こんばんは!
3月もあっという間に去っていきます。
先日、知人から「大学院に合格した」という連絡が来ました。
ずっとご無沙汰していたので、突然の吉報に驚いたのと同時に、私も嬉しくなりました。
と言うのも、数年前にその方が不合格の通知を受け取った正にその日に、たまたま話す機会があったからです。
受験に向けて頑張っている様子とともに、いかに狭き門であるかということも伺っていただけに、「だめでした・・・」と言って私の前で涙ぐむその方に何と声をかけて良いものかと、胸が痛みました。
その時に、私が院受験で浪人した際の話をした覚えがあります。
私も、落ちた時には途方に暮れて、お先真っ暗という感じでしたが、振り返ってみると、「あの時に落ちて良かった」と心から思えるのです。
1年目の受験で全滅し、2年目の挑戦の際に、1年目には知りもしなかった学校を発見!
そして、その学校は、受験する前から、「私のために創られたのではないか?!」と思えるほど自分に合っていると感じ、実際に入学してから、「ここ以外で勉強することは考えられない」という確信に変わりました。
その時に、初めて、嫌味でも皮肉でもなく、1年目に不合格にしてくれた学校に、「あの時落としてくれて本当にありがとう!」と、心から感謝したのです(笑)。
そうでなければ、あの先生方、スタッフや、クラスメートたちとは出逢えなかったのですから。
詳しい話は省略しますが、様々な面を考慮すると、やはり全ては起こるべきタイミングでなされたのだ、と後になって分かりました。
自分の希望よりも1年遅れて合格したことで、当然ながら、クラスメートの顔ぶれも、関わる公演なども変わってくるわけです。
もちろん、これは私の個人的な体験であって、全ての方に通じる訳ではないと思いますが、少しは心が休まるかもしれないと思い、そんな話をしました。
渦中にいる時には分からない、というのが厄介な所ですが、私は、一度この経験をしてからというもの、自分の希望が叶わなかったり、表面上では一見ネガティヴに思えるようなことが起きても、かなり楽観的に捉えられるようになりました。
もちろん、がっかりもするし、いきなり良い気持ちにはなりませんが、「この先には、もっと素晴らしいことが待ち受けているのだ!」と思えるようになったのです。
以前、「神様の時間調整」というお話を聞いて、深く納得したことがあったのですが、人生の中では、たった数秒の違いで何かが起きたり起きなかったり、伺ったレストランが丁度満席で、しばらくしてからまた戻ったら、お会いしたかった方と偶然出会えたり・・・と言ったようなことは、日々起きています。
私の院受験に関しても、より長いスパンの話として面白い結末がありました。
学部の受験の際、当初の第一志望校に見学に行ったところ、案内して下さっていた職員の方が、いかに狭き門であるかということを散々早口でまくしたてて、一緒に見学に参加していた高校生たちと共に意気消沈してしまったことがありました。
その後、別の学校の見学をして、「ここだ!」と腑に落ち、結果的にその学校で学ぶことになりました。
そして、それは本当に素晴らしい学びの日々となりました。
ところが、いざ院に入学してみると、前述の第一志望校を退職された教授陣が、ほぼそっくりそのまま私の母校となった院で指導してくださったのです!
私が受験しようとしていた学科とは別の学科の教授陣だったとは言え、もしもその学校に行っていたら、確実にどこかで会ったり話したりする機会はあったことでしょう。
しかも、この院に在学中、第一志望校だった学校の教授(院の教授たちにとっては、元同僚という訳です)が、ゲストとして2か月ほどいらして、私たちの授業を担当して下さったこともありました。
本当に不思議な展開でした。
結局、回り回って、何年も前の希望が、すっかり忘れた頃に、全く予想もしていなかった場所と状況で叶ってしまったのです。
これには、笑うしかなかったし、不思議なご縁を感じずにはいられませんでした。
今のところ、これまでの中で究極の「神様の時間調整」のうちの一つだった気がします。