ふれる(2)/日本をもっと知りたい。 | 春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬くんはみくびれない男。
天晴れ春馬。
偏愛ブログです、ご了承下さい。
seasonⅡは、はてなブログから。












日本のことをもっと知りたい。

この思いが、本を作るきっかけでもありました。これから先、俳優として海外へ積極的に出て行きたい。そのためには日本の伝統文化や歴史について知っておく必要があると思ったのです。そしてまずは、自分が最も興味のあった日本舞踊について掘り下げてみることにしました。さらに茶道の精神に触れるために京都を訪れ、思わぬ形で俳優としての原点を振り返る旅になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本を知りたい。

 



二〇一三年

僕はこの先、日本だけでなくアジアをはじめとする海外でも積極的に仕事をしていきたいのですが、そう思うようになって気づいたことがあります。それは日本の伝統的な文化についてほとんど知らないということ。踊りはもともと好きだけれども、日本の伝統的な踊りに関する知識はないに等しいし、昔ながらの日本の文化や習慣にも興味はあるけど馴染みがない。海外で通用する役者になりたいのならば、和の心を学ぶのは避けて通れないことだと思うし、それを知っているのと知らないのとでは、役者を続けていくうえでの自信や演じる役の幅も大きく違ってくるような気がしています。役者として一番身近な「和”だと感じていたものが、日本舞踊です。まずは日本舞踊をはじめ演劇研究をなさっている渡辺保先生に、お話を聞いてみることにしました。

 

 

 

 

渡辺  日本舞踊について説明するには、はじめに日本文化全体のお話をする必要があります。日本には実を言うと、独自のものがひとつもありません。寿司は東南アジアがルーツといわれていますし、着物は中国や韓国から来たものです。固有のものがない理由は、地理的条件にあります。極東の島国である日本は、言ってみれば行き止まりの場所。ですから、いろんなものがここに流れ着き、溜まっていきます。溜まったものは発酵して、時間とともに本来の形から変化を遂げます。産業ひとつとっても、日本は外国から買った原料を加工して、それをまた外国へ売るのが得意ですよね。日本は加工の国なのです。日本舞踊ももともとは外から入ってきた踊りが発酵したものです。日本には歌舞伎、能、狂言、文楽という4つの古典劇があり、これらには5つの特徴があります。

ひとつ目の特徴は、特有の舞台がないと上演できないということです。文楽は人形を使うので、手すりという仕切り板が必要ですし、歌舞伎は花道や廻り舞台がなければいけません。能や狂言にも能楽堂という舞台がある。ホールに仮設の舞台を作って上演することは可能ですが、本来の味は決して出せません。2番目の特徴は、仮面劇といえる点です。狂言は仮面を使わないのが主流ですが、表情を動かしてはいけません。文楽は人形なので表情を変えられませんし、歌舞伎は隈取りなどの厚い化粧が、仮面の役割を担っています。3番目の特徴は、すべて過去に起きた物語の再現だということ。4番目は女性の役をすべて男性が演じていること。最後が少し難しいのですが、"芸”の概念があるということです。あなたが渡辺保という役を演じるとしたら、「私は渡辺保に扮しています」ということを最初から観客に知らせるのが芸なのです。この点は、自己を消して演じる現代劇とは正反対といえます。

 

 

 

 

 



 

 

三浦  日本にはオリジナルのものがないという冒頭のお話から、いきなり衝撃的でした。寿司や天ぷら、着物や桜なんかも、日本のオリジナルだとばかり思っていたので。日本は加工の国だとおっしゃっていましたが、納豆や醤油のような食べ物だけでなく、文化にも言えることが面白い。

たしかにそう考えると、日本って発酵が得意ですよね。オリジナルではないものを発酵させて、それがどのようにして誇れるものになっていったのか、その部分にも興味がありますね。

 

 

渡辺  次に日本舞踊を理解していただくために、日本人の特殊な身体観についてお話ししましょう。私たち現代人にとって体は物理的なものですが、古代の日本人にとって体はイメージでしかなく「無」といえました。体は「殻」と「だ」でできていると彼らは考えていたのです。「殻」は空っぽの器、「だ」は中身を意味しますが、なぜ別々に考えたかというと、日本人が農耕民族であることと関係しています。お米はもみ殻の中に実が入っていますよね。それと一緒で、「殻」の中に「実」が入っているというのが彼らの身体観であり、このふたつは簡単に分離できるものなのです。現代人は、自分の人生が0歳から脈々と続いていると考えるのが普通ですが、古代の日本人は、一年ごとに「殻」を更新していくのだと考えていました。つまり、秋になると「殻」が死んで冬ごもりをして、春になって「実」が芽吹き、夏の間に成長をすることの繰り返し。ですから「殻」はそれほど重要ではなく、「実」の部分、つまり心をどう表現するかが重要とされたのです。そのための方法が日本舞踊です。

 

 

