いつも読んで頂いてありがとうございます。
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私事で恐縮かつ唐突だが昨年60歳を迎えた。
正確には迎えさせてもらった。
随分年寄りになったなぁ…。
本音はこんな低レベルの感想なのだが、今日まで大病も無く過ごしてこれた事に関してはひたすら感謝しか無い。
50代で両親共に見送る事に直面する現実が降り掛かった。
コレは衝撃でしたね。
先に母が逝ったわけだが、この現実も当時は受け入れられ無かった。
何しろ親を亡くした経験も無かったわけだから、どこかで親が逝く筈など無いと勝手に決め付けていた浅薄さが自分の中に渦巻いていた気がする。
しかしながら現実は厳しい。
このどうしようも無い現実を少しづつ受け入れていったのを思い出す。
云うまでも無く父親の憔悴ぶりは半端では無かった。
配偶者を亡くす事の辛さを経験した事の無い私には気の利いた言葉を掛ける器量は無かった。
その後、今から2年前、父までも見送る事になろうとは…。
母もそうだが、父も当日まではピンピンしていた。
母は正確には4日前まではピンピンしていた。
概ね2人共にピンピンコロリである。
だからこそ、余計に信じられなかった。
コレは夢か幻か…。
悲しいかな普段は夢など滅多に見ない私なので夢である筈も無かった。
実の親を褒めるのもこっ恥ずかしいのだが、夫婦仲は良かったと思う。
小さい喧嘩はしょっちゅう見てきたが、絆らしきモノは存在する夫婦だったように思う。
ダメなモノはダメと厳しいが、後腐れは無かった。
このような経緯なのだが、衝撃は捨て切れんものの、最期まで子供思いだった。
何故か…。
世間では寝たきりの親の介護で自分の生活すら立ちいかん人も沢山おられる。
…想像を絶する大変さかと思う。
誰も悪く無いのに現実の厳しさだけがそこにある。
避けられん試練と葛藤だけがのし掛かるわけだ。
ツラいですが、誰にでも起こり得る事なのだ。
うちの場合こんな経験をしなくて済んだわけだから、これも子供思いと云えようか。
けれども、決して他人事とは思っておりません。
今現在、親の介護などで自分の生活すらままならん人も居られるかと思う。
このような時、自身が壊れてしまうような現実にも直面する。
そんな時は自分を大切にしながら、親にはやさしい言葉のひとつでも掛けてあげて欲しい。
やさしい言葉だって親孝行のひとつかと思う。
私にはこのあたりが思い切り欠けていた。
後悔先に立たず…親孝行、したい時には親は無し。
深い言葉だ。
そんなこんなで両親を見送り、悲しみの渦中にいたその時、またしても試練が訪れる。
父の葬儀を済ませて数週間、今度は飼い猫である。
18歳。
心の何処かでそろそろかとも思い始めていたものの、いたって健康でハタチまでは大丈夫とタカを括っていたのも束の間…その日は突然訪れた。
この経緯は過去の記事やアメ限記事にも綴ったように、かくも見苦しいまでに乱れた。
壊れた…と云ったほうが正解かも知れない。
よく生きてはくれた。
しかし、ある日突然は悲し過ぎる。
病気も殆ど無く最後まで飼い主思いの猫だったのだと改めて思うと泣けてくる。
人間との別れは慣れっこではあるが、動物との別れは別モノである。
…こんな苦しい別れは2度と経験したく無い。
こう心から思い、この歳になって動物を飼うのはやめようと心に決めた。
個人差はあれど、誰しも50代くらいから人生の葛藤は始まる。
ひとつとして親との別れは実に大きいと云えよう。
熟年離婚、死別なども有るかも知れない。
避けて通れん事が人生にはあるのだ。
私の場合そんな事を経験しながらも、ある種の悟りらしきものも心に芽生えてきたのも事実かと思う。
人生は儚い事も多い。
けれども、誰かを恨んでも解決しない。
恨むエネルギーは同時に負のエネルギーも生む。
自分の人生を呪うのもアホらしい。
この歳になってみて分かった事は、自分を変えん限り人生は好転しないと云う事に辿り着いた。
他人への思いやり。
他人への感謝。
些細な約束でも守る事。
他人には誠意を持って向き合う。
時には嫌な相手を切る度胸も必要。
…こんな事を継続してこそ人生は好転するし、良い人とも巡り逢える。
これこそ徳を積む事なのだとぼんやりと分かってきた。
これが現時点での60歳の私の悟りらしきモノだ。
お陰様で私には心ある沢山の読者様が居てくれる。
底知れぬ苦労をされておられる心ある沢山の皆様もおられます。
そんな苦労人が大好きです。
やまない雨はありません。
そんな読者様にも今日は改めてお礼が云いたい。
いつもありがとうございます。
長くなりました。
お詫び致します。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
今日も訪問に感謝致します。