最終話

「たぶん、まだ分かってない」



結局、最後まで答えは出なかった。

何が正しいのか。
どう生きるのが正解なのか。
急ぐべきなのか、立ち止まるべきなのか。

考えても、
はっきりしたものは見つからなかった。

でも。

分からないままでも、
前より少し呼吸がしやすかった。


その日も、いつもと同じ部屋だった。

机。
途中の文章。
少し冷めたコーヒー。

窓の外では、
夕方の光がゆっくり色を変えている。

猫は、いつもの場所で丸くなっていた。

相変わらず自由で、
相変わらず何も教えてくれない。

それなのに、気づけばずっと隣にいた。

パソコンを開く。

カーソルが静かに点滅している。

前みたいな焦りは、もうなかった。

だからといって、迷いが消えたわけでもない。

今でも分からない。

何を選ぶのが正しいのか。
どこまで頑張ればいいのか。
自分は本当は何をしたいのか。

考え始めると、今でも曖昧になる。

たぶん、この先もそうなんだと思う。

「今日は静かだね」

猫が目を閉じたまま言う。

「そうかもな」

「考えごとしないの?」

少しだけ笑う。

「してるよ」

「じゃあ、前と何が違うの?」

その問いに、すぐには答えられなかった。

何が違うんだろう。

状況はそんなに変わっていない。

やることはあるし、悩みだってまだある。

それでも。

前みたいに、“答えを急いでいない”

たぶん、それが一番大きかった。

昔の自分は、ずっと急いでいた気がする。

正しい答えを。
正しい生き方を。
ちゃんとした自分を。

探し続けていた。

立ち止まったらダメだと思っていた。

迷ったままじゃいけないと思っていた。

でも、本当は。

分からないことを抱えたまま生きるのが、
普通なのかもしれない。

最近、少しだけそう思える。


窓の外を見る。

誰かが歩いている。

急いでいる人。
ゆっくり歩いている人。
立ち止まっている人。

みんな、それぞれの速度で動いている。

前は、“遅れないこと”ばかり考えていた。

でも今は。

ちゃんと自分の足で歩いているかの方が、
少し気になっていた。







「ねえ」

猫がこちらを見上げる。

「まだ分かった?」

その言葉に、少し考える。

そして、小さく笑った。

「……たぶん、まだ分かってない」

そう答えると、猫は満足そうに目を細めた。

「そっか」

それだけだった。

答え合わせみたいなものはない。

褒められるわけでもない。

でも、その曖昧さが、今は少し心地よかった。

机の上の文章に視線を戻す。

まだ途中だ。

でも、それでいい気がした。

途中のままでも。
迷ったままでも。
答えが出ていなくても。

無理に急がなくていい。

分からないなら、分からないまま進めばいい。

最近ようやく、
そんなふうに思えるようになってきた。


猫はまた、何も言わなくなる。

最初からずっとそうだった。

問いを置いていくだけ。

考えるのは、いつも自分だった。

たぶん、この先もそうなんだろう。

また迷う日もある。

焦る日もある。

“ちゃんとしなきゃ”に飲まれる日もあると思う。

でも、そのたびに少し立ち止まって。

自分の呼吸を確かめられたら。

きっと、それだけでも違う。

部屋の中には、静かな時間が流れていた。

時計の音。
窓の外の風。
コーヒーの香り。

何も特別なことは起きていない。

それでも、不思議と悪くなかった。

もしかしたら。

人生って、“答えを見つけること”じゃない
のかもしれない。

分からないまま、迷いながら。

それでも、自分の速度で歩いていくこと。

そんなふうに生きられたら。

少しくらい不器用でも、悪くない気がした。

猫は窓辺で、小さくあくびをした。

夕方の光が、その背中をゆっくり照らしている。

その姿を見ながら、ふと思う。

たぶん、自分はこれからも、完全には分からない。

でも。

前みたいに、
“分からないこと”を怖がらなくなった。

それだけで、今日は少しだけ呼吸がしやすかった。