虹の架け橋のブログ

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演劇、ヒーリング、アメリカやタイでの生活など、日々感じたことを綴りたいと思います。

 

こんにちは。

 

いよいよ開幕したシビウ国際演劇祭。

ルーマニアのシビウ市で開催されるこの演劇祭は、欧州三大演劇祭の一つとして、30年以上の歴史を誇り、毎年世界各国から多くの人々が訪れます。

 

今回、Yukio Suzuki projects のダンス作品「堆積 —Accumulations—」で、ナレーションを担当させて頂いています。

この作品は、何度も再演を重ねている、鈴木ユキオさんの代表作の一つですが、シビウ国際演劇祭で上演するにあたり、大きく改編されています。


動きと言葉の連動。細かなタイミングを何度も調整し、ダンサーの方々も、リハーサルの中でそれを体に馴染ませていっていました。

 

シビウでの公演の他に、本番のオンライン配信もありますので、是非ご覧ください。

 

シビウ国際演劇祭「堆積 —Accumulations—」

Yukio Suzuki projects/NPO KAIBUNSHA

 

現地時間 6月23日(日)22時開演(満員御礼・会場のチケットは完売済)

現地時間 6月24日(月)16時開演

会場: Studio Hall TNRS

上演時間:1時間10分

チケット:80LEI/50LEI

 

 

オンライン配信

現地時間 6月23日(日)22時より

 

(日本時間 6月24日(月)早朝4時より)

(タイ時間 6月24日(月)未明2時より)

(アメリカ東部標準時 6月23日(日)15時より)

 

本番の公演開始から24時間後まで視聴可能なオンライン配信チケット: 30LEI + 手数料 (日本円で約1300円)

ただし、最初に視聴を開始してから4時間のみ視聴できます。

オンライン配信チケットの購入は、本番開始時刻(現地時間)の前まで可能です。

 

「堆積 —Accumulations—」のオンライン配信チケット購入はこちらからどうぞ。

 

 

<購入方法>

1.最初の画面でチケットの枚数を選択します。

2.次の画面で、氏名、メールアドレス、電話番号を入力します。

3.何度か画面が自動で切り替わるので、そのままクレジットカード支払いのページになるまで待ちます。

4.クレジットカード番号、カード名義人の氏名、有効期限、カードの裏面のCVV2/CVC 番号を入力して、青い「支払う」のボタンをクリックします。

(手数料が加算された金額が表示されています。)

5.お持ちのクレジットカードの会社による認証の画面に切り替わると思いますので、ご自分のカード会社の方法に従って、カードの認証を行います。

6.支払いが完了したら、15分以内に、登録したメールアドレス宛に視聴コードが送られてきます。

(受信箱にメールが届いていない場合は、「迷惑メールフォルダ」に入ってしまっていないかご確認ください。)

 

 

*会期中の全てのオンライン配信を観ることができるチケットもあるようです。

詳しくは、シビウ国際演劇祭のウェブサイトをご覧ください。

 

 

 

 

 

リハーサル後のダンサーの皆さん。

真夏の太陽のように輝く笑顔です!

 

本番が楽しみですね~!

 

 

シビウ国際演劇祭 (Sibiu International Theater Festival):

 

Yukio Suzuki projects:

 

 

こんばんは!

いかがお過ごしでしょうか。

 

このところ、不思議なご縁や再会が続いています。

その中で、色々な会話がなされ、様々なことに想いを馳せる日々です。

 

歴史の中で、マイノリティー(少数派)というのは、どういうわけか大変な想いをすることが多い気がします。

 

今日、知人との会話の中で、その方が、「自分は同性愛者だ」と仰いました。

思い切って打ち明ける、とか、意を決して告白する、とかいう感じではなく、話の流れで、たまたまそうなった感じでした。

私としては、だからどうした、という感じでしたし、その方も、別に大したことではない、という感じで話し続けました。

 

そもそも、ミュージカルや演劇、芸術関係の友人や知り合いというのは、性的な好みということに限らず、何らかの分野において、「少数派」である人の方が多い気がします。

いわゆる「一般的」ということからはかけ離れた考えを持っていたり、生き方をしている人が多いのです。

 

カミングアウトの話題になる時にいつも思うのが、「じゃあ、『ごめんなさい、私は異性愛者です。』と、涙ながらにわざわざ訴える人を見たことがあるか?」ということです。
(きっと、広い世界にはあるのだろうと思いますが・・・。)

