第6話
「恋すると、急に自分が気になる」
「その服、三回目だよね」
朝。
家を出ようとした瞬間、猫が言った。
「何が」
「着替えるの」
図星だった。
今日はシフトの日だった。
もちろん、その子もいる。
だから。
いや、別にだからってわけじゃない。
たまたま。
本当にたまたま。
服を三回着替えただけだ。
最初はパーカーだった。
鏡を見て思った。
なんか子供っぽい。
却下。
次はシャツ。
鏡を見る。
頑張ってる感がある。
却下。
結局。
いつも着てる無難な服になった。
「一周回って普通に戻ったんだ」
猫が言う。
「うるさいな」
「恋愛って遠回り好きだよね」
コンビニへ向かう途中。
スマホのインカメを開く。
前髪を確認。
閉じる。
三十秒後。
また確認。
「人間って毛づくろい大変そう」
いつの間にか隣を歩いていた猫が言った。
たしかに。
最近ちょっと変だった。
髪型。
服。
靴。
匂い。
前は気にしたことなかった。
いや。
気にはしてた。
でも、“自分がどう見えるか”なんてそんなに
考えてなかった。
それが今は違う。
「この服変じゃないかな」
とか。
「寝ぐせないかな」
とか。
「口臭大丈夫かな」
とか。
考えることが増えた。
「好きな人できると、人間って急に自分を
見るよね」
猫が言う。
少し考える。
たしかにそうかもしれない。
好きな人ができる前。
鏡なんて数秒だった。
でも今は。
出かける前に何回も見る。
別にナルシストになったわけじゃない。
むしろ逆だ。
ちゃんと見られたい。
変だと思われたくない。
そう思うから気になる。
バイト先へ着く。
バックヤードで準備していると。
その子が入ってきた。
「おはようございます!」
今日も元気だった。
「おはよ」
普通に返した。
たぶん。
いや。
たぶんちょっとだけ声高かった。
「今日なんか雰囲気違いますね」
その瞬間。
心臓が止まりそうになった。
「え?」
やばい。
バレた?
何が?
服?
髪?
全部?
「髪切りました?」
あ。
そうだった。
三日前に切ってた。
忘れてた。
「少しだけね」
できるだけ平静を装う。
するとその子は笑った。
「似合ってますね」
……。
「ありがとう」
それしか言えなかった。
でも。
内心は大変だった。
「今のやつ、あと三日思い出してニヤニヤする
タイプだね」
夜。
帰宅後。
猫が言った。
「しない」
「する」
「しないって」
「もうしてる」
図星だった。
ソファに座りながら思い返す。
似合ってますね。
たったそれだけ。
でも嬉しかった。
たぶん。
恋愛中の人間って。
言葉の価値が変わる。
他の人に言われたら。
「ありがとう」で終わる。
でも。
好きな人に言われると。
何倍も嬉しくなる。
「不思議だよね」
猫が言う。
「何が」
「その子はたぶん普通に言っただけなのに」
そうだった。
きっと深い意味なんてない。
でも。
嬉しかったことも本当だ。
「恋ってさ」
猫が窓の外を見ながら言う。
「相手を好きになるだけじゃないんだよね」
「え?」
「好きな人の目を通して、自分を見るようになる」
少しだけ黙る。
その言葉は。
なんとなく分かる気がした。
最近。
自分を気にするようになった。
服も。
髪も。
言葉も。
全部。
その子にどう見えるかが気になったからだ。
でも。
それって悪いことじゃないのかもしれない。
誰かを好きになることで。
少しだけ自分を大切にできる。
そんなこともあるんだなと思う。
「まぁでも」
猫があくびをした。
「前髪触る回数は減らした方がいいと思う」
「そんな触ってない」
「今日だけで二十七回」
「数えてたのかよ」
クッションを投げる。
猫はいつものように避けた。
ほんと腹立つ。
でも。
少しだけ嬉しい。
恋をすると。
世界が変わるんじゃない。
たぶん。
自分の見方が少し変わるんだと思う。
そして最近の自分は。
前より少しだけ鏡を見る時間が増えた。
