日本人にとってミズーリ号は忘れられない軍艦でもある。
日本がポツダム宣言を受託し、敗戦を決めたのが1945年8月15日なら、
正式に降伏文書にサインをし、敗戦国となったのが同年9月2日、場所は
東京湾に停泊中のミズーリ号の艦上であるからだ。
マッカーサーは、ペリーが黒船で二度目に江戸に来航したときに停泊した
場所にミズーリ号を停泊させ、また往時の星条旗を艦上に掲げ、日本に
『第二の開国』をもたらすシンボルとした。向こうの人はこういった演出が
好きだ。
(マッカーサー元帥が署名するのを見守る日本国使節団)
(ガイドさんによると、日本にあてがわれた降伏文書は、カナダ代表が自署を書く欄を
間違えてしまったため、結果最後のニュージーランドの署名が欄外となってしまった。それを
見た日本使節団が「こりゃ正式文書として持って帰れないよ」と抗議したため、結局は訂正印
ならぬ、訂正署名となったものが日本の正の降伏文書で、現在、原本は外務省の金庫の中
にあるという。敗戦国はこんな扱いなものらしい)
アメリカ、イギリス、オランダ、ソ連、中国、オーストラリアとはしっかり戦火を
交えているので、彼らが連合国であることはよく理解できるところですが、
カナダとニュージーランドも連合国に入っていたのは意外。この両国とは
戦争をしていないような気がするのは私だけでしょうか。
ところで上記の降伏文書でもカナダが間違え、結果、欄外に署名をしたのが
ニュージーランドであるところをみると、(この両国の)緊張感の無さが伺えます。
もうひとつミズーリにまつわる話というと、カミカゼ攻撃を受けたということ。
沖縄近海を遊弋中に日本のカミカゼ攻撃機に艦の右舷側に突入されたものの、
爆弾は不発(写真を見る限りでは爆弾を積んでいないような気もしますが)。
しかし航空燃料による火災が発生するも、これも素早い消火活動で鎮火。
日本兵の遺体の一部が回収される。
当時の艦長がその勇敢さを称え、周囲の反対を押し切り、アメリカ兵と同じ、
丁重な水葬で弔ったとのこと。戦闘の真っ最中に、なかなか敵国兵に情けを
かけられるということは難しいこと。この指揮官の立派さが、後世に美談として
記憶に残り、現在のミズーリ号の財産となっている。 合 掌
(ミズーリ号に突入するカミカゼ攻撃機)
(カミカゼアタックで舷側がへこむ)
(太平洋戦争当時の40mm4連装対空機関砲)
朝鮮戦争以降、湾岸戦争まで、ミズーリ号はいくつもの戦争で相手国領内へ
艦砲射撃を行っているが、そのすべては海軍を有さない相手への、反撃される
心配の(少)ない、一方的な攻撃であった。
ガイドさんの話を聞いて、ふと百田尚樹氏の小説 『永遠の0』 の重要なプロットを
理解したような気がした。
おしまい。