● ハンジ・ミュラー いろいろ
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ハンジ・ミュラーで検索してたどり着く人が何人かいるので、まとめてみました。
1982年のスペインワールドカップで活躍できなくて、その後移籍したインターミラノでもパッとしない感じでした。
雑誌で目にすることも少なくなっていって、選手生活晩年に所属していたオーストリアのクラブでのカップ戦で上位に進出した記事を当時のサッカー雑誌で読んだのが僕の知ってるハンジ・ミューラーの記事でした。
1990年に日本で行われた第2回マスターズサッカー(だったかな?)で来日して、左サイドタッチライン際でプレーを見せてくれましたね。
ルンメニゲとハンジ・ミュラーを、同じピッチで見たかったのです。
82年のスペインワールドカップで、短い時間同じピッチにいたけどさ。
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シュっツガルトの背番号10を着た、ハンジ・ミューラー。
全少の県大会の抽選会でもらいました。
たぶん、1982年(昭和57年)じゃないかと。
裏には、FC町田の選手が写っています。
全少のゲームじゃないかな?
たぶん、1983年(昭和58年)用の下敷きじゃないかと思っています。
記憶が曖昧なんですけど。
1982年ワールドカップ スペイン大会前の西ドイツ代表が表紙ですね。
ルンメニゲは欠場なので両ウイングを置いた3トップではなく、ワールドカップ本大会でも組み合わせたフィッシャーとリトバルスキーの2トップですね。
で、中盤の空いたポジションにマテウスを起用。
本大会ではコンディション不良だったのか、2次リーグのイングランド戦の先発と決勝戦のイタリア戦での交代出場しか、ハンジ・ミューラーの出番がなかったのは個人的には残念です。
1次リーグの頃は、マガトが起用されたりしてましたね。
ルンメニゲ、ハンジ・ミューラー、シュスターなど、主力選手のコンディションがあまりよくない西ドイツでしたね。
まあ、シュスターはプレーしたかどうかはわかんないけど。
でも、調子が出なくても決勝まで行ってしまうのは、さすが西ドイツだと思います。
● ハンジ・ミュラー
この下敷き持ってます。
よく見たら、ちょっと違っていました。
当時全少の組み合わせ抽選会とリフティング大会に行くともらえました。
裏は、全少の歌?(1・2・サッカー だったかな? の歌詞が書いてありましたね)
当時のアディダスの固定式サッカースパイク、デュッセルドルフの後ろにシュツッツガルトのユニホームを着たハンジ・ミューラーが小さく出てます。
当時のアディダスの取替式サッカースパイク、スツッツガルトの後ろにシュツッツガルトのユニホームを着たハンジ・ミューラーが小さく出てます。
当時のアディダスの取替式サッカースパイク、ワールドカップシルバーの後ろにシュツッツガルトのユニホームを着たハンジ・ミューラーが出てます。
【2024.4.24 追記】
この記事を元に、少し付け加えたり直したりして、新しく記事を投稿してます。
【追記 ここまで】