第1話
「そのシフトの日だけ、起きるの早い」
「今日、早くない?」
朝の六時半。
まだ眠気の残る頭でコーヒーを飲んでいた俺に、
猫が言った。
「別に普通だろ」
「いや、人間にしては珍しくシャキッとしてる」
失礼な猫だ。
でも、否定できない。
今日はバイトの日だった。
しかも、“あの子”と同じシフトの日。
三週間前、新人が入ってきた。
大学一年らしい。
最初に見た印象は、“よく笑う子”。
店長にレジを教わってる時も、
ミスして「あ、やばっ」って笑ってた。
普通、新人ってもっと固い。
でもその子は、変に自然だった。
「伊藤さんって、いつも夜なんですか?」
初日にそう聞かれて、
「まぁ、だいたい」
って答えたんだけど。
あとから思い返したら、
“だいたい”ってなんだよって思った。
会話、下手か。
「好きなんでしょ」
猫がソファの上で丸まりながら言う。
「違う」
「じゃあなんで今日、髪セットしてるの?」
「……これは普通」
「家出る一時間前から服悩んでたのに?」
「うるさいな」
猫は面白そうに尻尾を揺らした。
全部見られてる。
なんなんだこいつ。
別に、まだ好きってほどじゃない。
たぶん。
ちょっと気になるだけ。
シフト被ると嬉しいな、とか。
笑ってるとこ見ると、
ちょっと空気明るくなるな、とか。
その程度だ。
……たぶん。
コンビニに着く。
自動ドアが開く音。
いつもの匂い。
いつもの店内。
でも今日は、ちょっとだけ落ち着かない。
バックヤードに入ると、先にその子がいた。
「あ、おはようございます!」
その瞬間。
なんか、一気に目が覚めた。
「……おはよ」
今の絶対ちょっと声低かった。
落ち着いてる感じ出そうとしただろ。
キモいな自分。
「伊藤さん、今日眠そうですね」
「え、そう?」
「なんかちょっとだけ」
笑いながらそう言う。
いや、むしろ今日めっちゃ早起きした。
そのシフトの日だけ、目覚ましより先に起きるくらいには。
でもそんなこと言えるわけない。
「まぁ、朝弱いから」
無難な返事を選ぶ。
するとその子は、
「わかります。私も朝ほんと苦手です」
と言いながら、肉まんの補充を始めた。
その横顔を見ながら思う。
……かわいいな。
いや、待て。
早い早い。
まだ早い。
「で?」
夜、バイトから帰ると、
猫がテーブルの上に座っていた。
「で、って?」
「今日は何回その子のこと見てた?」
「知らねぇよ」
「レジ越しにめっちゃ見てたじゃん」
そんな見てたか?
いや、見てた気もする。
なんなら、お客さん来てない時ちょっと探してた。
「人間って面白いよね」
猫が前足をぺろっと舐めながら言う。
「好きな人できると急にソワソワし始める」
「だから、まだ好きじゃないって」
「ふーん」
その“分かってるけどね”みたいな顔やめろ。
ソファに座ってスマホを見る。
シフト表の写真。
次、いつ被るんだろう。
そんなこと考えてる自分に気づいて、
ちょっと笑ってしまう。
なんだこれ。
数週間前まで、ただのバイトだったのに。
誰か一人いるだけで、こんな変わるんだな。
「ねぇ」
猫がこっちを見る。
「その子と話す時、今日ちょっとだけ声優しかったよ」
「……マジ?」
「うん。人類の“好きバレ前”って感じだった」
「最悪だ」
思わずクッションを投げる。
猫はひらりと避けた。
「でもさ」
猫が少しだけ目を細める。
「恋の始まりって、だいたいダサいよね」
その言葉に、ちょっと笑ってしまった。
確かにそうかもしれない。
カッコよく始まる恋なんて、たぶん少ない。
変に意識して。
勝手に緊張して。
一人で空回る。
たぶん、みんなそんな感じだ。
スマホを閉じる。
窓の外は、少しずつ夜が深くなっていた。
次のシフトは三日後。
たったそれだけなのに、少し楽しみな自分がいる。
「完全に好きじゃん」
猫が眠そうに言う。
「……まだ分かんないだろ」
そう返したけど。
たぶん、猫にはもう全部バレてる。
