
高いところで水深5mにもなります。
過去に起きた別府湾を震源とした地震には、慶長元年(1596年)9月、別府湾を震源とした、慶長豊後地震があります。
マグニチュード7.0前後。
震源地が別府湾内であった為か、地震直後に津波が発生。
津波の高さは5mとも6mとも言われています。
大分の沿岸部にあった沖の島が、津波とともに水没。
大分の瓜生島伝説のモデルになりました。
それから400年。
現在、別府湾直下型地震の発生確率は、30年以内が0~4%、100年以内が0.2~10%。
東南海地震に至っては、30年以内が70%、50年以内が90%です。
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私たちの由布市でも、1975年4月21日(昭和50年)大分県中部地震という大きな地震がありました。
震源は由布市庄内町。
規模は戦後の九州内陸部では最大のM6.4の地震でした。
負傷者 - 22名
住家破損
全壊 - 58戸
半壊 - 93戸
非住家の全半壊 - 104戸
道路・橋梁の損壊 - 185箇所
土木構造物・建造物の被害については、やまなみハイウェイで、道路法面や盛土の崩壊が発生しました。
また、山下湖湖畔にあった4階建ての九重レークサイドホテル(1965年完成)は、当時の建築基準を満たした鉄筋コンクリート構造の建物であったにもかかわらず、ホテル北東側の1階部分が完全に潰れて、3階建てのような外観を呈したそうです。
これは、東側部分には、エントランスホール、ロビー、売店等が集中しており、壁が少なく剛性が不足していたためと考えられた。
1981年の建築基準法改正では、この事例をひとつのきっかけとして、俗に「新耐震」と言われる耐震基準が策定され、剛性率の規定が盛り込まれています。