明けましておめでとうございます。
新たな自分に生まれ変わるために。
希望と冒険と愛と光に満ち溢れた一年となりますように―――――!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2023年元旦
土屋春菜
こんばんは!
あまりの月日の流れの早さに、驚くのを通り越して、呆然としている(笑)今日この頃です。
今日は、昨日参加したダンスのワークショップの最中の出来事についてお話ししたいと思います。
最近、相当前に話題になった小説が突然ふと気になって、取り寄せました。
上下二巻の長編でしたが、あっという間に読み終えてしまいました。
映画化もされた小説ということで、本を読み終えた後、オンラインで映画も観てみました。
本を読んでいる時に自分の中に浮かんできた人物たちや情景と、映画で表現された世界との類似や違いを楽しみながら観ましたが、様々な疑問も浮かんできました。
映画の中のシーンに関して、「これはどういう意味なのだろう?」というような疑問と同時に、職業病とも言うべき、演技や演出の観点からの疑問も浮かび、結局もう一度観かえすことになりました。
2度目で解けた疑問もありましたが、2度観ても分からないこともあり、時折あれやこれやと考えていました。
そうは言っても、自分の仕事やその他諸々に追われているうちに、それらの疑問は忘却の彼方へ・・・という感じでした。
昨日のダンスのワークショップの中で、リーダーが相手の体の一部分と方向を指定して、その部分から引っ張られるように動き、最終的にはバランスを崩して倒れる、というペアのワークがありました。
「右膝を前に」とか、「左肩を斜め後ろ下に」とか言った具合です。
私とペアになった方は、結構冒険的な方で、色々と珍しい(?)部分を指定して、そこから私が倒れる様子を見て、とても面白がってくれました(笑)。
そうしているうちに、「喉仏を後ろに」という指示が出されました。
また珍しい部位を指定したものだ、と半ば感心しながら、自分の感覚を喉仏に集中させて、そこから後ろに引っ張られるイメージをしました。
すると、当然のことながら喉仏がぐっと後ろ側に押さえつけられるような感覚になりました。
その瞬間、前述の小説の登場人物がふっと浮かんできました。
というのも、ちょっと物騒な話ではありますが、ストーリーの中に、その人物が首を絞められるシーンがあったのです。
喉仏に圧迫感を感じた瞬間に、「この感覚はどこかで体験したことがある」という気がしたかと思うと、そのシーンが自分の中で蘇ってきたのです。
そのワークの最中にも、「おぉっ!」と驚きましたが、ワークショップが終了して思い返してみると、ダンスとは全く関係がなかったはずの小説のシーンが、ダンスの最中に突然思い起こされたことに余計に感じ入ってしまいました。
私は物心ついた時から本が大好きで、暇さえあれば本を読んでいました。
様々なジャンルの本を読みますが、小説などはやはり登場人物に感情移入したり、なりきったりして、あたかも彼らの人生を追体験しているような感覚になっているのかもしれません。
本来何の関係もないことが、自分の中で繋がっていく、そしてそこに自分の勝手な解釈やストーリーが付随していく・・・そのことをひしひしと感じた出来事でした。
Be inclusive of everything. (すべてを創造の糧に)という恩師たちの言葉がまた蘇ってきました。
演じたり、踊ったり、歌ったりすることは、自分の全てと真正面から向き合っていく行為であることを、改めて深く感じています。
あっという間に10月も終わり―――――。
何と時間の流れの早いことでしょう!
先日は、入場者限定のイベントでのパフォーマンスがあり、非常に濃い時間を過ごさせて頂くことができました。
自分がしばらく遠ざかっていたテーマの表現と、ここ1年ほど実験しているテーマの両方を織り交ぜて、懐かしい感覚と新鮮さとを感じました。
終演後、観客の方々とお話ししたり、感想を書いて下さったりした中で感じたのは、「多くの人が、何らかの形で自分を思いっきり表現したいと望んでいる」ということでした。
人々が劇場に出かけるのは、演じている私たちを通して、思いっきり笑ったり、叫んだり、怒ったり、泣いたり、歌ったり、踊ったりすることを体験したいからかもしれません。
日常生活の中では、特に大人になるにつれ、激しい感情を露にすることを控えなさいという、社会的な無言の圧力があります。
子どもが外で泣きわめいていたら「仕方ないことだ」と思い、(もしくは、微笑ましいことだとさえ思って)通り過ぎることでしょう。
でも、大人がそれと同じことをしていたら、下手をすれば警察を呼ばれてしまいます(苦笑)。
だから、私たちは、自然と感情を表に出さないようになっていく傾向にあるのです。
怖がる子どもをユーモアたっぷりに元気づけたかと思えば、あまりにも大きすぎる愛に恐れおののき、そうかと思えば、この世の地獄を嘆き、そのうち、どっぷりと恋に落ちて、「何があっても死ぬまで愛す」と宣言する・・・。
様々な役柄の人生の一片を次から次へと思いっきり演じるのは、確かに本当に面白いものです。
実験的なテーマの部分での即興は、とにかく目の前に与えられたものに真摯に向き合っていくのみです。
その瞬間瞬間に生まれくるものは、本当に予測不可能で、時に突拍子もなくて、自分でも驚くけれど、止めることのできない大きな流れの中を進むのみ。
もちろん、生まれてきたもの、見えたイメージを自分で認識した後に、それをしない、という選択もできます。
でも、ほとんどの場合、その瞬間にやってきたものには何らかの意味があるのだろうと思って、やってしまいます。
即興では、思いもよらなかった偶然の一致が発生することが多い気がします。
私たちはそれを「ハッピー・アクシデント」と呼んでいますが、やっている時に気づくことももちろんあるのと同時に、後になって録画されたものを観て初めて気づく場合もあります。
