【筆談コミュニケーションがある暮らし〜おめめどうを知ってほしい】        | いくつもの「月がまわってくる」~自閉症・発達障害支援会社社長のブログ~

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障害支援グッズ&サービスの小さな会社法人 株式会社 おめめどう

自閉症支援は。ポジティブシンキンぐ~~~♪(笑)

今年で、14年目ハル社長の丁寧飯と、居心地の良い暮らし

このブログは、旅グルメとおめめどうへのお便りを主に載せていきます。

5年前にかいた原稿が、アップされてきたので、今年もシェアします。新しい人も多いだろうから

 

もう、ご存知ない人も多くなったと思いますが、自閉症支援も歴史がありますね

 

おかげさまで、いろいろあっても、のんびりした成人期を過ごさせていただいています。ありがとうございます

 

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ST雑誌の原稿、ざっと書きました。これを半分にしていきます(汗)できるのか・・・

 

【筆談コミュニケーションがある暮らし〜おめめどうを知ってほしい】       

株式会社  おめめどう 代表取締役 奥平綾子

 

「どうやら見せたほうがいいらしいんです」ことばの教室で出会ったSTさんが、初めての日にそう言われました。この言葉の出会いがなかったら、私は今、この原稿も書いていないと思います。

 

当時(1995)ようやくTEACCHプログラムが学術誌に紹介された頃でした。それを読まれたSTさんは、「なるほど、私たちが日々対応している自閉症、自閉傾向と呼ばれる子供たちは、聞いたことより、見た方がいいんだな」と気づかれたと言います。その言葉を聞いて、診断されたばかりの次男の「同じ道ばかり通りたがる」「ビデオのフレーズは覚える」「ちょっとでもブロックが歪んだらパニックになる」様子からも、ああ、おめめの方が強いんだなとわかりました。それが「おめめどう」の起源です。「どうやら見せた方がいいらしい」それを、もっと多くの人に知って欲しいから。

 

幼児期は、二週間に一度次男の療育に通い、そこでは親の会にも入りました。同じ境遇の親御さんと出会ったのも、そのことばの教室です。楽しい仲間となり、その後彼女らとおめめどうを起業します。

 

「家でもできることはありませんか?」と聞くと「太田のステージ」の本を貸していただきました。そこから、自閉症の勉強が始まりました。「自閉症」と付いている本は片っ端から読みました。抱っこして触れ合うもの、何時間も座らせ指示通りさせるもの、子供のするがままに付き合うもの、テレビを見せてはいけないもの、食事療法をうたうもの。まさに百花繚乱期ともいう時代でした。当時出ている本で、TEACCHの本は佐々木先生の黄色本だけ。マーカーを引いて読んだけど難しかったですね。だって障害なんていうものに、向き合ったのは人生初でしたから、使われている用語もわからないのです。

 

神戸や大阪で行われていた研究会に夫婦で出かけ、半分ずつ子守をしながら、聞いて学んで、それで、家で絵カードをしてみる。また、パソコン通信が流行り始めて、ニフティサーブの障害児教育フォーラムに入り、読み漁っては、なにかしてみる。そんな暮らしを数年続けます。ことばの教室の他には、教育大学での演習のモデルとして応用行動分析の療育を受けました。TEACCHのショプラーさん、ABAのロバースさん。この論争が、自分の中で渦巻き、最終的に「障害は治らないのだから、暮らしやすい環境を整える方を取ろう」とショプラーさんに軍配があがります。当時のABAには、視覚的支援もなかったし、本人の気持ちを聞くがなかったことが、これはいずれ行き詰まるなと思いました。不自然ですから。

 

今も私は、早期療育ではなく、早期環境調整と話をします。また、おめめどうは暮らし支援をしてくださいとお伝えしています。それは、幼児期の経験から、「本人のモチベーションの無いものをいくら教えてもダメ」だなと思いました。だって、療育で習ったことよりも、当時から大好きだった鉄道から覚えたことの方が、結局多かったからです。

 

当時は命名と言って語彙をたくさん教えたら喋れるようになると思われてもいましたので、いろんなカードの言葉を見せて発語を促すようなこともありました。でも、「銀河」のカードを「ぎんが」とは言いませんよ。見たことないもの。公文のプリントでも「らくだ」「くじら」と言った見たこともないものを覚えるより、「おっとっと」というお菓子で覚える方が全然楽にできるんです。「人間は好きなことからしか学ばない」というのが座右の銘になりましたね。また語彙をいくら覚えても、コミュニケーションに至らないんだということも、わかっていきました。ただのエコラリアになるだけで、それは、本人も周囲も苦しくしていきます。

 

療育は就学を機にやめて、小学校でスケジュールをはじめとする視覚的支援をしてもらいます。それは大正解で、私もできないことを探すことがなくなりましたし、次男自身も自分の出来なさを自覚しなくて済みました。次は次はの課題がなくなるわけです。そして「障害特性による生活のしにくさの軽減」をしてきます。

 

障害を診断されて、どうしたら「治るか」「改善するか」をまず考えてしまいますが、実際はそうではなく、「本人が育とうとする」のを手助けするだけなんだな、いじらなくていいんだとわかっていきました。それが「すくすく」という状態なのです。でも、それには、彼らにわかるようにしないといけないし、暮らしやすくするがいるんです。

