入院して、はや1か月になります。
抗がん剤も、2クール目が終わりました。
【CHASER療法】とかで、格好いい名前です。
じーぼん は、ほとんど副作用が出ず、給食も美味しく頂けてますが、
ひとつだけ、❝脱毛❞ が人一倍進行してます。
(ほとんど、残ってません!!! ちびまる子ちゃんの友蔵そっくりです。)
来週には、【自己抹消血幹細胞】を採取する予定です。
(痛いのかなぁ? ------先生には、恐れ多くて未だ聞いていません。)
そのあとは、少し ❝お暇❞ をもらって、里帰りが出来そうです。
久しぶりに、孫に遊んで貰いたいと思ってますが、
❝おつむの変わり果てた❞ じーぼん に、『誰だっけ』って言われるのが心配です。
今では、二人の孫に遊んでもらって、そんな幸せな じーぼん です。
が、思い起こせば、8年前の6月・・・・
住んでいる田舎の地元の病院で、❝ガン❞ の疑いが見つかりまして、
即、摘出手術する予定でした。
ちょうど、その頃に息子の嫁さんが、来月出産予定で、都会の大病院に世話になってて、
{ じーぼんは、生きられるのかなぁ? 孫にあえるのかなぁ ? }
とても、複雑な思いでしたが、
孫が呼んでくれたのでしょうか?
{ぼくは、都会の病院で、生まれるから、こっちに転院しておいでよ・・・}って言ったかどうかは、
不明ですが、家族の見舞いの都合で転院することとなりまして、
胃の検体細胞から、リンパ腫と診断され、
痛い手術をすることなしに、化学療法での入院治療でした。
入院中は時折、救急車のサイレンが聞こえ、誰かが緊急搬送されてきます。
{ もしかして、今の救急車は、孫が生まれてくるのかなぁ ? }
って思うと、夜中でも病院スタッフの目を盗んで、内緒で緊急搬送口に
行ったことが何度もあります。
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命を頂いた8年という月日の中で、二人の孫に会うことができました。
医療に携わる人たちは、『患者の治療や命を救うだけでなく、
夢と希望を与えてくれる存在なんだ』と。
でも残念ながら、完治できない患者もいます。
偶然にも同じこの病院に、親戚の子の知人が入院しています。
長時間の手術を何度も受けながら、医療スタッフの方々のお陰で、
少しづつ回復に向かっています。
【光と影】のどちらにも、全力で尽くしてくれるって・・・、
自分だったら・・・出来そうもない。
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と、しんみりと書いてる矢先、
---つづく---