今回もたくさんの「ハッピー・アクシデント」がありましたが、最初の方にやったシーン(既に台詞や立ち位置が決まっていたシーン)のある瞬間と、最後の方にやった即興の部分が偶然にも(必然的に?!)重なり、そのまま前半のシーンのデジャヴのような流れになった部分が、自分の中では特に印象に残りました。
とんでもなく些細なことがきっかけでできた流れだったので、もしかしたら観ていた方は全く気付いていなかったかもしれませんが、私は心の中で叫んでいました!(笑)
思わずニンマリとしてしまう程、そういう瞬間というのは嬉しいものです。
そうかと思えば、本番中に何を考えていたかほとんど覚えていない箇所を、後で録画を観ながら、「どうしてこういう流れになったんだろう・・・?」と不思議に思ったり・・・。
その答えは、一生分からないかもしれないし、これから先、とんでもない時に突然分かることもあるかもしれません。
本当に、表現について考え始めると、面白すぎて止まりません。
そして、世界に目を向けた時、今、自分がこうして自由に表現することができる環境にあることに、心から感謝しています。
あっという間に9月になりました。
お元気でお過ごしでしょうか。
8月31日は、学生時代の夏休み最終日の地獄を思い出していました。(苦笑)
毎日コツコツやっていればいいものを・・・という感じですが、中でも、なぜか今年はふと中学2年生の時の8月31日、9月1日を思い出していました。
先月のYoutubeライヴの際に、子どもの頃の「将来の夢」についてお話ししたせいかもしれませんが、あの後、そう言えば小学校の卒業式では数ある「夢」の中から、「小説家になりたい」と言ったことが蘇ってきました。
子どもの頃から、作文にしろ手紙にしろ、ものを書くことが好きでした。
そして、小学校3年生の頃から小説家に憧れ始め、真似をして、小説なるものを書いたりして遊んでいました。
そして、無知の怖さの極み。
一体どこで見かけたのか、「伊豆文学賞」の小さなチラシを手に入れ、中学2年生の夏休みの自由研究で、小説を書いて、伊豆文学賞に応募することにしたのです(笑)。
記憶が定かではないのですが、入賞したいとか、それをきっかけに将来的に作家デビューしたいとかいったことは考えていなかったと思います。
せっかく地元にこんな文学賞があるのだから送ってみよう、という、ただそれだけのことだったと思います。
「ただそれだけのこと」で、多忙な中、作文に毛が生えたような中学2年生の文章を少なくとも最初の1ページくらいは読まなくてはならなかった売れっ子作家の審査員の先生方には、今となっては申し訳なく思いますが、もしかしたら「中学生が応募してきた」と面白がって下さった部分もあったかもしれません。
締め切りは9月1日消印有効。
8月31日に徹夜しても清書が終わらず、9月1日に始業式から帰ってきて、郵便局が閉まる5時までの間に必死で続きをやって、何とか消印を押してもらいました。
原稿用紙50枚だったと思いますが、50枚に納まらず、削るのに苦労した覚えがあります。
原稿は全て手書きでした。
「伊豆を舞台にする」という条件があったのですが、最初のシーンはすっと思いついた気がします。
人生に疲れ切ったうら若き女性が、子どもの頃に訪れた下田に向かう列車に揺られている―――――。
今にも雨が降り出しそうな空。車窓から見える海も荒れている。
そんな情景描写から始まります。
14歳でそんなことを考えていたのか・・・、と笑ってしまうけれど、ずいぶんとませていたのかもしれません。(笑)
そして、この話に登場するひまわり。
小説を書こうと決めた後、偶然親戚のお姉さんが実家に泊りがけで遊びにいらした際、ひまわりの造花のついた髪飾りをつけていました。
ねだった訳ではないけれど、私が何度も「素敵~!」というので、しまいにはお姉さんがそのバレッタを私にくれました。
題名も、登場人物の女性がひまわり畑でとある人物と出会うシーンも、お姉さんがくれた髪飾りから着想を得たものでした。
院時代に習った、Being inclusive of everything (全てを創造の糧にする)ということを、知らず知らずのうちにやっていたのだと、今になって気づきました。
晴れて完成させた原稿は、幾人かのクラスメートが読んでくれて、自由研究ノートに感想を書いてくれました。
何年も経ってから自分で読み返してみると、もう恥ずかしくて仕方なかったけれど、想像の産物でしかない物語のはずなのに、未来を予言していたかのようなエピソードがいくつかあり、驚いたのを覚えています。
こんばんは。
お元気でお過ごしでしょうか。
昨日は、77年前の夏に想いを馳せつつ、今の自分の生きている環境に心から感謝するとともに、平和な世の中になりますようにお祈りました。
今日は、日本時間の明日(8月8日)の晩に開催される、Youtubeライヴのお知らせです。
体と声と意識のつながりについて、イシキSmoothy代表の寺岡佑記さんと、お話しします。
演劇の話から、精神世界の話まで飛び出すと思います。
かなりマニアックな、深い話になりそうな予感です(笑)。
とても楽しみで、ワクワクしています!
是非ご覧ください。明日、お待ちしています。
2022年8月8日(月) 日本時間 21:30よりスタート
【ナビゲーター】 寺岡佑記
■イシキSmoothy代表/ コンシャスネス・アーキテクト
■意識情報フィールド研究所 理事
■意識の専門家
人生の悪循環を意識から解き放ち、軽やかな魂の実現を導く意識変容コーチングと、経営者の意識を整え、組織が整う会社組織デザインを提供する意識デザインスタジオ、イシキSmoothyを運営。好きなことは意識の研究、趣味はスターウォーズ、夢はジェダイ。タイムウェーバーと意識解析のスペシャリスト。