 

篠山市の小学校では初めてスケジュールをした子供が息子です。そのくらい、誰も知らないものですから、啓発に一生懸命でした。自閉症のことを知って欲しい一念で、HPを作ったり、通信を配布したり、そして、勉強会を3年間で25回開催しました。その時には私は、託児して、のべ1000人くらいの自閉症の子供さんをお預かりしました。それが日本で初めての「構造化された託児」です。たくさんの方が見学に来られましたよ。

 

家でも、学校でも、カレンダー日の移り変わりを伝え、スケジュールで1日の流れを伝えて、選べるものは本人に選んでもらい、見せて伝えてして暮らしていました。ただ、どうしても、発信は音声言語に頼ることが多かったのです。それが、おしゃべりをすることでトラブルに巻き込まれる「バーバルの弊害」を生んでしまいました。何度か「冤罪」に近い経験すると、さすがに「音声の言葉だけに頼ってはいけない」とわかり、発信にもAAC(見えるコム)を進めていきます。必ず書いて確認をするようになりました。

 

それから、知的障害の息子が幼く可愛らしく感じられ、年齢の尊重がおろそかになってしまいました。その歪みが生まれたのが、思春期になってからでした。そのしっぺ返しがやってきて、よくわかったのは、年齢の尊重とそれから、本人が自己責任のサイクルで暮らすことがいるという当たり前のことでした。詳しい内容は『しくじり思春記』を読んでください。

 

本人の発信は、その結果を見るところまでを言うのです。だから、「コンビニへ出かけたい」というとする、どうしてもだめじゃないなら、それを経験することで、雨が降っていたらめんどくさいし、いらないものを買ったら無駄使いしちゃった、お金がなかった、というようなことまでが、その「発信」というのだなとわかったんです。もちろん、叶えられない時には、理由を説明して、断ります。向き合うって、そういう「仲間はずれにしないこと」だということも。

 

でも、本人がそう発信をするには、判断するためにわかる情報提供をされないとできませんよね。それが、カレンダーやスケジュールに代表される視覚的支援や、場所がわかりやすくなっている構造化というものです。それから、自分の興味のある、好きなことをたくさんすること。それがあるから、自分から伝えたい、わかりたいと思うのですから。大人のさせたいことに囲まれても、言いたいことも浮かびません。

 

そしてこちらが待つこと。言うてくるまで待つと、発信は当然増えます。良かれと思って本人が言うてないのにエスパーしてこちらが促したり先取りしたりしていたら、その一言は消えていくのです。発信は、セラピールームだけで、レッスンをして身につくものではなく、暮らしの中の関係性や生活スタイルなんだなと思います。

 

STさんとのご縁は、私は幼児期だけでしたが、「歩む方向」を教えてもらったおかげで、その後は子供との暮らしを楽しみながら、試行錯誤ができました。もちろん、その後も、自閉症や障害の勉強はずっとしてきて、ICFの意味がわかるまでは、何十回ICFの話を聞き、数々の体験をしてみないとわかりませんでした。そんなに簡単にはわからないんです。

 

AACを学ぶうち、絵カードやパソコンや携帯メールのコミュニケーションにも手を出しました。それもそこそこできたのですが、問題は、本人より、支援側が自作をすること、また支援機器を使うことに抵抗やハードルがあることでした。まだ、ICTも言われていない時代です。「うちの子は、タブレットでコミュニケーションするんです」とお願いしても、「いや〜うちの支援者では〜」や「他の利用者が壊した時には」と言われてしまうと思いました(実際当時のガラケーでも、教員は二の足を踏みました)。それで、人を選ばず、場所を選ばず繋いでいける方法として、メモ帳でのコミュニケーションを思いつきました。それがコミュメモです。

 

ただ紙に描く(書く)という簡単な方法ですから、ラミネートをすることもありませんし、壊れることもありません。嫌ならクシャクシャと丸めればいい。投げても人を傷つけません。それから、人を選ばない。

 

そして、みとおし、えらぶ、おはなし、どうしてと、意味がわかるフォーマットのある紙にしてメモ帳にしたんです。メモ帳ですから、すぐに使えます。そして、何十枚も書くと、自閉症の当事者も支援する側も、意味どりをし慣れていき、するするとコミュニケーションができる。個別性と言われている自閉症ですが、個別なのは情報であって、フォーマットではないということが、ユーザーが1000人を超えたあたりから実感されました。これ以上簡単なコミュニケーションツールは、私が今まで学んできたなかでは見たことがありません。

 

しかも、他の障害支援のアイテムからすると大変安価なために、小さい頃からお使いの方が、成人してご自身の年金でお買いになっていかれるんですよね。それがとても嬉しい。また、日用生活用具に登録される市町村も増えてきました。安価な上に、1割負担で済むなら、どれだけ、暮らしが楽になる人がいるでしょう。

 

自閉症の子育ては大変だと言われ続けてきました。もちろん、社会啓発により、理解が広がることは大切ですが、障害なのですから、「その特性による生活のしにくさの軽減」が先だと私は思います。療育ではなく、暮らしの支援です。

 

今、次男ばかりでなく、子供たちや当事者が、楽に思い通りに判断、発信ができるようになるお手伝いをするのは楽しいですよ。

 

だから、もっとおめめどうを知って欲しいですね。