三浦 昔の人は、自分の人生をお米の成長のように一年単位で考えていたというのは、すごく面白い話ですよね。役者は他人の人生を演じるわけだから、まず殻になってそこから「実」を出す、つまり演じるキャラクターを表現していくことが大事なんだなと改めて思いました。その都度無になって、ゼロから作るという昔の人の身体観は、普段の役作りとはまた違ったアプローチで、とても参考になりますね。

 

 

渡辺 日本舞踊の基本は能の舞で、これもやはり「殻」と「実」という特殊な身体観から生まれています。能の仮面は黒目のところに穴が空いていて、そこから外を見ることができます。とはいえ実際は、1メートル先くらいまでしか見えないので、体全体で周囲の様子を感知しなければいけません。仮面には感覚そのものにフタをする役割があります。そうやってわざと視界を狭めることで、ほかの感覚が研ぎ澄まされるのです。障害が大きいほど感覚が研ぎ澄まされ、体全体でイメージを作ることに集中します。そしてそのイメージを伝えるために、全身全霊で客席を征服するのです。観客が100人いるとしたら、全員の呼吸をひとつにして、100の糸を手の内にまとめ、そこに自分の心を乗せて配達する。これがいわゆる征服です。

能の舞をご覧になると、最初はきっと退屈だと思います。しかし名人が舞うと、面白くてもっと長くやってもらいたい気持ちになる。

それが今お話しした、配達のうまくいった瞬間です。

 

 

三浦 たとえば窮地に立たされている人を演じるとき、減量をして臨む人もいれば、周りの人がすべて憎いというくらいまで自分を追い込んで臨む人もいる。能で仮面をつけてハードルを課すのは、現代劇に置き換えるとそういうこと

 

 

 

 



 

なのかなと思いました。あえて不自由な部分を作ることでしかできない表現はたしかにあるし、ハードルを課すことが役者自身の力にもなる。その点はとても共感できます。

先生のおっしゃっていた配達のうまくいった舞を、観客として僕も体験してみたいですね。

 

 

渡辺  配達がうまくいったとき、見事な「変身」が起こります。能から始まって歌舞伎に至るまで、日本舞踊の根本には「変身」という概念があります。たとえば芝居で幕が開いてあなたが登場して、最後まで何の変化もなかったら、観客はこの時間を無駄だったと思いかねませんよね。何かしらの変化が生じることで、観客はドラマがあったと思うわけです。舞踊も同じで、舞を舞うことでキャラクターが変化する。それが舞の面白いところです。

変身の成功を握るのが、体の軸である腰です。踊りで大事なのは重心ですよね。日本舞踊は腰をバネにして、上半身を自由にしなければ変身することができません。

下半身をしっかり固定して回転することで、男になったり、女になったり、モノノケになったり、精霊になったりできるのです。

 

 

三浦 軸がしっかりしていなければ上手に踊れないのは、どの踊りにも共通して言えることですよね。腰という漢字は、「月」に「要」と書くじゃないですか。体の動きの要になるものなんだなあって、メモを取りながら改めて思いました。踊りに限らず、何か行動を起とすには腰が一番大切だと常々思っているんです。極端な例ですが、手や足が不自由でも動くことはできますが、腰を使えなかったら人間は動くことさえできない。

大げさかもしれませんが、生きるために腰は絶対に必要なものなのだと強く思いました。

 

 

渡辺 これから古典劇を観るのであれば、ぜひともいい芸を観てください。ただし「いいものを観ないと、鑑賞眼が育たない」という意見については、半分当たっていて半分間違っているというのが僕個人の考えです。よくない芸ばかり観ると、鑑賞眼が下がっていくのはたしかです。しかし、いいものだけを観ていると、どこが優れているのかときどきわからなくなることがある。だからときには悪いものを観る必要もあると思うのだけど、最初のうちはやっぱりいいものを観るに越したことはないですね。

 

 

三浦 正直今まで数回しか古典劇を観たことがないのですが、今後見方がかなり変わると思います。体は殻にすぎないとおっしゃっていましたが、踊りもやっぱり型にすぎなくて、自分の経験や知識で空間を広げて、観客の想像力を膨らましてあげることが大事なのでしょうね。

最近、日本のドラマや映画も、わかりやすいもの、感じることよりも観て楽しむものが増えてきているように思います。それが悪いことだとは思いませんが、想像力を試されるような作品はやっぱりそれなりの評価を得ることができるし、日本の作品の本当のよさは、そういうところにあるはず。踊りの話を聞いただけでも、いろんなことに置き換えられるような気がしました。

先生のお話をうかがったことがきっかけで、日本舞踊はもちろん、子どもの頃から好きだったお茶の心についてもより深く知りたくなりました。和の心に触れたり、あるいは海外の文化に触れることで、俳優としての自分を見つめ直し、そのうえでこれから何を得ることができるのか改めて考えていきたいと思います。

 

 

 

🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀

 春馬くんの、、


三浦春馬の「ふれる」



不定期になりますが、、

順を追って、、

置いていきたいと思います。