杉井さんちで飲み会。
書いていいのか確認するの忘れたけど、書いちゃいけないのは1人だけのような気がする。
主な目的は、ある人物を呼び出すこと。
『このライトノベルがすごい!2010』一位的に言うと、サモン。
その人物は杉井さんが某社のパーティーで見つけてきたのですが、事前に聞いていた話では
・大金持ち
・超リア充
・海外を長年飛びまわっている
という、なんでラノベ書いてんの? というようなスペック。
そういうわけでがくがくブルブルしながら杉井さんちに行くと、その人が待ち構えていました……。
赤松中学 先生です!!!
先生は私を見つけるなり、ダークスーツの内ポケットに手を入れます。
殺される! 私は本能的に死を覚悟しましたが、先生が内ポケットから手を抜くと、そこには一枚のカードがありました。
どうやら名刺のようです。
赤松先生「私、こういうものです」
渋いバリトンの声で、滑らかに言います。
ああ、ちょっと怖いけれども意外にいい人なのかもしれない。
そう思った直後でした。
赤松先生「M●ther F●cker 文庫……おっと、日本ではMF文庫と言うんでしたね。そちらで執筆させていただいております、赤松と申します(にこり」
怖い!
漏れ伝え聞く話では、強面のリア充に囲まれたときでも、
リア充「おう、お前生意気なんだよ。つーか、お前、どこ中だ? ああん?」
赤松先生「私か? 私は赤松中学だ」
リア充「あ、あか? あか? あかかかききやゃはゃゃはきゆつきひゆぃぃんまきいひいい・・・・(ぶしゃあああああびくんびくん」
赤松先生「……やれやれ、また無用な殺生をしてしまった(中指でメガネを押し上げながら」
というくらいだそうですよ!
すげえ!
あ、ちなみに、赤松先生の名刺には、先生手書きのアリアが描かれていました。
「アリアをよろしく」と文字を添えて、アリアがウッウッーウマウマのポーズとってます。
多分、先生は心優しい人なのだと思います。
で、まあ和気あいあいと年収とか初版とか貯金とか、多くの人が眉をひそめるような話を散々してから(でも考えてもみてほしい。作家と呼ばれる連中が集まって、今日の天気について話すのか? それとも政治について話すのか?(ここで肩をすくめて、ため息をつく) 人の認識に貢献しない科学と芸術はゴミだ。我々は刺激を欲している。そう。目が眩みそうなほどの、ゴールドの刺激ならなお素晴らしい!)、時節がら、『このライトノベルがすごい!』の話題に移りました。
つーか赤松先生持参するんだもの。ネタにしないわけにはいかない!
それにちょうど、最近皆相次いで新作はじめてたりするので、そんな話題。
ちなみに、先日にもあざのさん主催の焼肉パーティーがあり、その目的というのがあざのさんの新作を読んで感想を伝えた作家さんたちの労をねぎらうというものでした。
読んだのはしうさんとか師走さんとか鈴木さんとか。
で、読んで感想書いた人たちが焼肉おごってもらえると聞き、口々に騒ぐ連中が!
「あざのさんの新作すごい面白かった! 最後阿倍清明が月に向かうシーンは圧巻の一言だった!」
「あざのさんらしさがでてたよね! 俺は太陽と一体になって宇宙の真理を悟るところにしびれたね!」
「というかもうあざのさんの新作は読んだも同然! 読まなくてもわかる!」
「一億と二千年前から読んでたよ!」
などなど。
あざのさんはそれを
「やかましい」
の一言で一蹴。
そしたら、読んで感想を送っていたうちの一人の有沢さんが
有沢さん「もう、きみたちは図々しすぎるよ。遠慮というものを覚えたらどうだい?」
なんて大人の一言。
しゅんとした我々は、反省してこう聞きました。
我々「そうだよね。皆きちんと感想書いてるんだもんね。師走さんは結構な長文だと聞いたけど、ほかの人はどんなの送ったの?」
鈴木さん「俺はA4の用紙に半分くらいかなあ」
我々「おお、すげえ」
しうさん「口頭だけど、結構喋ったよ」
あざのさん「うん。参考になりました」
我々「へー。あ、じゃあ、有沢さんは?」
そして、有沢さんはこう言いました。
有沢さん「あざのさんらしくて面白かったってメールしたよ?(´・ω・) 」
我々「……」
我々「新作あざのさんらしくてとても面白かっ――」
あざのさん「やかましい」
結局、自腹になりました。(´ω`)
で、『このライトノベルがすごい』で順位がどうこう騒いでました。
作家さんがたの中には本気でこういう読者参加型のイベントに嫌悪感示す人いるんですよね。
ネット上でアマチュアが感想垂れ流してるだけなのにそういうのに権威持たせるな!とかいうのが大まかな意見らしいです。
もちろんそのとき杉井亭にいる人全員が好き勝手に評価されている当の本人たちなので、そんなふうな結構厳しい意見も飛び交います。
でも、私、この前『金と芸術』なんてストレートな本読んだんです。そこに大体こんなことが書いてありました。
「アーティストが批評家の評でどうこうなることはまずありそうもない。特にマイナスの方向にはそうだ。なぜならば多くの観客は批評家の批評などまず見ないし、批評家の批評をわざわざ見るほどの客は自分の目で作品を選ぶ」
愛の対義語って無関心だってさ。悪評も評、てよく聞く言葉だと思います。
まああとは、ライトノベルって言葉を使うな! 定義するとSFとかミステリみたいに滅ぶ!とかもたまに聞きますね。
で、それについても『金と芸術』にありました。(著者はオランダのアーティスト兼経済学者。どこの国のどのジャンルの芸術も似たようなものなのかなと思いました)
「アーティストは自分の作品を定義されることを嫌う。ただ、アーティストが自分の関わる作品群には定義しきれない新しいものがあると思い込むのは勝手だが、歴史を振り返れば、すべての芸術が定義され整理され、時代の一つの区分になってきた」
私はこういう考えに賛成する。
その思い込みの幻想の中でどう頑張るかが創作だ!
定義するなと騒ぐのが創作なのではない!
くくるなと不平を言うよりも、進んでくくりを壊しましょう。(ぴっぽっぱー
あ、そうそう。
赤松先生はすごいいい人でした。
杉井さんあることないこと言いふらし過ぎ!