トラウマは、自分で自分を取り仕切っているという感覚を人から奪う。(P,333)
ベッセル・ヴァン・デア・コーク氏の著書、『身体はトラウマを記録する』(紀伊國屋書店)には、上記のような言葉が書かれています。
あまりにも当たり前過ぎて読み飛ばす方も多いかもしれません。
けれど私は、他人にはわかってもらえないと感じてきたもどかしさをわかってくれる人に会えたことが嬉しかったです。
また、上記の本に書かれたトラウマからの回復に必要な過程は、まさに自分自身が楽になりたいという一心で歩いてきた過程でもありました。
22年前、32歳で初めてボディーワークを受けて、自分の身体の緊張や歪みが半端ではないこと、そして、それに全く気づかず生きてきたことにびっくりしました。
そして、そのことが、強迫性障害の発症やその後に残った強すぎる恐れやネガティブな感情と無関係ではないと感じました。
けれど、今ほどトラウマというものが注目されていなかったし、私は、自分に起こったことを一本の糸で繋げることが出来ずにきました。
でも、前回も引用させて頂きましたが、上記の本には、
大半の自己破壊的行動や、一部の強迫観念や強迫行為、パニック発作といった、精神医学的問題に分類される行動の多くは、もともと自己防衛のための戦略だった。トラウマに対するこうした適応は、ときに正常な機能を妨げる大きな障害となるので、医療提供者も患者自身もしばしば、完全な回復はとうてい望めないと思い込んでしまう。こうした症状を不治の障害と見なすと、治療の焦点が適切な服薬計画を見つけることに狭められ、トラウマサバイバーを生涯にわたって薬物に依存させてしまいかねない(以下略)(p,458)
と、はっきり書かれていたのです。
あくまで、一部の強迫観念や強迫行為です。
でも、自分の場合は、乳幼児期の繰り返し受けた斜視の手術で生じたトラウマが、強迫性障害の発症と繋がっていたと思っています。
強迫性障害の原因といえば、今も、遺伝的要因や持って生まれた資質ということばかりが言われます。
医療関係者からは、斜視の手術が原因で強迫性障害が発症したなんてありえないと言われるかもしれません。
もちろん、私自身が持っていたものも関係していたとは思います。
けれど、半世紀前のこと。
もしかしたら、今よりも、特に乳児に対してどのぐらいの恐怖を抱くか、どのぐらいの痛みを感じるかということに配慮が足りなかった可能性はあります。
また、想像でしかありませんが、脳の一部とさえ言われることのある眼や外眼筋からの強い刺激というのは、指の先からのそれとは違うところがあるように思います。
もしかしたら、私のように乳幼児期のトラウマが関係して、思春期に強迫性障害を発症する人がいるとしたら、トラウマが発生した出来事から発症する間に何が進行しているのでしょうか?
その間に出来ることはないのでしょうか?
たとえ一部の人が対象であったとしても、日本でもこのような話がもっとなされていくことを願っています。
奥多摩にて
「はるのいざない」ホームページは、こちら。
メニューと価格一覧は、こちら。
ご予約・お問い合わせはこちらからお願いいたします。
(暫くの間、予約受付は金・土・日と祝日のみとさせて頂きます。)