いつも読んで頂いてありがとうございます。
毎回読者登録、イイね連打、コメに感謝致します。
またまた随分空いてしまいました。
お詫び申し上げます。
こんなさなかですがお陰様で新規入会者が続々と来て頂け、お問い合わせも多く実に有意義な日々を過ごさせて頂いております。
こんな時期だからこそ、心許せるパートナーやらあたたかい家族、大事な人の存在価値が大きくなっているのだと、新規の皆様からのお話でも痛感致します。
今日は一部のマニアの読者様に好評の私のくだらんゴタク、人生論を久々に再開してみます笑。
家族の形は実に様々だが、大きくジャンル分けするとこうなる。
「善人家族」と「悪人家族」である。
今回は家族に区分分けしているが、恋人やら夫婦、友人関係にもアレンジ出来るかと思うので参考にして下さい。
おかしな現象がある。
善人家族はケンカが絶えない。
悪人家族はケンカにならない。
普通善人家族の方がケンカにはならなそうなモノなのだが違うのだ。
賢い読者の皆様ならお分かりかと思う。
そうなのだ。
前者は皆「善人」になりたがる。
だから諍いが絶えない。
要は、何かが起きると
「誰なの、こんな事したのは…」
誰かを責めるわけだ。
「弟が悪いのよ」と姉は善人になりたがる。
すると弟は「お姉ちゃんだっていつもやっているじゃないか」
と姉を責める。
つまりは誰もが悪いのは相手であり自分は悪くないと考えるのが善人家族なのだが、云うまでも無くケンカは絶えない。
さて一方の悪人家族はどうだろう。
母親「お母さんが直接キチンと弟に云わなかったからごめんね」
姉「お母さんのせいでは無いよ。私が弟にキチンと伝えなかったからごめんなさい」
弟「違うよ。悪いのは僕だよ。キチンとお母さんの話を聞いて無かった僕が悪いんだよ」
そうなのだ。
悪人家族は皆悪人になりたがる。
皆自分が悪い、悪いのは自分だと悪人になりたがる。
だからケンカになりようが無いとの現象が起きる。
実に云い得て妙な話にオチが付く。
この家族の決定的な違いは
「思いやり」要は「愛」ですな。
コレがあるか無いかに凝縮される。
人間、大概自分が大事なのも悲しい現実。
時には少しばかりのナルシストな部分も無ければ生きてはゆけまい。
けれど調子づいてはいけない。
自己チューやら自分大好き人間からは人は確実に離れていく。
いい歳ならばこれには気付かなければいけない。
少し思い出して欲しい。
謙虚で、相手の事まで思いやれる人とはなかなかケンカにはならんのと違いますか。
これこそが人間の器量かと思うようになった。
自分を愛しながらも周りをも愛する。
自分が悪いと「悪人」を買って出る器量まで備えている。
こんな「心深き悪人」になれたら幸せなのでは無かろうか。
そんな生き方がステキに思えてきたらば人生も好転していくのでは無かろうか。
婚活者にも覚えておいて欲しい。
そんな伴侶に巡り逢えたら一攫千金モノなのだ。
そんな日々を積み重ね経過しながら、緩やかに和やかに老いていけたら…こんな幸せな事は無いのでは無かろうか。
ふとそんな事を最近思う。
云い換えれば、これが「オトナ」と云うモノなのだろう。
魅力とはこのようなモノでは無かろうか。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
今日も訪問に感謝致します。