今読んでいる本。

「本当の自分がわかる心理学

すべての悩みを解決する鍵は自分の中にある」

著者ステファニー・シュタール



著者は、ドイツの方で、約30年間の心理療法士、家庭裁判所鑑定人としての経験から、世界各地でセミナーを開催する心理専門家です。

とても読みやすい本で、じっくり時間をかけて読んでいるところです。





猫あたま「自分を知るための心理学」は、わかりやすくて優しい本。

心理学の基礎知識の説明から、あるひと組の夫婦の事例を使って、どんな心理が働いているのか説明してくれています。



まず、人間の心がどうできているのか、から説明が始まりました。言葉で知っていたインナーチャイルドの成り立ちと正体が理解できました。


カンタンに説明すると、ひとの心の構成は、子どもの人格、大人の人格から成り、子どもの人格は幼少期に作られて、潜在意識に記憶されています。

大人の人格は言語、顕在意識での思考のこと。

わたしたちは子どもから大人に成長すると、「子どもではない」と理解しているが、これがそもそもの間違いで、実は潜在意識の方が強く、大人になっても子どもの人格のままで生きています。これが、インナーチャイルド、内なる子供の正体です。



この内なる子どもは、同時に2タイプ存在していて、

①日向(本では日向子と呼ばれてます)

ポジティブで信頼感を感じている状態

②影(影子)

ネガティブで信頼感を得られない状態

②のウェイトが高い人は大人になってもストレスが強い状態が続きます。


本は、この日向子と影子のうち、影子との付き合い方がメインテーマです。


大人人格と子ども人格のバランスで、子ども人格の中の「影子」が癒されて大人しくなり、大人人格が正しく導けるようになると、自分コントロールが可能になるようです。




猫あたま女性に共感能力が高いわけもわかりました。

わたしは、自分の願望とか気持ちとか、わかってるようでわかってなくて。自分よりひとのことを優先して、自分軸より他人軸になりやすい「いいひと」ってやつです。長女気質とも言うかも。



どうやら、わたしの生き方は、幼少期に親にとっていい子であろうとした、延長線で生きているということのようです。そして、自分の気持ちを知る学びをしてこなかったのかもしれないと気づきました。





本を引用すると、、

子供は、自分の基本的欲求を親に気にしてもらえなかったり、わかってもらえなかったりすると、なんとか気にしてもらおう、わかってもらおうと懸命になります。そのために、まずは親に気に入られるようなあらゆることをやってみるでしょう。

ただ愛情の薄い親、または子供の感情や願望に共感できない親のもとで育った子供は、そのような親とうまくやっていくには自分の欲求を抑えるしかないと思うようになります。

 親がとても厳しく「子供に言うことを聞いて、行儀よくしていなさい」としょっちゅう言っていると、その子供は親に良い子だと思われるように、あるいはせめて叱られないように、親が決めたルールに従おうと頑張るようになります。そのためには親の考えに反する自分の願望や感情を全て抑えなければなりません。そうするとその子供は、自分の感情にきちんと向き合うことを学べなくなります。特に怒りの感情は、自己主張したり自分の領域を守ったりするために生涯、重要となってくる感情ですが、親の力が強く、子供の自己主張が全く通らなくなってしまうと、その子供は自分の怒りの感情を押さえたほうがうまくいくと思うようになります。怒りの感情にきちんと向き合うことと、それに伴って適切な方法で自己主張することを学べなくなってしまうのです。こうして心の中で逆らってはいけない、怒ってはだめだ、周りの人に合わせなければいけない、自分の意思を持ってはいけない、といったような信念を作り上げていきます。

そのような子供は後(通常は思春期)に、この信念に対抗するプログラムを自分で開発し、親の圧力や期待に反抗するようになりますが、反抗しても親と関わっていることに変わりはなく、結局は、親によるプログラムに縛られたままでいることになります。その影子には青年期以降も、親に支配されていた経験が刷り込まれたままになっているのです。

そして、この刷り込みの眼鏡を通して、他者のことを「支配的で自分よりも大きな存在だ」とすぐに思い込んでしまい、その人の言いなりになるか、反抗するかのいずれかの態度をとるようになります。けれど、このような人でも、自分の影子のことをよく知り、心の奥深くに刷り込まれた事柄とそこから生まれた信念を解き明かすことができれば、相手と同じ目線に立って、相手に共感することができるようになります。