 

どんな好みだろうと、誰にも性的な興味を抱かないという場合だろうと、本来は誰に謝る必要もないはずなのです。

 

しばらくして、その知人は、「自分のことを受け入れてくれてありがとう。」と言いました。

本当に、全く大したことではないのに、その一言から、その方がこれまでに通ってきた道の険しさの重みに、切なくなりました。

 

今日はたまたまこの方との会話だったけれど、日常の中では、私が「多数派」になる場面も「少数派」になる場面もあって、自分が全く意識せずに「少数派」に対して失礼な言動をとることもあるのだろうし、逆に「多数派」の言動に深く傷つくこともあるのだろうと思います。

 

生きている限り、時代の変化も含めて常にやってくるであろう自分にとっての様々な未知の世界に、まずはオープンな心でいられますように、と青空の下で祈るばかりです。

 

 

こんばんは!

3月もあっという間に去っていきます。

 

先日、知人から「大学院に合格した」という連絡が来ました。

ずっとご無沙汰していたので、突然の吉報に驚いたのと同時に、私も嬉しくなりました。

と言うのも、数年前にその方が不合格の通知を受け取った正にその日に、たまたま話す機会があったからです。

受験に向けて頑張っている様子とともに、いかに狭き門であるかということも伺っていただけに、「だめでした・・・」と言って私の前で涙ぐむその方に何と声をかけて良いものかと、胸が痛みました。

 

その時に、私が院受験で浪人した際の話をした覚えがあります。

私も、落ちた時には途方に暮れて、お先真っ暗という感じでしたが、振り返ってみると、「あの時に落ちて良かった」と心から思えるのです。

 

1年目の受験で全滅し、2年目の挑戦の際に、1年目には知りもしなかった学校を発見!

そして、その学校は、受験する前から、「私のために創られたのではないか?!」と思えるほど自分に合っていると感じ、実際に入学してから、「ここ以外で勉強することは考えられない」という確信に変わりました。

 

その時に、初めて、嫌味でも皮肉でもなく、1年目に不合格にしてくれた学校に、「あの時落としてくれて本当にありがとう!」と、心から感謝したのです(笑)。

そうでなければ、あの先生方、スタッフや、クラスメートたちとは出逢えなかったのですから。

 

詳しい話は省略しますが、様々な面を考慮すると、やはり全ては起こるべきタイミングでなされたのだ、と後になって分かりました。

自分の希望よりも1年遅れて合格したことで、当然ながら、クラスメートの顔ぶれも、関わる公演なども変わってくるわけです。

 

もちろん、これは私の個人的な体験であって、全ての方に通じる訳ではないと思いますが、少しは心が休まるかもしれないと思い、そんな話をしました。

 

渦中にいる時には分からない、というのが厄介な所ですが、私は、一度この経験をしてからというもの、自分の希望が叶わなかったり、表面上では一見ネガティヴに思えるようなことが起きても、かなり楽観的に捉えられるようになりました。

もちろん、がっかりもするし、いきなり良い気持ちにはなりませんが、「この先には、もっと素晴らしいことが待ち受けているのだ!」と思えるようになったのです。

 

以前、「神様の時間調整」というお話を聞いて、深く納得したことがあったのですが、人生の中では、たった数秒の違いで何かが起きたり起きなかったり、伺ったレストランが丁度満席で、しばらくしてからまた戻ったら、お会いしたかった方と偶然出会えたり・・・と言ったようなことは、日々起きています。

 

私の院受験に関しても、より長いスパンの話として面白い結末がありました。

学部の受験の際、当初の第一志望校に見学に行ったところ、案内して下さっていた職員の方が、いかに狭き門であるかということを散々早口でまくしたてて、一緒に見学に参加していた高校生たちと共に意気消沈してしまったことがありました。

その後、別の学校の見学をして、「ここだ!」と腑に落ち、結果的にその学校で学ぶことになりました。

そして、それは本当に素晴らしい学びの日々となりました。

 

ところが、いざ院に入学してみると、前述の第一志望校を退職された教授陣が、ほぼそっくりそのまま私の母校となった院で指導してくださったのです!

