わたしは「自己完結」のプロですプンプン
な〜んて、褒められた話ではありませんが。


以前書いた記事
梯谷氏のメソッドをしていて、自分自身に起きていたことを知りました。そのひとつの特徴が「自己完結」にあるようです。

何が起きていたのか説明しますね。


猫しっぽ猫あたま親が子どもに無関心から始まる悲劇。
娘2人姉妹の場合、親が子である自分に無関心であることを察知すると、2つのタイプのどちらかを選択します。
①かまってちゃん
②自分を消す

かまってちゃんは、健全です。母親の関心を引くために、なんとか関わりを持とうとグレたりしますが、ベースに「ひととの関わりを持ち続ける姿勢」があります。質はともかく、コミュニケーションをとろうとします。


問題は、②の「自分を消す」を選んだひとです。「親に無関心な子ども」となり、発達障害の中でも、人生につきまとう深い障害になります。
そして、これは長女が選択しやすく、また、親は、それを強化するようなことを言って育てます。


どういうことかというと、
親が子どもに無関心だ、と気づいた子どもは、かまってちゃんを選ばなければ、自分を守る方法は、逆に「かまわないで」になります。それが自己完結の始まりです。自分のことは自分でする、親も他人も頼らない、母親と心のつながりを持てなかった体験は、他人とも心のつながりを持とうとしなくなります。傷つかないために。そして、心の中には「自分を消したい」がベースにあります。
母親や周囲の人が言う「お姉ちゃんでしょ、ガマンして」などの、「お姉ちゃんなんだから、自立しなさい⇄母親を頼らないで」というメッセージが、さらに「自己完結」を強化します。


「かまわないで」は、本音を隠してます。
「かまってほしい、誰かに大事にしてほしい」と。ところが、これを自分でわかっていません。細胞レベルで抑圧しています。生きるため、自分を守るために直視できないのです。「まさか、母親がわたしに心底、無関心だったなんて」そこからは、自分の存在否定しか連想できません。

そして、それを抑圧して大人になると、めちゃくちゃ建前のひとになります。一見そつがなく、自立している感じ。その建前の「模範的な人格」が自分であり、そうであらねば、ひとに認めてもらえないと思ってます。


猫しっぽ猫あたまWindowsとMacのような違い
今ではこの2つのOSも互換ソフトがあるようですが、「かまわないで」タイプにとって、ひととの関わりを持つ世界は、OSの違いのような異世界です。自らその世界の違いに気づいて、互換ソフトを使って垣根を越えようとしない限り、OSは書き変わりません。


猫しっぽ猫あたまOSが決まるのは胎内にいるとき
感情は身体中で感じてから頭に届き言語化されます。妊娠は、ほぼ母親の細胞分裂ですので、母親が感じた全ての感情を細胞レベルで共有して記憶しています。それが、生まれ持ったモノの正体です。
ですが、さらに深いところでは、まっさらな自分というものがあります。キャンバスは真っ白なもので、描いた絵はどんなにキレイに描けていても、逆にどんなに汚い絵であっても上塗りに過ぎません。ここが、重要です。
実は、みんな何らかが描かれてしまうと、わかっていて、あえて選んで生まれてきているという説もあります。




猫しっぽ猫あたま家系は「女」で決まる
「子どもに無関心な母親」の母親も、同じように子どもに無関心のハズです。わたしの母親の場合もそうでした。

「子どもに無関心」が世代間連鎖すると、家は絶えます。関心の度合いは、長女に引き継がれていくようです。それは「女」の場合で、男の子が生まれると、また展開は変わるようです。
親が子どもに関心を持って愛情をかけて育てた家庭の、心の底から健全な本音でつきあえる女性と結婚すると、子孫の誕生につながるようです。そういう家庭は、夫婦仲が円満で、家族が仲良くてお母さんが朗らかなことが多いようです。結婚前に相手の個のことは見抜けなくても、子孫繁栄の家系など、それらがヒントになることが多いようです。
昔は、と言うのもナンですが、結婚は家同士の繋がりだったのが、当人同士さえよければ、にスライドしたことが良くもあり、悪くもありなのかもしれません。


猫しっぽ猫あたまコミュニケーションのタイプ
子どもは夫婦のコミュニケーションから、会話を学びます。夫婦仲が悪く、父親、母親が両方ともコミュニケーションが下手な上に、ベースに心のつながりを持ちたくない、があると、秘密主義かのように「だんまり」と「独りよがり」になります。それを学んだ子どもは、結婚後、パートナーと同じコミュニケーションをとります。非言語で学んだものは強くて、結婚直後はそうでなくても、両親から学んだコミュニケーションを再現しようと、そのようになるための、きっかけを作ります。これが潜在意識に支配された人間の性です。
マジックのように、そう仕向けていきます。


猫しっぽ猫あたま幸せにさせないぞ、の足のひっばりあい。
夫婦仲が悪い場合、親は子どもが幸せになることを許さないこともあります。特に女性間で起こりやすいようです。そして、子どもは、自分が幸せであることに罪悪感を覚えたり、親子、姉妹の間で、幸せにさせない意識が働くことがあります。これは、潜在意識の個人を超えた深い部分、集合体無意識の働きです。

子どもに無関心な親と、その子どもは、お互いに本音と建前のジレンマに苦しむことになります。気づかない限り、一生。


そこから、救い出せるものがあるとするならば、本人が過去の苦しみを吐き出して、自分に起きていたことを理解して、本音で生きること、その本音を受け入れてくれるひとにであうこと、この2つが揃ったときと思います。そのためには、受け入れる側が分け隔てない本音トークをすることです。受け止める側が本音を隠してたらバレます。鏡なのです。



猫しっぽ猫あたま罪を憎んでひとを憎まず、
今の言葉で言うと毒親というのかもしれません。
けれど、ひとは、もともと真っ白なキャンバスです。
それを忘れず、罪を憎んでひとを憎まず。
そういうひとの近くにいるひとに求められているのは、そういう視点で見ること、受け止めることなのかもしれません。

真実の愛というのは、ヘビーですね。




※補足※
ここでいう親は、実際の親の行動ではなく、
子どもが解釈してイメージしている「親の像」の意味が高めです。
姉妹であっても親のイメージは異なりますので、
そのあたりも含めてご理解ください。