銀杏BOYZの峯田さんが




映画「1980」を見てガツンときたセリフとして次のものをあげていた。




映画の中でともさかりえさんが男子高校生にいったセリフで




「あなたぐらいの歳の時は、



人間オトナになる時は自然とオトナになれると思ってるんだろうけど、




実際オトナになってみな。




人間ね、




オトナになったからって





オトナになれないんだから」




というものだ。




これは結構自分も好きなセリフ。




今年で自分は24なんだけど




高校生んときの自分からしたら24歳なんてすんごいオトナの人っていうイメージだった。




考え方や趣味、振る舞い、




とにかく外見も中身も「大人」っていうスマートな感じで、




あー



今の坊主頭の高校生の自分からは想像つかないけど




そういう年齢になったら自然とそういうふうになるんだろうな




なんて思ってた。




ところが実際24になってみると




全然昔と変わっていない。




相変わらず変なことが好きだし



かっこつけて上手くやろうと思ってもできないし



小さいことでくよくよしたり、喜んだり



優越感と劣等感の間を行ったり来たり。




オトナになったからってオトナになんかなれない。




ほんとにこのセリフの通り。




だけどそれを高校生の自分に言ったとしたら



「そんなこと言ったって、



そういうこと考えて言ってること自体がオトナだよなー」



とか思うんだろうな。



ほんとは全然オトナじゃないんだけど。



そんなお話。




ハチクロを見ていた。



天才的な美術センスをもつハグちゃんを見て、




「一度ハグになってハグの目で世界をみてみたいよ」



といった登場人物の言葉が印象的だった。




自分の目で見ている世界がみんなのみている世界と同じである



そんな保証はどこにもない。




絵画で




モネの色づかいやカラバッジョの光の使い方をみていると




彼らはこんなふうに世界をみているのか




こんなふうに世界が見えていたらどんなに楽しいだろう




と思うことがある。




そして




自分は




モノクロの世界に生きている




ということを実感する。




森絵都さんの小説「カラフル」や



ミスチルの「彩り」




の世界観にもあるように




感覚を研ぎ澄ませることで




モノクロの世界がカラフルになっていくのではないかと思う。




モネのように目に見えない色をとらえ



カラバッジョのように目に見えない光をとらえ




モノクロの毎日をカラフルに。




そんなお話。

中村航さんの




「ぐるぐる回るすべり台」




という本を読んだ。




ストーリーには




死人がでるわけでもなく、




主人公が劇的に成長するわけでもない。





日常が舞台でストーリーが淡々と




しかしそれでいて飽きない雰囲気ですすんでいく。




読み終わって少し不思議な後味を感じる。




その正体は何なのか。



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実は大衆的に受け入れられやすいストーリーには





「死」というキーワードがある。





主人公が自分の死の可能性と直面する




または主人公にとって大切な人が死ぬ




実際死ななくても、強烈な挫折を感じて「心が死ぬ」




という具合に。




そこから回復したり、成長するところに大衆を引き付けるストーリーが生まれるのだ。




ハイデガーはこのように「死」について注目した。




死をみつめることに。





しかしそのハイデガーはナチスに肩入れすることになる。





そこで作家のブランショはハイデガーの批判を試みることになる。





「死」というキーワードから離れ、なおかつ感動をうむストーリーをつくること。




それが作家の役目だと。






現在でも感動を生み出すために死の要素を安易にストーリーに取り入れることは多い。




しかしそれがないのが




この中村さんの小説だった。




日常の風景、そして主人公の繊細な心情が丁寧に書かれている。




「死」というキーワードから離れることによって





「ドラマティック」




というストーリーではないが




それと別の感動が確かにあった。




自分が読後に感じた後味の妙はきっとこれだ。





たまには


「死」から離れた不思議なストーリーを。




そんなお話。




ちなみに



真心ブラザーズ桜井さんの解説が素晴らしかった。