私が受験しようとしていた学科とは別の学科の教授陣だったとは言え、もしもその学校に行っていたら、確実にどこかで会ったり話したりする機会はあったことでしょう。

 

しかも、この院に在学中、第一志望校だった学校の教授(院の教授たちにとっては、元同僚という訳です)が、ゲストとして2か月ほどいらして、私たちの授業を担当して下さったこともありました。

本当に不思議な展開でした。

結局、回り回って、何年も前の希望が、すっかり忘れた頃に、全く予想もしていなかった場所と状況で叶ってしまったのです。

これには、笑うしかなかったし、不思議なご縁を感じずにはいられませんでした。

今のところ、これまでの中で究極の「神様の時間調整」のうちの一つだった気がします。

 
日々の仕事や生活の中では、重大なことから些細なことまで、本当に様々なことが起こりますが、これからもその都度起きている「時間調整」に感謝して、楽しみながら進んでいきたいものです。
 
知人も、出会うべくして出会う師や仲間と、楽しき院生活を送っていかれることでしょう!
世界中の頑張っている人々に幸あれ!

 

 

こんばんは。

あっという間に2月も逃げて行きます。

お元気でお過ごしでしょうか。

 

最近、舞台関係者と話をしていた際、オーディションの話題になりました。

そして、近年自分がオーディションの結果にほとんどこだわらなくなっているということに気づきました。

 

学生時代や、卒業後してからすぐの頃は、何が何でもこのオーディションに受かりたい!と、毎回毎回結果がどうなるかソワソワしていました。

授業では、「オーディションは、受けたらすぐに忘れるべし」みたいなことを言われたし、実際そうした方が良いだろうことは頭では分かっていましたが、心はなかなかそう簡単にはいきません。

 

でも、気づいたらいつの間にか、自然とそうなっていました。

そして、それは、私にとっては精神衛生上、非常に喜ばしいことでした。

オーディションに落ちる度に、毎回毎回打ちのめされていたら、それが長年続くと身も心も持ちません。

 

どうしてそのように変化したのかを考えてみると、一つには、自分が「テーブルの向こう側」の立場、つまりは「選ぶ側」の立場も経験したことが大きいと思います。

そうすることで、オーディションの結果というのは、本当に色々な要素があるというのが実感として理解できるようになったからです。

 

学生時代に読んだオーディションのテクニックの本には、「噓でしょ?!」と思うような選考理由の例が書かれていて、大笑いしたこともあります。

それらの逸話が事実か否かは定かではありませんが(おそらくは、世界のどこかで起きたことなのでしょう(笑))、理屈では割り切れないような人間の情念や、制作上の事情は、世界共通なのだろうと思います。

だから、オーディションに受からなかったからと言って、自分を責めたり、ひどく落ち込んだりするのは、おそらくは時間とエネルギーの無駄であると思うようになったのです。

 

 

もう一つには、「縁」とか「タイミング」といったものを、深く信頼できるようになったからかもしれません。

これも、経験を重ねるうちに感じてきたものが、少しずつ信念に変わったような感じです。

出会うべき人とは必ず出会える、という根拠のない(笑)自信があるのです。

仮に、その仲間と一緒に仕事をする巡り合わせであっても、「今ではない」という場合もあるかもしれません。

自分自身だけでなく、関わっている全ての人を含め、全ての状況や条件が整った時に、起こるべくして起こる、ということを信じられるようになったのです。

 

 

もちろん、そんなことを言いつつも、やりたい仕事は山ほどあるし、「絶対にこれはやりたい!!!」と執着してしまうようなプロジェクトも多々あります(笑)。

人間だから、当然欲はたくさんあります。

正直言って、私は、欲だらけです(笑)。

 

でも、自分のコントロールの及ばないものに関しては、おおらかに構えると言うか、良い意味で手放すことで、非常に楽になるような気がしています。

 

自分でコントロールできることは、当然頑張る。

そういう部分では変な言い訳をして、「やらない理由」を作り出したくはない。

でも、それ以外のことは、それこそ、「神のみぞ知る」として手放す。

そうすることで、自分が行くべきところ、やるべきことに自然と辿り着けるような気がしています。

 

如月を後にして、今年も時は刻まれていきます。

遠き日の願い。

八方塞がりでも、上はあった。

空は、どこまでも広く、高く、広がっている。

風の時代。

きっと、祈りは届くだろう―――――。

 

 

2024年 初春