかし自ら望んだ道だ。何があっても負けるわけにはいかない。
私は来年度の分掌を教えて貰うためにその初任校にいって、衝撃的な現実を突きつけられた。
教員の役割に部活顧問があるのだが、受け取った資料を見ると、な、なんと、何故か剣道部のところに私の名前が書いてある。
剣道部ですって~ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε= ヒイィィィ!!!!( ̄⊥ ̄ノ)ノ ?
剣道の経験など、ひとかけらもなかった。しかも、この学校は野球と剣道の盛んな町にあって、全く剣道に縁の無かった私でも名前くらいは聞いたことのある強豪だったのだ。
その高校では、有名な剣道の先生がずっと指導をしていたのだが、1年前に異動になってしまい、ここ一年は剣道のたしなみはあるが、選手経験のない先生が辛抱しながら続けていたのだ。
一年辛抱すれば必ず剣道専門の教員が来る!と、その町の誰もが希望をつないでいた所にやってきたのが、剣道を全く知らない初任の教員だったのである。
今でも、あの時の気まずい雰囲気を忘れることはできない。町の剣道のお偉いさんの自宅に呼ばれた時に見た、あの落胆した表情。剣道部の活動に初めて参加した時の、部員達のガッカリした顔。
私は、存在そのものがKYだった。
せめて私が出来ることといったら、一緒に剣道をすることだけだった。
剣道部の活動に参加して三日目、私は、防具を着けて、見よう見まねで剣道の練習に参加していた。教えてくれる人もいなかったので、生徒が先生だった。
当然ながら、稽古をしてもボコボコに打たれ続けるだけの顧問など、部員にとってみればものの数ではない。しかし、私は何とかして彼らの顧問になりたかったので、部活を一緒にやったり、町の道場に通ったりしてとにかく経験を積んだ。
剣道のいい所は、防具を着けて一生懸命やっていれば、仲間になれるところだ。
部活の生徒も仲良くしてくれた。学校のある町の剣道の人たちも、私の剣道の相手を、面倒くさがらずに務めてくれた。高校剣道の教員達も相手になってくれた。
剣道の稽古はとにかくきつい。真夏に稽古をすると、呼吸困難になって倒れそうになる。追い込みや打ち込みという激しい稽古のあとは、脱水症状になって血尿が出ることもあった。しかし、この程度の稽古は剣道をしている中高生なら当たり前にやっていることなのだ。
高校の剣道部の顧問になるためには、いったいどれだけの苦労を積めばいいのか。
気が遠くなりそうな道のりが先に見えて、何度挫けそうになったか分からない。しかし、その度に剣道で知り合った剣友の言葉に助けられた。みんな苦労をしてきたし、今でも苦労をして続けているのだ。大人になって初心者から始めたと言っても、剣道の世界では自分は特別ではないのだ。
続けることの大切さというものがある。
剣道でその言葉の意味を学ばなければならないのだなあと、うっすら感じていた。それができて初めて剣道の顧問として認められる時がくるはずだ。
当初に立てた目標は、四段に合格することだった。というのは、公式試合の審判は四段以上とされているからだ。剣道の専門と言われている教員達は、みんな四段以上を持っている。
それまで続けられるのかなあ、私は意志が弱いからなあ。
そして、今年、教員10年の春を迎えた。学校は変わったけれど、剣道部の顧問もずっと続けさせて貰っている。
10年…。よく続けたものだ。剣道も頑張ったけれど、仕事でも大切な仕事を任されるようになっていた。担任もさせて貰っている。責任は重い(重い…)。
「まあ、ちょっと続けたね。」、と、私は自分に声をかけることができた。これは自信になった。何でも10年続けるのは難しいからだ。
そして今日、静岡県の四五段昇段審査で、私は奇跡的に四段合格を果たした。
いったい何回目の受験だったのだろう。これまで4回落ちたか5回落ちたか、もう自分でも分からない。
諦めずに続けていれば良いこともある。10年やって少なくともそれは確実に学んだ。
段位というのは見えるものではないし、他の人には何の価値もないただの証書なのだけれど、今回の合格は、私にとってかなり大きい。
これで高校剣道部顧問のスタート地点に立つことができた気がする。
ここまで来るのに、星の数ほどたくさんの剣友達にお世話になってきた。微力ではあるが、今後、恩返しをしないといけない。
しかし果たして、10年で返すことができるのだろうか。