第4話
「好きな人の前だと、普通が難しい」
「なんで今日そんな変だったの?」
バイト終わり。
帰宅して床に倒れ込んだ瞬間、猫がそう言った。
「……そんな変だった?」
「うん。かなり」
即答だった。
ちょっとは迷え。
今日は最悪だった。
いや、“最悪”ってほどじゃない。
たぶん周りから見たら普通。
でも、自分の中では完全に事故だった。
原因はシンプル。
好きな人とシフトが被った。
それだけ。
それだけなのに、人はここまで挙動不審になれる。
「伊藤さんって、辛いの食べれます?」
休憩中。
その子がカップ麺を持ちながら聞いてきた。
普通の会話だ。
なんでもない。
なのに。
「え? あ、まぁ……蒙古タンメンとか?」
って答えたあと。
なんで俺、“蒙古タンメン”でちょっとイキった?
ってなった。
別に辛さ強者じゃない。
なんなら中本、途中でちょっと後悔するタイプだ。
「しかもそのあと、“結構好きなんだよね”とか
言ってたよね」
猫が半笑いで言う。
「うるさい」
「好きなの、その子でしょ」
「黙れ」
しかも今日は、それだけじゃない。
レジで並んでる時。
その子が髪を結び直してて。
「今日なんか雰囲気違いますね」
って言おうとした。
ちゃんと自然に。
軽い感じで。
でも、口から出たのは。
「今日……あれっすね」
だった。
終わってる。
“あれ”って何。
会話を相手に委ねるな。
「で、その子なんて返してたっけ」
猫が楽しそうに聞く。
「“あれって何ですか?”って笑ってた」
「優しい世界だねぇ」
ほんとにな。
普通ちょっと事故ってる。
でも、一番キツかったのはそのあとだった。
品出し中。
二人で飲み物並べてた時。
棚の奥の商品を取ろうとして、手がちょっと
触れた。
たったそれだけ。
たったそれだけなのに。
「……あ、すみません!」
って、必要以上にデカい声出た。
店内に響いた。
しかも、その子ちょっと笑ってた。
終わった。
完全に、“意識してる人”の反応だった。
「恋って、人を不審者寄りにするよね」
猫がしみじみ言う。
「そこまでじゃないだろ」
「いや、“あ、すみません!”の音量、災害レベル
だったよ」
思い出してちょっと死にたくなる。
なんでなんだろう。
友達相手なら普通に話せる。
他のバイトの人とも普通。
なのに、その子の前だけ難易度が急に上がる。
何を言うか考えすぎる。
変に思われたくない。
カッコ悪いって思われたくない。
そう思えば思うほど、変になる。
「人間って面白いよね」
猫がソファの背もたれで丸くなる。
「好きな人の前だけ、“自分を上手く見せよう”と
する」
「まぁ……そりゃ多少は」
「で、失敗する」
「うるさいな」
でも、図星だった。
自然でいたいのに。
普通にしたいのに。
“ちゃんと見られたい”って思った瞬間、
全部ぎこちなくなる。
スマホを見る。
今日のLINE。
その子から、
『今日めっちゃ面白かったです笑』
って来てた。
……終わった。
完全にイジられてる。
「よかったじゃん」
猫が覗き込む。
「覚えてもらえてる」
「いや、“変な人”としてだろ」
「恋愛って最初そんなもんじゃない?」
猫は適当そうに言う。
でも。
少しだけ安心した自分もいた。
嫌われたわけじゃない。
引かれてもいない。
むしろ笑ってくれてた。
それだけで、今日はちょっと救われる。
恋してる時って、感情の上下が激しすぎる。
手が触れただけで動揺して。
LINE一通で安心して。
たった一言で落ち込んだり浮かれたりする。
忙しい。
ほんとに。
「でもさ」
猫が眠そうに目を細める。
「好きな人の前で変になるのって、悪くなく
ない?」
「え?」
「だって、“ちゃんとしたい”って思ってるって
ことでしょ?」
その言葉に、少しだけ黙る。
確かに。
カッコつけたいし。
変に思われたくないし。
できれば良く見られたい。
それって結局、その人をちゃんと好きだから
なんだと思う。
「まぁ、見てる分には面白いけど」
「台無しだよ」
クッションを投げる。
猫はひらりと避けた。
ほんと腹立つ。
でも。
今日の失敗を思い返しながら、少し笑ってしまう。
前なら、“うまくやらなきゃ”ばっかり考えてた。
でも最近は。
こうやって空回りしてる時間も、ちょっと楽しい。
好きな人の前で普通じゃなくなるのって。
たぶん、恋してる人間みんなそうなんだろうな
と思った。