共感力のない親に育てられた子ども


子供に対してなかなか共感できない親は、実は自分自身の感情とうまく向き合えていません。自分自身の感情と向き合う事は、共感するための前提条件になるのです。

例えば、子供が母親に「ヨナス君が僕と遊んでくれないんだ」と言って、悲しんでいたとします。この時母親は、自らの悲しみの感情と向き合う必要があります。そうでなければ、子供に起こった状況を子供の立場になって感じることができません。もし、母親が自らの悲しみの感情を脇に追いやったり、無視したりしていたら、子供の悲しみに対しても同じように対処することになります。その場合は、母親は子供への対応に困り、ぶっきらぼうにこう言うかもしれません。「そんなにメソメソしないの!その友達がおかしいんだから」と。すると、その子供は「この状況でこの感情を持ったなんて、僕が間違っていたんだ。僕は悪いことを友達になったんだ」といったことを学ぶことになります。

しかし、母親が自らの悲しみの感情とうまく向き合えていれば、子供の悲しみを自分の心の中に招き入れて、その感情を理解することができます。そうしたら、次のように言うことができるでしょう。「今日はヨナス君が遊んでくれなかったのね…。悲しい気持ちになるのはよくわかるわ」と。そしてヨナスくんが遊んでくれなかった理由を子供と一緒に考え、その時にどうすればよかったのかを子供と話し合うことができるはずです。そうすれば子供は、自分が覚えた感情は「悲しい」と表現されるものであり、悲しい時に見放される事は無い、と学んでいきます。また、問題が起こっても解決策を見つけることができると言うことも覚えます。

このように、子供の気持ちを組んだ親の言動によって、子供は自分の感情を類別し、それらに名前をつけていけるようになります。さらに、そうした親の言動は、子供に対して「あなたが持った感情は基本的に正しい」と言うことを知らせることになるため、子供はその感情を再び抱き、適切な方法で調整していけるようになるのです。ですから、親の共感力は、教育能力を図る最も良い尺度になります。親の共感力と言う媒体を通して、私たちは良い刷り込み、あるいは悪い刷り込みを受けることになるのです。



猫あたま女性は雑談の中で子育ての練習をしてる⁉︎

以上の引用部分の会話から、女性にとって共感は自分の気持ちを知り落ち着かせるためであり、子孫のための練習でもあるわけですね。それを日々の雑談の中で磨いているのですね。



自分の感情に気づけるから、子どもの感情も受け入れられるし、子どもにその感情がどういうものなのかを教えてあげることができるわけですが、現実は、子どもの感情を理解することより、礼儀正しさや、学力、他の子に比べてどうか?と言う「子どもの外」のことに、関心のウェイトが高くなることがあるようです。実は、それは子どもに関心があるのではなく、親は自分自身に関心がある状態で、本心は子どもの心に何が起きていて、どんな苦しみを感じているのか?と案じているのではなく、「問題を起こさないでほしい」=「親の思う良い子でいてね」が、関心の先にあります。



この部分は、根っから子どもの心のケアに無関心な親もいるかもしれませんが、もしかしたら親自身も、外のことに思考を奪われているのかも知れません。

右にならへ、ではないけれど、今の社会との関わりでは心は二の次だから、そのまま家庭の中でも、社会に通用する子になるよう、子どもにそう接することしか「思いつかなくなっている」のかもしれません。

何かうまくいかないと、外に原因を求めたり、ないものを探したり、誰かを責めたり、自分を責めたり、転嫁したり、そういう方向に思考が進んでしまい、内面を見ないから、心、感情が抑圧されて自分を見失っているのかもしれません。


本来は、先に心を受け容れてもらえる安心感を得て、自分で自分の感情を感じることができる、その土台を作れれば、社会に通用する人間の基礎なんて、すぐに身についていくのでしょうね。

これが、三つ子の魂百までも、なんですね。

どんなスキルより最高の幸せスキルなのかもしれません。




「子どもに無関心な親」の子どもが選ぶ道




上の話はまだ、本の入り口です。