あっという間に10月も終わり―――――。
何と時間の流れの早いことでしょう!
先日は、入場者限定のイベントでのパフォーマンスがあり、非常に濃い時間を過ごさせて頂くことができました。
自分がしばらく遠ざかっていたテーマの表現と、ここ1年ほど実験しているテーマの両方を織り交ぜて、懐かしい感覚と新鮮さとを感じました。
終演後、観客の方々とお話ししたり、感想を書いて下さったりした中で感じたのは、「多くの人が、何らかの形で自分を思いっきり表現したいと望んでいる」ということでした。
人々が劇場に出かけるのは、演じている私たちを通して、思いっきり笑ったり、叫んだり、怒ったり、泣いたり、歌ったり、踊ったりすることを体験したいからかもしれません。
日常生活の中では、特に大人になるにつれ、激しい感情を露にすることを控えなさいという、社会的な無言の圧力があります。
子どもが外で泣きわめいていたら「仕方ないことだ」と思い、(もしくは、微笑ましいことだとさえ思って)通り過ぎることでしょう。
でも、大人がそれと同じことをしていたら、下手をすれば警察を呼ばれてしまいます(苦笑)。
だから、私たちは、自然と感情を表に出さないようになっていく傾向にあるのです。
怖がる子どもをユーモアたっぷりに元気づけたかと思えば、あまりにも大きすぎる愛に恐れおののき、そうかと思えば、この世の地獄を嘆き、そのうち、どっぷりと恋に落ちて、「何があっても死ぬまで愛す」と宣言する・・・。
様々な役柄の人生の一片を次から次へと思いっきり演じるのは、確かに本当に面白いものです。
実験的なテーマの部分での即興は、とにかく目の前に与えられたものに真摯に向き合っていくのみです。
その瞬間瞬間に生まれくるものは、本当に予測不可能で、時に突拍子もなくて、自分でも驚くけれど、止めることのできない大きな流れの中を進むのみ。
もちろん、生まれてきたもの、見えたイメージを自分で認識した後に、それをしない、という選択もできます。
でも、ほとんどの場合、その瞬間にやってきたものには何らかの意味があるのだろうと思って、やってしまいます。
即興では、思いもよらなかった偶然の一致が発生することが多い気がします。
私たちはそれを「ハッピー・アクシデント」と呼んでいますが、やっている時に気づくことももちろんあるのと同時に、後になって録画されたものを観て初めて気づく場合もあります。
今回もたくさんの「ハッピー・アクシデント」がありましたが、最初の方にやったシーン(既に台詞や立ち位置が決まっていたシーン)のある瞬間と、最後の方にやった即興の部分が偶然にも(必然的に?!)重なり、そのまま前半のシーンのデジャヴのような流れになった部分が、自分の中では特に印象に残りました。
とんでもなく些細なことがきっかけでできた流れだったので、もしかしたら観ていた方は全く気付いていなかったかもしれませんが、私は心の中で叫んでいました!(笑)
思わずニンマリとしてしまう程、そういう瞬間というのは嬉しいものです。
そうかと思えば、本番中に何を考えていたかほとんど覚えていない箇所を、後で録画を観ながら、「どうしてこういう流れになったんだろう・・・?」と不思議に思ったり・・・。
その答えは、一生分からないかもしれないし、これから先、とんでもない時に突然分かることもあるかもしれません。
本当に、表現について考え始めると、面白すぎて止まりません。
そして、世界に目を向けた時、今、自分がこうして自由に表現することができる環境にあることに、心から感謝しています。