由布市内で唯一の高等学校です
本年で開校73年になります
沿革
1941年(昭和16年)4月11日 - 私立庄内実科高等女学校開校。
1951年(昭和26年)4月 - 大分県立大分上野丘高等学校庄内分校となる。
1955年(昭和30年)4月1日 - 定時制の大分県立碩南高等学校となる。
1962年(昭和37年)4月1日 - 定時制から全日制普通科に転換。
2006年(平成18年)4月 - 前年10月1日の由布市発足に伴い、大分県立由布高等学校に改名
さあ大湯鉄道とどう結び付けましょうか
私立庄内実家高等女学校を開校したのは、小野学園といいます
理事長は小野猪六(おのいろく)さん
明治20年生まれ
若い頃大変な苦労をして、大正10年独学で酒造業をはじめます
場所は大湯鉄道で賑わった最盛期の小野屋
銀蝶で有名な、今の小野屋酒造さんの創業者です
もともと小野屋一帯の小野家の本家も酒造業でした
大湯鉄道株式会社監査役の、本家当主小野昂(たかし)さんは
明治期に5期18年阿南村初代村長を努め、途中二度県会議員にもなられています
その後大湯鉄道監査役になられ、どこかで酒造業はお止めになられていたようです
また分家筋の小野屋酒店さんは、小野屋の駅名の元になるなど
小野屋酒店に行くことを小野屋に行くというほどに
明治大正当時、大繁盛だったようです
そんな小野一族の別の分家筋で3男として生まれた猪六さん
3男ということで、十分な教育を受けられなかったのでしょうか
自らの境遇からか、大変教育に力を入れておられました
由布市庄内町では教育家としても知られた方です
阿南村の村会議員をはじめ大分県会副議長まで勤められました
そして設立したのが、小野学園であり私立庄内実科高等女学校です
もともと大友家家臣であった小野家先祖が小野屋の地に移り住んだのが1590年代
1730年には、酒造業で成功し久保村(由布市庄内町久保自治区)の庄屋になります
以来、庄内の水路開発などに力を尽くすなど小野家は小野屋を代表するお家になっていきました
それから明治大正時代を迎え、一族からは多くの地名士や政治家が生まれました

今日は、小野屋の町の中を鳶(とび)がとびまわってました

つがいです
小野家本家の昂さんから数えて4代目の、現当主小野淳一様にお伺いしました
長大な家系図を丁寧にご説明いただきありがとうございました
また小野昂さんをお調べいただき、
小野家本家をご紹介いただきました由布市商工会の角田副会長、
どうもありがとうございました