読書㊺ 『尾瀬-山小屋三代の記』 (後藤 允著 岩波新書) | そういえば・・・

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橋本商工株式会社の社長のブログです

尾瀬の良いところは、無計画に

「行き当たりばったり」ができる

ところにある。

英語でいうところのwandering

(彷徨う)。wonderingではない。

 

 

しかしそんなことができるのも

先達が頑張ってくれたから、

ということをほとんどの

ハイカーは知らない。

 

尾瀬には幾度か危機が訪れた。

最初は電源開発の地として

水没する危機、そして次は地域

産業振興のため、道路が延伸し

環境を破壊する危機である。

 

もちろんそうはならなかった訳で、

それら危機を防いだ人たちがいた

ことを尾瀬を利用する者たちは

知っておくべきであろう。

 

 

電源開発はこの日本有数の豪雪地帯

でもある、新潟-群馬-福島三県の

県境の地をダムで堰き止め、

尾瀬ヶ原一帯を水没させてしまう

という計画であった。

水が流れ出るのが唯一、三条の滝で、

そこを源頭に発した只見川はすぐ

下流域に奥只見ダムという巨大ダム

があり、そこから発電された電力は

東京電力と東北電力に送電されている。

 

付け加えると、今でも大地主の

東京電力は系列子会社(旧 尾瀬林業→現 

東京パワーテクノロジー)に尾瀬の木道

の整備と山小屋の経営で環境保全に

大きく寄与している。

 

つづいて道路開発による地域振興策は

田中角栄の列島改造論に大いに刺激

を受け、戸倉(群馬県)から大清水、

沼山峠をへて桧枝岐(福島県)まで

道路を一気通貫しようとした。

当然それは尾瀬固有の自然にネガティブ

な影響を与えることが必至で、

長蔵小屋の三代目・平野 長靖が

発足したての環境庁の長官である

大石 武一に直訴し、結果彼の英断

で道路建設は中止となった(1971年)。

当時の三県の知事はそれに反発して

いたことを付記したい。

 

そしてこの活動は日本の自然保護

活動の先駆けとなった。

 

 

詳細はこの本に↓

 

 

群馬県の尾瀬憲章

尾瀬は、自然の偉大な恵みによって生まれ、自然界の厳しゅくな法則のもとに、すぐれた原始的景観を保ってきた。
高層湿原をいだく美しい自然は、ここに生育する動植物とともにきわめて高い学術的価値を有している。この貴重な尾瀬の自然は、祖先から受け継いだとうとい共有の遺産であって、これを国民の宝として大切に保護し、後世に伝えることは、われわれの責務である。ここに、われわれは、尾瀬の自然の美しさを愛し、そのとうとさをいっそう深く認識し、厳正な保護と秩序ある利用のもとに、国民の願いをこめて尾瀬の自然を守ることを誓う。

一 尾瀬を訪れる人は、その自然を愛そう。

一 尾瀬に接する人は、その利用に責任を持とう。

一 尾瀬を尊ぶ人は、その景観を破かいから守ろう。

一 尾瀬に親しむ人は、その豊かな恵みに感謝しよう。

一 尾瀬に誇りを持つ人は、その美しさを後世に伝えよう。

 尾瀬を後世に伝えることは、県民あげての願いである。

群馬県

 

 

いつまでもこの豊かな自然を

後世に引き渡してゆきたいものだ。