陳情についてのブログは、私の委員会に付託されたすべてを書くことができませんでした。
既に健康福祉委員会が終わったのですが、なんともスッキリしない結果でした。陳情の取り扱いは、市民に無用な期待を抱かせる結果になったような気がします。

陳情をする市民の方って、その陳情内容が実行されるかどうかが重要だと思うのですが、そこの考え方が違うような陳情審査が行われたような気がします。「おっしゃる通りですね。その通りだと思います」と、ただ考え方に同調してくれ、というのが陳情なのでしょうか?

http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11023468962.html
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11023474522.html
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11023478800.html
のブログに関する陳情です。

これらの陳情に関して審議をしました。市役所内でも「健康被害」の考え方を述べるためとして、保健所が主に審議の参考のために質問を受けたのですが、どうにも質問者と答弁者のやりとりがかみ合わないのです。

なぜなら、以前、私はブログに書かせていただきましたが、船橋市役所には、「放射能に関する知識を有する者がいない」のです。知識を有する者がいませんから、「責任をもった判断」「責任をもった答弁」ができるわけがないのです。だから信頼できる「指示」「情報」「指導」などがない限りは、動きようがありません。

市民全体に責任を負う立場の市役所が、「あいまいな」まま行動を起こして許されるのでしょうか? 私は「否」だと思います。100人中99人がやれといっても、市役所はやるべきではないという判断をすることもあります。

最近の新聞記事か雑誌記事にありましたが、「政治家は国民が好むことをやるな、市民のためになることをしろ」というニュアンスのことが書かれていました。誰かの言葉です。誰だか忘れました。ここを申し上げたい。100人中99人が「いいねえ~」「やって」と言っても、市民のためにならないことはやってはならないのです。

この放射能の問題は、ためになるかどうかも判断できないのです。だから、陳情で同調してくれと、それだけで良いということなら、どんどん同調すれば良いでしょう。しかし、絶対にできないと言っていることに同調をして、議会も多数意見を持っているという結果を導いて良いのでしょうか。という疑問が残るものになりました。

妙な期待だけを抱かせて、「私はやるべきだと言ったんですけどねえ、市役所がダメだって言うんですよ」と言われるのはたまらない話ですね。

議員をやっている方って、船橋市議会を見回しただけでも、50人が50人すべてが日本語を理解し、物わかりが良い人ばかりです。ダメだとわかっているのに、ダメだと言わず、「一緒に闘いましょう」的な行動をとる、そもそもの議員としての存在が、「反権力」の政治的スタンスを常にとることが要求されている党の人はそれで結構です。しかし、そうでない党の人は、やはり責任ある行動をとっていただきたいものですね。