こんばんは。
お元気でお過ごしでしょうか。
あっという間に6月も終わり。
今年も半分が過ぎていきます。
いつものことですが、時間のあまりの加速に驚く日々です。
さて、6月というと、日本では一般的に各種学校の入試の合格発表からおよそ3か月が過ぎた頃。
アメリカやタイなどの国へ留学を目指している方も、合否の発表から数か月が過ぎている方が多い頃だろうと思います。
残念ながら、希望する学校に縁がなかったという方は、別の道に進む選択をしたかもしれないし、浪人して来年の受験に向けて頑張っている最中かもしれません。
いずれにしても、人生の大きな岐路における選択を経て、数か月が過ぎ、様々な想いが浮かんでは消え・・・ということを繰り返している頃ではないかと思います。
人生全てが自分の思い描いたとおりに進めばいいですが、時にはそうでないこともあります。
むしろ、そうでないことの方が多いかもしれません。
自分の努力で何とかなることもあれば、自分の全くコントロールできなところで「想定外の出来事」が起きて、その影響に巻き込まれて、自分の計画を変更せざるを得ないこともあります。
私は、これまでに受験する側も体験し、その後不思議なご縁で、「机の向こう側」の試験官になるという経験もしてきました。
試験官になった当初は、その責任の重さに逃げ出してしまいたい気持ちになりました。
私の場合は、歌や演技などの実技の採点の担当なので、マークシート式の筆記試験のように、一つの正解があるわけではありません。
自分のつける点数やコメントによって、一人の受験生の人生が大きく変化してしまうのだということが非常に恐ろしく感じられました。
そして、どうかそれぞれの受験生が、合否にかかわらず、幸せな人生を送れますように・・・と祈っていました。
回を重ねるごとに、少しずつ試験官の仕事にも慣れてきて、若干の余裕も生まれてきました。
その中で自分が大事にしているのは、「腑に落ちる選択をしているだろうか」ということです。
例えば、歌も演技も、表面上は申し分ない出来栄えである。受け答えもしっかりしている。
しかし・・・何かがしっくりこない・・・。
そういうケースは珍しいことではありません。
私の中では、この「表面上では」というのがポイントです。
上手だけれど、私の個人的な芸術的好みに合わずに琴線に触れなかった、という場合も時にはあるのかもしれませんが、自分はあまり興味はないけれど両親の希望で受験したという人もいれば、新たなことを学ぶのに必要なオープンさが全くない様子だ、という人もいます。
試験会場で、その違和感の原因が分かる場合もあれば、そうでない場合もあります。
非常に難しい判断ではありますが、プロのパフォーマーを目指す受験生を目の前にして、それぞれの生徒さんが卒業した後のことも視野に入れ、最終的には私の主観的な判断になってしまうのかもしれないけれど、愛をこめて採点をするしかありません。
しっくりこない、という場合、私はそれらを全て含めて、自分の中で「腑に落ちる」採点を行い、コメントを書きます。
試験官同士で意見が割れる場合もあるし、受験生が退室した後も随分と議論を交わすケースもあります。
最終的な結果だけ見ると、合格か不合格かの二択で機械的に思えますが、その舞台裏では生々しい、非常に人間味のある会話がなされています。
この、「腑に落ちる」という感覚は、試験や進路選択にかかわらず、結構大事なことだと思っています。
本当に自分が納得して、腑に落ちる選択をすれば、仮にその選択が後々「こんなはずじゃなかった!」ということになっても、誰を責めることもないし、自分を責めたい気持ちが生まれてきても、「あの時の自分は、これがベストの選択だと思ったのだから・・・。」と、安らかに諦めることができる気がするのです。
それに、その「想定外の状況」が、後に、「なるほど、あのお陰で、今こうなったのだ。あの時はとんだ災難だと思っていたけど、実はそうではなった!むしろ幸運への軌道転換だったのだ!」となることすらあります。
逆に、自分の腑に落ちていないけれど、周りの意見に何となく流されて決めてしまったことというのは、後々の後悔につながるケースが多い気がします。
特に、学生の受験の場合は、誰のための受験なのか、分からなくなってしまっている場合もあるかもしれません。
家族が叶えたい希望を知らぬ間に着せられてしまって、それがあたかも自分の希望であるかのように勘違いしてしまっていることもあるかもしれません。
やさしくて、良い子であればあるほど、その期待を裏切らないように・・・と、どんどん自分の本当の心の声からかけ離れた場所に歩いて行ってしまいます。
生徒の年齢が低ければ低いほど、悪気はなくても、ある種の「洗脳」のような形で、日常の中の些細な言動が生徒の行動を決定づけてしまうことが多い気がします。
だからこそ、日々のちょっとした選択(ちょっとくだらないようですが、今日の夕飯を何にしたいのか、立ち寄ったお花屋さんでヒマワリを選ぶのかバラを選ぶのか、今ジャズを聴きたいのか、それともショパンのピアノを聴きたいのか・・・等々)から、人生の大きな選択まで、それは本当に自分が望んでいることなのかどうか、もう一度きちんと自分と話し合ってみるのがとても大事なのです。
最近、ふと耳にした曲の中に、「私は私と はぐれるわけにはいかないから」というフレーズがありました。
曲そのものは恋愛について語っていますが、これは、恋愛に限らず、人生の全ての場面において言えることだと思います。
そう、一生付き合っていかねばならない自分自身とは、はぐれるわけにはいかないのです。
仮に理不尽な選択を迫られてしまった場合でも、自分とはぐれずにいれば、必ず軌道修正するチャンスはやってきます。
それは、もしかしたらすぐではなくて数年後かもしれない。
それでも、自分が本当にそれを望んでいるのであれば、完璧なタイミングで、再び「腑に落ちる」選択をできるようになることでしょう。
だから、どうかそれまで、深呼吸をして、おおらかな心とともに、自分をしっかりと抱きしめてあげていてほしい―――。
多くの受験生、そして人生の岐路に立っているあなたに、祝福あれ!