『養生訓』 胃の気と生気(巻二23) | 春月の『ちょこっと健康術』

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「胃の気とは、元気の別名である。中和の気である。病気が重くても、胃の気のある人は生きる。胃の気のない人は死ぬ。

 胃の気の脈は、長くも短くもなく、遅くも早くもなく、大きくも小さくもなく、年齢に応じて、ほどよく中和してきれいである。この脈は、何とも名づけにくいものだ。自分でよく理解するしかない。元気の衰えない無病の人の脈はこのようなものである。これは古人の説なのである。

 養生をする人は、常にこのような脈であることを願わなければならない。養生をすることなく気の減った人は、若くてもこうした脈であることが少ない。これは病人といってもよい。病脈ばかりがあって、胃の気の脈のないひとは死ぬ。

 また目に生気のある人は長命である。生気のないひとは短命である。病人を診察するときは以上のことを忘れてはならない。」


胃の気については、東洋医学講座では取り上げておりませんが、益軒先生のおっしゃるように、元気の別名と言われることもあるものです。気は身体をつくるものでもあり、身体のあちこちにあるもので、もちろん臓腑にもあります。臓腑の中で、胃は食物から気を取りこむ重要なもの。脾に支えられて胃が働くことで、水穀の精微すなわち後天の気はつくられます。そこで、胃の気=後天の気=元気というつながりになるんですね。


身体の状態は、脈状に現れます。長くも短くもなく、遅くも早くもなく、大きくも小さくもなく…って、これでは全くどんなものやらわかりませんね。鍼灸師である私でも、よくわかりません(笑)。人の体格・体質によっても異なりますので、自分が元気なときの脈とご理解いただければいいんじゃないかと思います。


目に生気がある…これはイメージできるのではないでしょうか?東洋医学では、お客様が入ってらしたときに、歩き方・全身状態・声のトーンなどを診て、椅子にすわって問診を始める前に、目を診ます。目には神(しん)が宿り、目の光・輝きに精神状態があらわれるからです(神についてはこちら→東洋医学講座 No.24 )。


『養生訓』の原文はこちらでどうぞ→学校法人中村学園 『貝原益軒:養生訓ディジタル版』


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