第5話

「“たまたま”を期待してしまう」



「それ、三回目だよ」

猫が呆れたように言った。

「何が」

「シフト表見たの」

スマホを持ったまま固まる。

見られていた。

最近の日課がある。

朝起きる。

顔を洗う。

コーヒーを飲む。

そして。

シフト表を見る。

いや、別に変な意味じゃない。

ただ確認してるだけだ。

業務上必要なことだし。

社会人として当然というか。

「その子の名前探してるだけだよね?」

猫が即答した。

否定はできなかった。

シフト表には何十人もの名前が並んでいる。

でも。

最初に探すのは決まっている。

その子の名前だ。

被ってる。

ちょっと嬉しい。

被ってない。

ちょっと残念。

最近、自分の感情が分かりやすすぎる。

「恋って暇だねぇ」

猫が窓際で伸びをする。

「忙しいわ」

「いや、脳内はかなり暇そう」

失礼な猫だ。

でも少しだけ納得してしまう。

その日。

コンビニへ向かう途中。

交差点を渡りながら考えていた。

今日は会えるかな。

いや、会える日じゃない。

シフト入ってない。

分かってる。

分かってるんだけど。

どこかで期待してしまう。

「たまたま来ないかな」
思わず呟いていた。
すると隣から。
「来ないと思うよ」
猫だった。
いつの間にいた。

「普通に怖いからやめろ」
「いや、だって思ったでしょ?」
「……思った」

コンビニに着く。
いつものように働く。
レジ。
品出し。
清掃。
何も変わらない。
でも。
休憩時間になると、つい入口の方を見てしまう。

自動ドアが開く。

違う人。

また開く。

違う人。

また開く。 

違う人。


「犬の待てみたいになってるよ」
猫が言う。

「なってない」

「なってる」

自分でも少し笑ってしまう。

何をやってるんだろう。

来るわけない。

シフト入ってないんだから。

でも。

恋してる時って。

可能性0%じゃない限り期待してしまう。








その日の帰り道。

コンビニ近くの交差点で信号待ちをしていた。
ふと前を見る。

すると。

向こう側から誰かが歩いてくる。

「あ」

その子だった。

向こうも気づいたらしい。
目が合う。

そして笑う。

「伊藤さん!」

ただそれだけ。

ただ名前を呼ばれただけ。
なのに。

心臓が変な音を立てる。

「お疲れさまです!」

「お、お疲れ!」

ちょっと声裏返った。

たぶん。

いや、確実に。

「今日お休みだったんですか?」

「うん、買い物帰り」

「そうなんだ」

会話はそれだけだった。

一分も話してない。

それなのに。

別れたあと。

妙に気分がいい。

「単純だねぇ」

帰宅後。

猫がしみじみ言う。

「たった一分だよ?」

「分かってる」

「しかも普通の会話」

「分かってるって」

でも。

嬉しかった。

たまたま会えた。

たまたま話せた。

それだけなのに。

今日一日が少し特別になった。

「恋って不思議だよね」

猫が言う。

「相手は何もしてないのに」

「うん」

「勝手に幸せになる」

確かにそうだった。

その子は普通だった。

いつも通り笑って。

いつも通り話しただけ。

でも。

好きな人の“いつも通り”って。

なんであんなに嬉しいんだろう。

ソファに座りながら思う。

昔なら。

こんな自分を面倒だと思っていたかもしれない。

シフトを気にして。

偶然を期待して。

たまたま会えただけで喜ぶ。

でも今は。

少し違う。

そんな時間も悪くないと思う。

「で?」

猫がこちらを見る。

「次のシフト、いつ被るの?」

「……明後日」

「覚えてるんだ」

クッションを投げた。

猫はひらりと避けた。

ほんと腹立つ。 

でも。

少しだけ笑ってしまった。

恋をすると。

人は未来を楽しみにできる。

それはきっと。

“付き合えるかどうか”とか。

“脈があるかどうか”とか。

そういうことだけじゃなくて。

好きな人に会える。

ただそれだけで。

少しだけ毎日が楽しみになる。

たぶん。

今の自分は、その時間を生きているんだと思う。