お盆休みに決めたことができた。



アフリカを目指す。



がんばります。



薄い半紙を一枚ずつ重ねるように。

著名人というのは自分の専門分野以外の出来事にもコメントを求められることが多い。



震災から半年。




この間に




多くの著名人が今回の震災に対するコメントを求められたのではないか。




しかしショックなのは自分の知りえないことについて




あたかも知っていることのように語る人がなんと多いことだろうということ。




佐々木中さんも言っていたが、




そこには時に




何か気の利いたコメントをしなきゃ



いいこと言わなきゃ



という見栄や



自分は鋭いこと言っているだろう




という満足感が見え隠れしている気がする。




もちろん、日頃専門分野で活躍されているからこそ名が売れているのであり、




そうした方々の声が



被災された方のどれほど心強い励みになることだろう。




しかし、発言の中で




少しでも上に書いたような姿勢が見え隠れしたとき、





とたんにすべてがふわっと軽くなってしまうのだ。



突如として無重力空間に投げ出されたように。


それまで心に響いていた言葉は




ただ口から吐き出された息となり、




単なる音と化す。




そして被災された方の命までも軽くなってしまい




全員が戯曲の中に漂っているような空気ができあがってしまう。





中さんからの引用をしながら話すと、




我々は被災に対し何か気の利いたコメントをした人が頭がよい



というゲームをやっているわけではない。決して。



そしてそのようなゲームには断固として参加したくない。



沈黙という手段をもってして。



「隠ぺいというと知っている情報を隠すというイメージがあるかもしれない。



しかし、知らない情報を知っていると言い張ることもまた隠ぺいなのだ(作家の円城さん)」




ということだ。




心から同意。



普段二次資料の引用を嫌う大学の教授が




信頼できる人からの情報によると…




などと言って正当性のない情報を大量に引用し、




大勢の聴衆の前で専門外の分野である地震や、原発について得意顔で




あたかも自分の独創的な意見が正しくあるかのように話している姿をみた。




信頼できる人と



信頼できる情報とは別だ。





わからないことはわからないと言おう。



語りえぬことには沈黙を。







そして、



僕もまた、いろんな人の引用をして、




震災についてのコメントをいま書いた一人だ。




批判をしておいて自分でそれをやるという矛盾。



しかし、どうしても書いて誰かに伝えたかった。



もちろん、気の利いたコメントを…などという思いはなく



被災地の方々の気持ちを思って。




そんなお話。





ブログを書くときはいつも嫌悪感に包まれている。



嫌悪感よりブログを書きたいという意欲が上回れば書くのだけれど



そんな意欲はいつでも持ち続けられないので



結局、更新が不定期になる。






なぜブログを書くのが嫌なのか。



それは



「いかにも偉そうになってしまうから」



自分はこんなこと思ってるんだぜ!すごいだろ!



というような態度になってしまいそうで怖いのだ。




自分の考えや思い、感じたことを



もっと柔らかな文章で



ふわっと重力を感じさせないように伝えたい。



と思っているが、




自分はその技量をもたない。




故に硬くて偉そうな文章になるかもしれない思いつつ




ブログを書くことに嫌悪感を抱くことになる。




しかし



何よりも嫌で、何よりも恐れていることが一つある。




それは




「自分の言葉を失うこと」



だ。




ツイッターやmixiの普及でいろんな人の文章に触れる機会が多くなった。



けれどその分、コピペのように他人の主張をあたかも自分の主張のようにして



述べやすくなった。




また、1つの主張に対して自分の反論をもつまえに、




他人が考える反論を「検索」できてしまう。




これらを続けると




自分で考えることや、




自分の考えを自分の言葉で表現すること




をしなくなってしまう。




結果として、




自分の言葉を、自分なりの表現を失ってしまうような気がする。




それが何より恐い。




だからこそ、




また硬い文章で偉そうになってしまう




という嫌悪感を抱きながら




ブログを書き、



自分の考えを自分の言葉で表現したくなる。



なので



この意欲が消えるまで




またしばしお付き合いを。




そんなお話。